世界で一番魅惑的な宵 12月8日〜365日の香水
今日は「20世紀の天才」が生まれた日
1881年の今日、12月8日にエルネスト・ボー(Ernest beaux)はモスクワに生まれた。ロマノフ王朝の帝政ロシアで王室御用達の調香師の家に生まれ、ロシア最大の香水メーカーのラレ社で見参を積んだ。
ロシア革命でフランスに亡命し、ココ・シャネルとの出会いからシャネル5番(chanel No.5)の調香師として後世に名を刻んだ。
以前書いたけれど“No.5絡み”で、ラレ社時代のキャリアは少しわかっている。
ブーケドナポレオオンやブーケドエカチェリーナ改めラレNo.1などだ。
謎の多い後半生
亡命後、1921年にNo.5が世に出た時が40歳。
1940年代以降、ナチス占領下のパリでどのように過ごしていたのか。
(当時パルファン・シャネル社の経営者だったヴェルタイマーはユダヤ人であったためアメリカに逃れていたし、シャネルはメゾンを閉じてリッツホテルでドイツ将校を恋人にしていた。)
1961年にパリのアパルトマンで生涯を閉じたというけれど、戦後はどんな暮らしをしていたのか。
交友関係や後進の調香師たちとの関わりはあったのか。
知名度に比して知られていないことが多い人だ。
語るより感じる
そう考えてみると、エルネスト.ボーの調香した香水はどれも「黙して語らず」のようなところがある。
香りも人生も解釈したり語ったりするものではなく“感じさせるもの”。
ロシア革命、第二次世界大戦を生き延びた彼は、台頭してきたキレキレの若手調香師や,香水のトレンドをどんな風にみていたのだろう。
人生の半分を戦中、戦後のパリで送った。
時の流れの中で毎日見上げていたパリの空に何を思っただろう。
彼の作品には王朝文化の贅沢な優雅さと、現代化学への意欲が見事に結晶している。
soir de paris(evening paris) /bouguis/1929
ある意味で、NO.5以上にエルネスト・ボー的な香り。
いくつもの種類の花の香りをまとめあげたフローラルブーケ、合成香料アルデハイドの役割、これら20世紀的な構造を持ちながら、その香調はそこから貴族的な優雅さに包まれている。
ヴァイオレット、ヘリオトロープ、ローズ、ジャスミン、調香師が知り尽くした豪華なフローラルのブーケ、NO.5やNO.22とは異なるアルデハイドの効果、
世界一有名な香水を調香したエルネストボーが、世界一魅惑的なパリの宵を表現した傑作。
香り、思い、呼吸
12月8日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。