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美と知と 皇后に献上された香り 9月4日~365日の香水
マリー・アントワネットの復権
2020年の年明けにパリのコンシュルジュリーでマリーアントワネット展をみた。今年のパリオリンピックでの開会式でもギロチンにかけられた王妃をモチーフにしたパートがあって物議をかもしたようだけれど、この時の展示でもマリー・アントワネットのおもちゃや人形は、どれも”王妃と言えばギロチン”というテーマで、首をつけたり外したりするデザインばかりだった。
革命政府のプロパガンダもあって、恐怖政治の時代には特に魔女、悪女のように扱われた王妃マリー・アントワネット。
ナポレオン三世の治世下でその人物像は、復権を果たす。
ユージェニー皇后
ナポレオン三世の皇后ユージェニーはその美貌、優雅さで注目もされたし人気も集めた。ハプスブルグ家に嫁ぎヨーロッパ一の美女とうたわれたエリザベート皇后より11歳上の人になる。
ユージェニーは周囲が懸念するほど、王妃マリー・アントワネットに傾倒していたといわれ、肖像画などをコレクションすると同時に、人物像についても革命直後の悪評風評を払拭することにも尽力した。
先のコンシュルジュリーでの企画展でもそのような説明書きを見た。
ナポレオン三世の帝政期には、悲劇の王妃を悪女、怪物のように揶揄して描くようなことは激減し、本来の美しさや史実に基づいた歴史の検証もされるようになった。
何故自殺しなかったの?!
ユージェニーは帝政崩壊後、夫、息子とロンドンに亡命する。夫は持病もあって亡命から3年後に死去、息子はその6年後にアメリカで戦死。
ユージェニーがなくなったのは1920年でなんと94歳の長寿を全うした。
帝政期には知性豊かなユージェニーにナポレオン三世が助言を求めることもあったらしいが、亡命後は政治に一切かかわることがなかった。
晩年のユージェニーに会って話を聞いてみたいとふと思う。
何もかもを手にし、それに相応しい美も知も持ち合わせ慕われていた皇后の亡命生活。
彼女は帝政崩壊のトリガーになった普仏戦争でナポレオン三世が捕虜になっとき、「なぜ自殺しなかったの?自分の名誉を汚していることに気づいてないの?!」と怒ったという逸話がある。
自尊心や価値観は時代の波を真っ向から被った後、どんな風に変化していたのだろう。
今日9月4日はユージェニーが皇后を退位した(させられた)日。
Eau de cologne imperiale/Guerlain/1860
ゲランの創設者ピエール・フランソワ・パスカル・ゲラン(Pierre-Francois-Pascal Guerlain)が、ユージェニー皇后に献上した香水が、後世「オーデコロンアンぺリアル」としてゲランのラインアップに加わった。
同社のビーボトル(蜂を施したデザインのボトル)は、皇后に香水を献上する際にナポレオン家の紋章である蜂を施したことから始まった。
オーデコロンとある通り、シトラスノートをメインにした香り。
特にライムの上質さが際立つ。
帝政期の美しい皇后、そして王政期にもベルサイユでオーデコロンが流行したことに思い馳せる。
香り、思い、呼吸
9月4日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。