時の流れ、川の流れ~方丈記とあの香水
「いつも今が一番いい」
”人生で一番幸せだった時”と聞かれて「いつも今が一番幸せ」と答えたことがある。今もその感覚は変わらない。
感情の波の起伏は常にあり、自身の成長速度も時々で違う、周囲で関る人たちも急激にあるいはゆるやかに変わっていく。
短期的にみたら、昨日より悲しい今日もあるし、20年前にくらべたら基礎代謝ははっきり落ちたし、大切だったのに会わなくなった人たちもいる。
失うこともあり、得ることもある。
「時間の経過という魔法」
今が一番幸せという感覚は、獲得したものから喪失したものを差し引いてみて、なんとなくだけれど「得てきた」実感が勝るからだと思う。
これは時間の経過という魔法だと思う。
魔法は私のいろいろな経験に振りかけられて、どんな出来事も「経験出来て良かった」になっていく。
物理的、時間軸的な喪失も一時的なもので、”経験”としてとらえたら、自分にとっては得られた経験に意味がでてくるのだ。
「失ったものも多々あるけれど」
相続した有価証券がいつのまにか紙屑同然になっていたこともあったし、不用意な一言で大事な関係を失ったこともある。
失ったものは返ってこないし、実際に私は資産家になったわけでもないし、華やかな取り巻きに囲まれる環境でもない。けれど、失ったことの意味や失っても生きている今を考えたら、やっぱり幸せと言える。
「時の流れ L'air du Temps」
ニナリッチ(Nina Ricci)に時の流れ(l'aire de Temps)という名香がある。
第二次大戦後に、再び平和な時間が訪れたことへの喜びから、平和のシンボル鳩を象ったボトルで登場した香りだ。
私にはこの「時の流れ」という香水の持つ哲学が日本の中世の隠者、鴨長明の「方丈記」のそれと通底しているように思える。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
無常という摂理を川の流れに擬えて言い切っている有名な書き出し。
当たり前のことのようだけれど、時は止まらず流れていくことが奇跡のように思える。愛おしい大事な時も流れていくけれど、辛く悲しい時間もいつかは過去になる。そのことさえ知っていたら、今起こる出来事の受け止め方も変わってくる。
「時が流れるという優しい贈り物」
無常ということと常に向き合いながら私たちは進んでいく。
時に悲しく時は流れるけれど、その悲しい時もまた流れていく。
「時の流れ」という香水はカーネーションやクローブのスパイシーなノートがジャスミンやローズの優美なフローラルと相乗効果を発揮して、優しいのにインパクトのある香りになっている。
時が流れることは結果として、私たちに贈られた優しさなのかもしれない。
香り、思い、呼吸。