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クラシカル、古く良きエレガンス 10月24日〜365日の香水

クリスチャン・ディオール
ディオールというブランドの歴史を辿ると、創業者であるクリスチャン・ディオールを予想外に早く失ったことが大きな出来事だったと思う。
1946年の創業からわずか11年後だった。
さらに運のわるいことに、ディオールが見出した若き才能、イヴ・サンローランを一度は後継者に据えながら手放してしまったこと。
1957年に創業者の跡を継いで主任デザイナーになったサンローランは、1960年の対アルジェリア戦争に徴兵され、精神疾患から除隊、解雇されてしまった。
1970年代から低迷は始まり、80年代にはライセンス商品が多く出回ったという。現在のLVMHグループ会長のベルナール・アルノ―の買収によって、メゾンとしてのディオールは威力を取り戻した。
クリスチャン・ディオール自身は後に主任デザイナーを継いだジャンフランコフェレやジョンガリアーノの存在を知らない。
ガリアーノの豪華だけれど反逆精神のあるデザインをどう感じただろう。

シャネル、スキャパレリとディオール
クリスチャン・ディオールの自伝を読んでいて、勝手な想像だけれど彼はシャネルのファッションを“みすぼらしい”、スキャパレリのファッションを“下品”と思っていたのではないかなと感じた。
正確な描写は忘れたけれど「その性格と共に業界にインパクト与えた功労者」とシャネルをいい、「奇抜でセンセーショナル」とスキャパれるのファッションを言っていた記憶がある。
シャネル自身はディオールのニュールックに立腹し、巻き戻された時間を再び進めるために70歳を過ぎての復帰を決めたけれど、ディオールという人は他者を批判したり否定したりする表現を選ばなかった人だ。

ディオールの原点
良妻賢母の典型のような母親のもと、郊外の裕福な家庭に育ったディオール。平和的で草花に囲まれた穏やかな日常が彼のクリエイティブの原点。
そして、優しい母の優美な物腰。
戦争で摩耗した社会に古き良き優美を取り戻そうとしたのだから、19世紀を破壊したシャネルが時間の逆行に激怒したのも理解できる。

ディオール最大の自己主張
ニュールックを世に出すとき、生地をケチって貧相な感じになるドレープ、肩からウエストの女性らしいラインが台無しになる紳士服のようなジャケット、とにかくそういうものを一掃したくて、理想の限りを尽くしたのがニュールックだった。
物静かで、自己主張をするよりひっそり物陰に隠れていたいようなディオールの最大の自己主張は上質なシルクをふんだんに使った豊かなドレープ、だったのだ。

ディオールの体現するもの
映画にもなった小説「ミセスハリス」では主人公の家政婦がディオールのドレスを買うという晩年の人生の目標を立てる。
無謀なほど手の届かない夢、それがファッションだとしたら確かにシャネルスーツではなくディオールのドレスなのだろう。
ハリスがプリンセスのようになれる自分を夢にもったときに、圧倒的に相応しいのはシックでも新機軸でもなく、優美な女性らしさが際立つドレスだった。
デザイナーが変わり、クリエイティブが変わっても、ディオールのブランディングとして、優美さ女性らしさ(最近はかわいい)で一貫していることが強みなのかもしれない。
シャネルにしてもディオールにしても創業者がいない現在も〇〇といえばシャネル、ディオールのような君臨の仕方ができていることがすごいと思う。

DiorDior/ C.Dior/1976
ファッション部門に先んじてパルファン・クリスチャン・ディオールは1968年に現LVMHの傘下に入っていた。
そのもとで巨匠エドモント・ルドニツカ(Edmond Roudnitska)によって手掛けられた作品。
ディオリッシモを筆頭にディオレラ、ディオレッセンスなど初期から70年代くらいまで、ディオールの名を組み込んだネーミングの香水がいくつか出ている。
例えばディオリッシモはディオールとイタリア語のイッシモが組み合わさり「とってもディオール」のようなニュアンスのネーミングになっている。
本作はディオールを繰り返すので「絶対ディオール」という感じだろうか。
シプレータイプに入るクラシック。
パルファムエキストレの貴重なコレクション。

香り、思い、呼吸
10月24日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。

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