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ソサエティ 7月25日~365日の香水

ユニオン、コミュニティ、ソサエティ
昨日のMITSOUKOで、リヒャルト・クーデンホーフ・の”汎ヨーロッパ連合”の構想について触れたので、ソサエティ、コミュニティ、ユニオンなどという言葉が自然に浮かんできた。
一つ一つの独立したものが連なるユニオン~連合は戦略的で目的意識も明確。
もう少しゆるく、住んでる場所や興味関心でつながるコミュニティ~共同体。
これらを含むソサエティは文化的な背景の共通理解や政治経済などのシステムを共有する。
さらに異なる共通理解やシステムを持ったソサエティが集まって世界がある。
私たちは、コミュニティを変えたり、ソサエティを変えたりすることがどうしても必要な時には、それができるという、選択肢を誰にも持てるようであってほしいと思う。
綺麗ごとと言われればそうだけれど。
日本でも地域社会というコミュニティで浮いてしまえば村八分にされたし、藩というソサエティを抜けることは大罪だった。
そのような時代を経て、今は(多分)選べる、はずだと思っている。

ソサエティ、社会をよくする行動
自分のいる「社会」について、深く考えたことがないかもしれない。
レ・ミゼラブルに登場する革命行動を起こす学生たち、香港の雨傘革命や台湾のひまわり革命、スコープを”社会”において考え行動を起こす、ということに、神聖な思いを見つけて感動してしまう。
社会というスコープは自分に直接関係ない人や事象も含めて、もっと良くしようと行動を起こすことだ。馴れ合わず、正す。
自身の安泰よりも社会の成長、そういうことのために心血を注げることをとても高貴に感じで、感動する自分がいる。
強い怒りや恨み、歪んだ正義感の場合もあるかもしれないけれど、私が感動するのは、圧倒的な「利他」がそこにあるからだ。
どうしたら、そこまでの視座を持てるだろうか?
社会というのは、反乱分子(レミゼラブルでは学生たちはそう規定されていた)や反対勢力を包摂しながら、そのことで成長していくという皮肉なような健全性をもっている。
なぜなら、一色に思考が染まれば、それはマインドコントロールだからだ。選択肢があることこそ、社会なのだと思う。

Society/Burberry/1991
バーバリーというブランドもイギリスという社会の中で生まれた。創業者はイングランドの陰鬱な悪天候から人々を守るという志で創業したのだから。
そのポリシーが170年近くたった現在にも継承されて、バーバリーという社会が、作る側、買う側双方を巻き込んで形成されている。
成長し、継続するブランドには社会を形成しているかどうか、なのかもしれない。ブランドが人の社会になっている、とすれば、そこにはシステム、文化の共通理解、法に該当するような貫かれたポリシーがあるはず。

この香水自体は魅惑的で強い豪華な香りを放つ花々のソサエティと言える。
ジャスミン、チュベローズ、イランイラン・・・。
これらのフローラルノートのラストノートは香水のラストノートにまでずっと影響している。
そこに絡むシプレーが、バーバリーの歴史も重みを表しているよう。

香り、思い、呼吸
7月25日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。


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