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いつかどこかで・・・願いが叶いますように 12月26日~365日の香水

一年前の今日、「WISH」という香水について書いた。

”願い”の解像度
言葉をどう使い分けるかで、自分の気持ちの解像度はあがる。
「WISH」は「~でありますように」という言葉。”願う気持ち””望む気持ち”から出てくる。
似たような言葉だと「HOPE」や「PRAY」がある。
どちらかというとWISHは、望むけれど”自分の力の及ばないことに対して感情を込めて”使うらしい。
HOPEは、WISHよりもカジュアルでもっと現実的な期待を込めて使うようだ。
PRAYは信仰に基づく。

ハイコンテクストとローコンテクスト
日本語だとすべて「~でありますように」になっていく。前後の文脈や言語化はされないけれど伝える側と受け取る側の関係性で「WISH」なのか「HOPE」なのかあるいは「PRAY」なのか、阿吽で伝わっていくものなのかもしれない。
そういう意味で、言語一つからも英語圏のコンテンツ文化、日本のコンテクスト文化(前者をローコンテクスト、後者をハイコンテクストという方が妥当かもしれない)の違いが出ていて面白い。

願うことは気休めなのか
一年前のNOTEには古代文明の発祥に伴って、人類が宗教的儀式において様々な祈祷、願いをしたことがWISHの原点のようなことを書いた。
例えば月蝕やあるいはオーロラ、自分たちではコントロールできない自然現象を目の当たりにして、「何事も起きませんように」なのか「豊作でありますように」なのか、人々は何かしら願ったはずである。
願う、ことは自然の前に無力な私たちの気休めでしかないのだろうか。
それはわからない。

ハチドリの一滴
自然の力以外にも、人間が自ら引き起こす災い、それが少しでも小さく、少なくなりますように、という思いを誰しもが持つはず。
その願いも気安めなのだろうか。
願い続けることは、思い続けること、あきらめるよりも持続したほうがいい。
それは小さなハチドリの一滴かもしれないけれど、誰かが最初の数ミリでも進めなければ、永遠に現状は変わらない。
だから何もできないけれど、祈りたい、忘れないようにしたい、ということをいつも思う。
同時に、それだけでいいのか、ともいつも思う。

WISH/CHOPARD/ 1997
調香はナタリー・ローソン(Nathelie Lorson)。意識していないけれどこの人の作品も翌365日の香水に登場する。
グルマンノートが彗星のごとく登場しほどないころの作品。
(ミュグレーのエンジェルから遅れること5年)
巧みなグルマンオートと言いたい香調は、ハニーやバニラで暖かみやグルマン~美味しそうな感じを出しつつ、宝石持つきらめきがあくまで主人公になっている。ある種の石の輝きやカット、色合いの中に感じるあたたかみ、スイートさ、それを見事に香りで表現している。
硬質な石にもスイートは宿る。
辛い出来事の中にもあたたかいWISHは萌すと信じたい。

香り、思い、呼吸
12月26日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。

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