レーシングカーの帝王 7月12日~365日の香水
フェラーリの映画
昨日はイタリア出身の現代のファッション界の帝王の香水を紹介した。今日は同じくイタリア、レーシングカーの帝王フェラーリ二について。
「フェラーリ」が先週末公開された。私がフェラーリに関して観たのは本作と、数年前に公開された「フォードVSフェラーリ」の2本。
公開中の「フェラーリ」は1957年にスポットが当たっている。
一方の「フォードVS…」の方は1966年のル・マン耐久レースがテーマ。
それぞれのフェラーリ像
映画の印象だけれど、1957年のエンツォ・フェラーリ氏は長身で、自身がレーサー出身ということもあり、レースについてはそれが必要悪であるような非情さをもって臨む。一方の「フォードVS」の方では、小柄なはっきりと老人と分かる風貌の設定で、現状より夢しかみない頑固な初代という感じだった。
フォードVSでは「レースへの出場は自分が好きなように決める」ことができないと知って財政難の中、フォードとの経営統合を一蹴する。
これに対し、公開中のフェラーリでは、フォードへの身売りをリークし、それを国内からの出資の呼び水にするという策士ぶり。
当たり前だけれど、映画はフィクション。監督の描きたいことに合わせて、キャラクターも時系列も脚色されていく。
危険
改めて、というより厳密には初めて思ったこと、それはレースの世界の危険さ。生死が隣り合わせでレースは繰り広げられていく。どちらも映画と分かっているのに事故がちらついて気が気でない思いだった。
街中を猛スピードで走るレース、狭い細い走行路。一つ誤れば、あるいは何かの不可抗力で、沿道の見物人に車が突っ込むことも十分ありそうで、気が気でなかった。
レーサーたちの世界は私には未知。
こだわりのストーリー
自動車が発明されて、大衆化されて、自動車レースという新しい娯楽、やがてはスポーツができる。
フェラーリは今でいうニッチを狙った創業と思う。
レーシングカーだけを製造する。クオリティにもデザインにもこだわるから、生産台数は会社の経営を継続させる必要台数に満たない。
それでも、納得のいく車、早くて強くてかっこいい、そして美しいレーシングカーでなければならない。
きっとこの、こだわりが”フェラーリの物語”であり、この物語を創り、紡げたから、こんな無謀な起業が成功し、危機を乗り越え名門としての現在になったのだろう。
ferrari/ferrari/1999
キャップとボトルの曲線にスポーツカーの流線型の特徴が反映されているよう
香りはシトラスとハーバルのフレッシュなトップノート。
メンズと明記はないけれど、男性ユーザーを想定してかハーバルの中にラベンダーをほのかに感じ、この部分が疾走感に通じる、という構成。
愛用者は熱烈な信望者であることも多い。
フェラーリの物語に心酔したい人は香りもこれを選ぶのだろう。
情熱そして美学。
香り、思い、呼吸。
7月12日が、お誕生日の方、記念日に方。おめでとうございます。