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毒の似合う時代と自分らしい毒 12月12日~365日の香水
「ふてほど」
今年の新語・流行語大賞が「ふてほど」になったそうで、これは「不適切にもほどがある」というドラマのこと。
ちなみに、4字に省略しておさまりのいい言葉は定着するし省略できることが一つの波及と聞いたことがあるから、(初めて聞いたけど)「ふてほど」も、キムタク、パワハラ、ポケモン、イクメンなどの例にならっていくのだろうか?
1980年代
ドラマは1986年が舞台とのこと。
現在のコンプライアンスでガチガチの世相、社会へのアンチテーゼととらえる人が多い(のかな)。
確かに、職員室に行けば、喫煙しながらの教師と進路相談した記憶があるし、「男らしさ」「女らしさ」などを”普通に”押し付けられていた気がする。男子生徒と女子生徒で教養講座が分かれていて、花の活け方は女子だけでやっていた記憶もある。
自己主張の時代
この時代のファッションはどうだったのか、画像を探すと濃いメークとビビッドな色彩、そして肩を強調するようなジャケット、全体に直線的なライン。1990年代の”ゆるふわ”とは対照的。意外と肌の露出も少ない。
そこからは「戦闘」「競争」「主張」というイメージが浮かび上がってくる。
現在はどうか、どんな言葉が浮かぶだろう。
「共感」「同調」「自粛」・・・。
不自由な時代に示す存在感
どの時代にも隅々まで見ていけば、競争も共感もある。
ただ、なんとなくその時代を覆う空気というものがあって、その空気感が大衆に強いるのが共感だったり競争だったりする気がしている。
そう思うと、まだまだジェンダーやウェルビーイングや公共や、ということについて未発達だった80年代は、今の視点では多くの不適切があったのだろう。その中で、人々はファッションに象徴されるように、存在を示すように色を発し、肩肘張って自分を目立たせ、時代の先端を走るために競っていたように見える。
poison/C,Dior/1985
この時代を席巻した香水がディオールのプワゾン(poison/dior)だった。
1985年に登場し、世界中の都市をこの香り一色に染め上げたと言っていいくらい、爆発的な波及だった。
「毒」というネーミングは、パルファンクリスチャンディールとして「サンローランのオピウム(opiume/YSL)に負けない衝撃的な香水を世に送り出すというミッションからだった。
その通り、ネーミングも香り自体も80年代に、香水史に衝撃を与えた。
”毒”の似合う時代
80年代は「毒」が似合う時代だったのかもしれない。
道徳や周囲への気遣いで委縮するよりも、発動していく気持ちのままに生きる、そのためには強くなる必要があり、強さは自由に、自由は自立につながった時代。
再び、自分らしい”毒”を
闘争にしても休息にしても、そのモードを切り替えるツールが存在する。
香水というのもその一つで、様々なモードに私たちを切り替えさせてくれる。
自由と自立の香水、プワゾンはどうだろう。
それはかつては、自由のための主張だったかもしれない。
現在ならば、自由も自立も共存も利他も、自分で「選択」できるという
「確信」のための存在なのかもしれない。
香り、思い、呼吸
12月12日がお誕生日の方、記念日の方おめでとうございます。
関連のNOTEはこちら↓
「サンローランのオピウム」
「プアプワゾン」と「ダンドゥールプワゾン」