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裸足のイザドラ 10月15月〜365日の香水

アンナ・パブロワとイザドラ・ダンカン
365日の香水(実際はうるう年もあるので366日)のスタートはバレエダンサーのアンナ・パブロワをテーマにした香水だった。

そのアンナ・パブロワも影響を受けたダンサーがイザドラ・ダンカンである。
アンナは1881年生まれ、イザドラは1877年の生まれ。それだけでなく没年はアンナが1931年、イザドラが1927年なので活躍期も人生もほぼ重なっている二人。
具体的に何か互いについて言及があるかはわからない。

瀕死の白鳥の振り付け師とイザドラ
こちらの「奇妙な沈黙」という研究報告では、アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」の振付師であるミハイル・フォーキンがイザドラの踊りに色濃く影響を受けた、となっている。
1907年は「瀕死の白鳥」が発表された年でもあるけれど、イザドラがロシア公演を催した年でもあった。アンナの自宅で催されたパーティに、フォーキンやディアギレフなどバレエリュスの重要な担い手たちが集い、特別ゲストはイザドラだったという。
確か、イザドラはディアギレフのバレエ団のスターだったニジンスキーとは「踊る」とこへの解釈の違いから対立していたと聞くけれど、ディアギレフの方はイザドラの公演を観に行っているし、その後の作品にイザドラ・ダンカン的な表現を取り入れたともされている。
にもかかわらず、この夜の出会いについてなぜか両者とも自分の口では語っていないそうだ。

オリジナリティにこだわりがあった時代
オリジナルに価値があった時代、どちらが先に着想したか、どちらの影響か、というのはクリエイターにとってはデリケートな問題だったのかもしれない。
今は、オープンソースの時代。
発表すれば解明されるような時代だから、ノウハウを抱え持っていても意味はないのと比べると大違い、感がある。

裸足のダンカン~センスオブワンダー
イザドラは感じたことを自由に表現するダンススタイルを創り上げ裸足で踊ったことで裸足のダンカンと呼ばれた。なんだか「センスオブワンダー」の世界である。「撮られる」ことを極端に嫌ったのでほとんど映像に残っていない。彼女にとっては踊りはライブ、観客とのインタラクティブな関係の中で成立するものだったから、「後で」観られることはよしとしなかったのかもしれない。
ロダンが習作として描いたイザドラからは、大地に根差したような力強さとあらゆることから解放されたような柔らかい感性を感じる。
何か大地や自然の中から感じ取ったものを身体を媒体にして人に伝えているような踊るイザドラが想像された。

ISADORA/Isadora paris/1976
パルファンで未開封のコレクション。香りのタイプはオリエンタルタイプ。
オートクチュールにアクセサリーを提供していたデザイナー、ダニエル・プーランのブランド「イザドラ」が唯一リリースした香水。
ブランド名も、この香水ももちろん由来はイザドラ・ダンカン。
ダンサーを象ったボトルはまさに、激しく、自由な人生を生きた彼女に捧げられたもの。

香り、思い、呼吸
10月15日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。


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