ショッキング 11月13日〜365日の香水
昨年、エルザ・スキャパレリについて書いた。
1930年代、ココ・シャネルの最大のライバルであったイタリア出身のデザイナー。
アーティストとの関係も深く、ライバルのシャネルがパトロンという形で関与したのに対し、スキャパレリはコラボという形をとった。
サルバドール・ダリとコラボしたエビのドレス、ジャンコクトーとコラボしたコート。
未読だけれど、スキャパレリの自伝は松岡正剛の「千夜千冊」にもとりあげられていた。
スキャパレリの引退について、ユーべルド・ジバンシーが衣装を担当したオードリー・ヘプバーンの映画「麗しのサブリナ」がトリガーになった分析があって独自性が面白かった。
ショックとインパクト
シャネルのインパクトとスキャパレリのショッキング
あらためて、ライバルといわれたシャネルとの対比の中でスキャパレリをとらえていくと、ショッキング・ウーマンの名を欲しいままにしたスキャパレリに対し「私が創ったのはモードではなくスタイル」(モードは時流により変わるけれどスタイルは不変)と語ったシャネル。
前者は衝撃(ショック)を与え、後者はインパクトを与えた。
経営気質と芸術家肌
スキャパレリは1950年代にメゾンを閉じたが、シャネルは入れ替わるように復帰し、シャネル王国は今もゆるぎない。
企業は社会にインパクトを与えることで存在し続けられる。一方で個人のパフォーマーやアーティストは衝撃を与えることが社会における誕生になる。
意識していたとは思わないけれど、シャネルには経営者的な気質があり、スキャパレリはあくまで芸術家肌だったということかもしれない。
時間経過と刹那
インパクトというのは、時間経過とともに基本は良い影響を及ぼし、何かを変えていく力だと思う。
それに対し、衝撃は刹那的でそれが良いものか悪いものか、受けた側、与えた側の関係性の中で変わる。
戦前戦中のスキャパレリは衝撃的だった。見たもの触れたものを次々に斬新なファッションとしてアウトプットした。
刹那的なクリエイティブ。
戦後の文脈
戦後、パリに戻った時、彼女は本当にやりたいこと、湧いてくるインスピレーションを一旦わきに置いて、シンプルなデザインを手掛けた。
戦後復興に必要な流れを彼女はそう捉えたのだろう。
先に引き合いに出されたジバンシー、そしてニュールックのディオールは優雅な遊び心のあるデザインで注目を集めていた。
シンプルを挟んで再び幻想へというスキャパレリの構想した文脈は、それらの前にふるわなかった。
ショッキング・ウーマン
そう呼ばれた彼女の人生そのものは、衝撃の連続である。
鮮度を落とすことなくショックを与え続けたクリエイター。
彼女の衝撃作は実はその後、他のクリエイターにより再解釈されたり、流用されてりして愛され続けている。
1973年11月13日に生涯を閉じた。
SHOKING/Schiaparelli/1936年
顧客であった女優メイ・ウェストのボディを象ったボトル、頭部はなく代わりに花で飾られている。
小さいころから容姿にコンプレックスがあり、顔を華に変えたいと願っていたことの投影だろうか。このボトルがよく知られている。
私のコレクションは、パルファムエキストレの小さなサイズなので、何かのセットに入っていたものかもしれない。
ラベルはショッキングピンクで、これはスキャパレリが世に送り出したピンク(マゼンダに少し白を混ぜた色)。
かなり液体が揮発してしまったけれど、あって良かったと思う貴重なコレクション。
唯一、スキャパレリと私をつなぐ香水。
香り、思い、呼吸
11月13日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。