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師弟のマーケティング観

「人は描かれた絵を鑑賞する」
「香りの創造においてマーケターが何の役に立つわけ?消費者の声?あのさ、ピカソにオーダーする時、クライアントはそれがどんな作品になるかを想像できていると思う?人は描かれた絵を鑑賞するんだよ」

「個人商店の時代は終わり、香水はグローバル産業の時代になったのだ」
「経営者が特定の人のためだけに供給していればよかったビジネスの時代から不特定多数の顧客のニーズを知ることが必要な時代に移行した。マーケティングは香水ブランドを発展を促すものだ」

香水、芸術的であり、芸術品ではなく
「形のないアート」香水はそれ自体が一つの完成された芸術品と受け止めている。アンティーク香水を手に取るとそのことが如実に伝わってくる。
20世紀の半ばくらいから、そこに”マーケティング”という概念であり手法が入りだした。
先の言葉はマーケター不要論に聞こえるけれど、厳密には顧客に差し出すべきものを知りえるのは調香師だけというスタンスからの言葉だ。
その次に紹介したものは、あきらかにマーケティングは香りの創造に必要と言っている。厳密には70年代以降、マーケットのグローバル化に伴い、香水産業でもマーケティングが重要になったというもの。

近代香水の時代 香水は調香師の「表現」そのものだった
両者言葉はともに頷ける。香水は本当に芸術的だし、芸術品と言ってもいいと私は思う。同時に、一定の”ロット”が消費されなければつまり不特定多数の顧客に受け入れられなければ、世に出ることも、世に出て存在し続けることもできない。
はるか昔、近代調香の父といわれたジャックゲランや20世紀の天才と謳われたエルネスト・ボー、革命児フランソワ・コティの時代には、限りなく芸術品に近かった。調香師の抱いたイメージと調合技術へのチャレンジがダイレクトに香水に投影された。かれらの「表現」そのものだった。
シャネルのNO.5 ,ゲランのシャリマーやミツコ、コティが祖となったシプレ―という香調。

ミッドセンチュリー以降のマーケティング
1966年にフィジィ(FIJI)という香水がファッションブランドのギ・ラロシュから出た。明確にマーケティングで成功した最初の香水と言われている。
香水は、マーケティングの結果を反映して創られるようになっていく。
一つ一つの製作に時間をかけるような伝説的な香水は登場しなくなり、香料会社がブランドのコンペに落選すると、違うブランドのコンペに出す、ようなことも普通になり、市場に出回る香りの傾向に類似してきた2000年代。

今あちこちで勃興しているニッチフレグランスには、逆にマーケティングのしがらみから解放されて調香師が創りたいものを創った、というメッセージが目立つ。けれど、唯一無二の芸術、出会ったことのない驚きが、そこにあるかどうかは、私には断言できない。マーケティングをしていない、とも言いきれない。

エドモンド・ルドニツカとジャン・クロード・エレナ
現在の巨匠として知名度も実績もある調香師にジャン・クロード・エレナがいる。エルメスの主任調香師を長くつとめ、今はニッチフレグランスにその創作を提供している。マーケティングが香水産業のグローバルな発展には必要だと言ったのは彼である。
そのエレナが尊敬していた調香師にエドモンド・ルドニツカがいる。ディオールのディオリシモ、ロシャスのファムなど確固たる評価を得る数々の香水を創造し歴史に名を刻んだ人だ。
「顧客は描かれた絵を鑑賞する」と言ったのはこのルドニツカである。

芸術性かマーケティングか
この問題は、”至高の芸術”を目指すマインドと”支持される(=売れる)”ためのプロセス”とがせめぎ合う問題だ。
それはちょうど、”アイデア”と”企画”の関係に近いものといえる。
企画は実現して成果を伴わないといけないものだけれど、その中にはキラリと光るアイデアが真ん中にある。
企画には予算や納期やニーズや類似品など様々な要件が絡む、マーケティングと切り離せない世界だ。一方アイデアは大抵の場合、自分の「スキ」「価値観」「芸術性」から出発する。
このアイデアだけでは物事は”実現しない”。同時に、価値観からスタートするアイデアが抜けていても企画の実現はできる。
けれどきらめくアイデアの抜け落ちた企画は、予定調和で既視感があって、人に驚きも与えなければ、崇高さもそこに宿らない。

芸術性の宿らない香りはつまらない。と私は思う。
香り、思い、呼吸。

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