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深淵の向こう側 11月6日〜365日の香水
「深淵もまたこちらを覗いている」
ニーチェの言葉に「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」という言葉がる。彼の著書『善悪の彼岸』に登場するのだそう。(未読)
私にとって「深淵」は、存在は知っていてもあまり使わない言葉だった。
物理的には底なしの奥深さ、具体的には深海や洞窟などだろうか。
心理的には感情、時に絶望の深さをいう時に使う。
別の文脈では宇宙や神秘的なものに対しての比喩にも使う。
思考の深淵と浅瀬と
先日ストレングスファインダーのコーチが「ものを深く考える、深海まで行く人と、浅瀬でわいわいする人といるけれど、これは資質の違いだけ」という話をしてくれた。
その時、私は間違いなく自分は「浅瀬派」だと思った。
ものを深く考えるという概念も実感も、わからないのだ。
ジャベール警部
ニーチェの言葉にもどると、深淵がこちらをみているというのは、相手を見ているつもりがいつの間にか、自分自身の暗い側面を発見するということらしい。
ヴィクトル・ユゴーのレミゼラブルで己の正義で凝り固まった警部が逃亡犯の主人公を追ううちに、いつしか相手の許容、慈愛に取り込まれ自身の存在を疑うまでに追い込まれる、というのもそういうことかもしれない。
彼が身を投げたセーヌは、深淵の象徴だったといえる。
砂の女
かなり昔に読んだので妥当かどうか自信がないけれど阿部公房の『砂の女』で、最後に脱出を放棄する主人公もいつのまにか砂の女に取り込まれてしまったのかもしれない。
そういえば、阿部公房の作品は、「燃え尽きた地図」などいつのまにか”そちら側”に取り込まれているという主人公が多い気がする。
深淵と威厳
中国で古代から様々な芸術のモチーフになった龍は、深淵に潜む。
不気味であり恐怖であると同時に、神秘的で人智の及ばない存在としての威厳に満ちている。
深淵は恐ろしい力で人を取り込んでいくだけでなく、そこに潜む神秘や崇高な存在もある。
悲しみにしても、そうでないにしても人の心の深淵に触れるとは何か侵しがたい神聖な領域に触れたような感動があるはず。
浅瀬派には到達しえない境地。
Abime/Maison Violet/2022
ウッディノートの深淵、ということだろうか。
シダーウッド、サンタルウッド―、香木系の重なり、木心と樹脂と、そして
小気味良いスパイス。
調香師ナタリー・ローソン(Nathlie rorson) の調香世界に、取り込まれていく。
それはまるで、木々の宇宙のよう。
深まりゆく秋の味わい。
香り、思い、呼吸
11月6日が、お誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。