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生きる 9月11日〜365日の香水

バックパッカーだった友人
私の友人でバックパッカーの旅に出て、その最終地に選んだアフリカで、2年の旅を終える計画だった人がいる。
結果、彼女はアフリカ(マラウイ→モザンビーク)を離れられず、数年が過ぎ、現在はNPO法人を設立し、複数地域にまたがって、孤児や女性支援をしている。
なぜ、そうなったのか。
最初は「アフリカはやはり怖いし数週間だけいて、すぐ立ち去ろう」というつもりだったという。
それでエチオピアの施設でボランティアを最後にしてバックパックの旅を終えることにした。
施設は、様々の病で後は死を待つだけのような方々が運び込まれてくる絶望的な場所だったようだよ
それでも、目の前にいる人を助けたい、何か役に立ちたいという思いだった。
友人は。医療の専門家でもなくて大きな社会課題意識を持ってそこに出向いたわけでもなく、何となく行ってみたら、“自分の目の前で苦しむひとを放置できなかった‘、それだけの理由で、十数年アフリカのための活動が続いている。

社会に出て数年の娘が、パックパックの旅に出たまま10年近く帰国せずアフリカにいる。ご両親もかなり心配だったはず。
それでも、「人生を選ぶのは本人」として、尊重し見守る姿勢を一貫されていた。
それでも、連絡が取れない時期が長く続くと居ても立っても居られない様子だったこともある。
そのご両親のことを思うといつも「生きる」ということについて、立ち止まって考えさせられる。

生きる目的、死の意義
とても尊敬できる人だけれど、最もインパクトのあることは、毎日のように人が死んでいく環境の中、一人一人の死に毎回毎回、悲しんで、もっとできることがあったのでは、と気持ちの揺らぎが起きること。このことに私はとても神聖な驚きを覚えている。
人の死とはいえ頻繁に遭遇する環境にいたら、どこかで感覚が麻痺しそう、その方が自然なことにさえ思えるのだ。私なら、気持ちが摩耗して人の死に対する”慣れ”が生じそうな気がしている。

生き延びることそのものが目的であった時代から、生きる意味を求めるようになった人類。それは死ぬことに意義を求めることになったことも言える。

vivre/molynuex/1971
アルデハイドタイプ。生きる躍動感というよりも、生きることや死について、問い、深く考えるようなテンションの香水。
グリーンフローラルノートに先行して立ち上がるアルデハイド。
懐かしい感じと今日的な感じの同居。

香り、思い、呼吸
9月11日が誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。

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