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巨人とマドモアゼル、巨人とイノベーター 9月10日〜365日の香水


伝説の衰退 

シャネル帝国は二度、衰退の危機に陥ったことがある。最初はココ・シャネルが第二次世界大戦時に香水の販売以外の事業、つまりファッション部門をクローズし、さらに戦後はスイスに隠遁していた時期。シャネルというメゾンは終わっていた。1954年に電撃的に復帰した時も、シャネルはパリでは「過去の人」と酷評された。
しかしアメリカでの高評価をきっかけに再浮上し、あのシャネルスーツを発表するなど完全復活を果たした。

再び、伝説の衰退
二度目の衰退期はココ・シャネルの死がきっかけで訪れる。
1970年代から帝国の衰退が始まる。
シャネルという人は、後継者ということを念頭においていなかったように思える。彼女の言葉に「私が創ったのはモードではなくスタイル」というのがある。流行ではなくカタを作った、それは普遍ということだろう。
懐古趣味のディオールのニュールックも、悪辣なマリークワントやカルダンのミニスカートも趣味の悪いモードに過ぎず、自身のカタは普遍、と思い込んでいたように思える。
そのせいか、マドモアゼルなき後のシャネルは苦戦する。
どうも、この当時の常識としては、メゾンというのはそうやって終焉していくものだったらしい。
確かに、スキャパレリもヴィオネも復活のないまま終わった。

マドモアゼルと巨人〜伝説の復活
この常識を変えた人が、ファッション界の巨人と言われたカール・ラガーフェルドだった。
ある意味、今日のシャネルブランドの圧倒的な存在感の功労者はシャネル以上にラガフェルドだったと言い切ってもいいかも知れない。
力をうしなったメゾンの復活というのは、彼が史上初めて成し遂げた偉業だった。
なぜ成しえたか?
カールラガーフェルドの才覚に尽きる。
重要なのはその才覚に「文脈を把握する力」が際立っていたことと、私は思う。

「シャネルっぽくない」
ラガーフェルドはとてもパッショナブルであると同時に冷静な人だったのだろう。
新生シャネルのためにいくつものデッサンを描き、絶賛もされる。それでも彼が実際に製作に踏み切らなかったクリエイティブがいくつもある。理由は「シャネル的ではない」から。この言葉をマドモアゼルが聞いたら、どう反応するだろう。
静かに微笑んでしたり顔をするのだろうか?それとも「あなたに私のスタイルの何がわかるの?」と苛つくのだろうか?

革新者と巨人
カール・ラガーフェルドの服飾学校での同期生にイヴ・サンローランがいることは有名な話。
前にも書いたけれど、二人は同じ男性を愛した過去がある。

モードの帝王サンローラン、皇帝ラガーフェルドのような紹介のされ方もあるけれど、革新者サンローラン、巨人ラガーフェルドというのがパリでの異名のよう。


KL/karl lagerfeld/1983
シャネルとの関わりばかり書いたけれど、巨人はシャネルのお抱えでは当然なく、先に自身のハウスを成功させていたし、その後主流になる自ブランドと老舗メゾンの二足のわらじで巨人であった人。
自身のブランドであり自身のイニシャルを冠したこの香水は、先のnoteに書いた通り、縁の深いサンローランの顔と言える香水「オピウムopium」と同じ系譜。
スパイシーなオリエンタルタイプ。
オピウムよりレジン系が際立ち、スパイシーな要素は抑えられている。
その点でサンローランのオピウムが東洋的であるのに対し、ラガーフェルドのKLは古代地中海世界的である。
巨人は1993年9月10日、ドイツハンブルグに生まれた。

香り、思い、呼吸。
9月10日が誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。

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