わからなさのミシア 10月28日〜365日の香水
ココ・シャネルの唯一の女友達
ミシア・セールについて、noteに書くときが来たら、いくらでも書くことがあると思っていた。一年くらい前に、思いつくままに書いた。
このnoteにはいくつか間違いがあって、例えば自分から遠ざけておいて、再び近づいたアーティストというのはピカソではなくヴァイヤールだった。
それ自体がココ・シャネルの回想で語られたことだけれど。
ココ・シャネルが「唯一の女友達」と言った人。
下品なポーランド人
ポール・モランによるシャネルの回想録では、“ひどい言われよう”だった。
オペラの途中で飽きて「長い」とあけすけにいい他の観客の顰蹙をかったこと、シャネルのエイプリルフールに引っかかったことに腹を立て、直後に体調を崩したシャネルを見舞わなかったこと、シャネルの叔母のところにシャネルのゴシップネタを仕入れに行って、叔母から「下品なポーランド人」と批評されたこと。
そもそも、最愛の人ボーイ・カペルが事故死した直後の出会いについても、「蜂が花の蜜に吸い寄せられるように人の不幸に吸い寄せられた」という言い方をしている。
わからなさ
それでも、俗っぽくて一貫性がなく、はちゃめちゃなミシアはとても魅力的で、他の誰にも感じたことのないインパクトを覚える。
ミシアの中にたくさんの女性がいる、と回想で語られていたように強烈で衝動的で魂胆が透けて見えるような言動の中につかみどころのなさがある。
自分に理解できないものを愛した、というミシアは自身をどんなふうに理解していたのだろう。
ミシアそのものを扱ったコンテンツがほとんどないこともあって「わからなさ」が魅力の一つなのかもしれない。
宝石や別荘などの“財”ではなくアート、アーティストに自分の人生の価値を置いたミシア。彼女自身は作品を創ることはなかったけれど、共に時間を過ごせば、ミシアという体験そのものがアート体験になったのかもしれない。
misia/chanel/2015
新しい活動のことを考えはじめ、久しぶりに訪れたカンボン通りの本店。そこで出会った新作がミシアmisiaだった。パウダリックなフローラル、レザリーなオリスとバルサムのアコード、そしてヴァイオレット。私の好みにとって完璧な香りだった。
そして何より「わからなさ」故にその存在を知った時から興味の尽きなかったミシアに由来するというストーリー。
調香師は主任になったばかりのオリヴィエ・ポルジェ。その立場もセンスも父のジャック・ポルジェから継承した。
出会った瞬間から申し分ない香水になった。
それでも、ミシアのほんの一場面でしかない。
ホログラム
ミシアのような言動に、あるいは似たものに遭遇することはあったかもしれない。
けれどミシアに似た人には会ったことがないし、きっといない。
ミシアの中にたくさんの女性がいるというのは、ホログラムのようなもので、一つ一つが完成されたものが集合体となって彼女ができ、一つは常に増殖するから、彼女は完成しないまま、なのかもしれない。
香り、思い、呼吸
10月28日がお誕生日の方、記念日の方おめでとうございます。
そして私。
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