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人知れぬ思い、「私の話を聞いて」 11月7日~365日の香水

100人に聞いてもらうプロジェクト
ずいぶん前のこと、私は失意の底にあった。
世の中の何を見ても失ったものを思いださせ、悲しみしかなかった。
ふと、行き場のないこの気持ちを100人に話せば、
話すことに飽きて、そのことでこの悲しみ、失意にも”飽きる”のではないか、と仮説を立てた。
10人では効果はなさそうだった、100人ならば、と思った。
結果は惨敗した。
100人に話すどころか、確か、3人、4人で挫折したのだった。

聞いてなどもらえない
何故挫折したか。
とことん話を聞いてもらえなかったからだ。
私が言いたいことの1割も話さないうちに、相手(聞き手)はアドバイスや見解や結論を言う。
そこには相手の主張も当然盛り込まれているから、いっぱいいっぱいの心の裡をろくに吐き出せないまま、相手の主張をあらたに押し込めなければならなかった。しんどすぎて、わずか数人でとん挫した。

聞いてほしいとは
数年前にベストセラーになった『LITSEN』、ここにこんなことが書かれていた。
「もし相手の話が肩先から始まって、指先で終わるとしたら、あなたはどの時点で質問や助言を思い浮かべますか?」という問い。
多くは肘のあたり、つまり話の半分くらいですでに落としどころが見えて、質問や助言を想定し始めるという。
しかし、「聞く」においての正解は「指先」である。
すべての話を聞き終えてから、思考開始であり、聞いている間は聞くに集中する、ということだ。
人はたいていの場合、最後は自分の中から解を見つける。
「聞いてほしい」時に欲しているのは「相手の解」ではなく、「自分の解」へのサポートだ。そサポートこそ「聞く」ということだった。

「私の話を聞いて」
この言葉で浮かんできたのは、私が連想したのはドゥニゼッティのオペラ「愛の妙薬」のアリア「人知れぬ涙」だ。
主人公が、愛する村の娘が自分のことを好きでいると知った時の心情。
好きという告白はなくても、彼女の流した涙が彼には伝わった。
娘は「私の思いを聞いて」と訴える代わりに涙を流し、男は愛のためなら死んでもいいと思う。
明確に命令のように「聞いて!」といわれることに思いの強さも感じるけれど、人知れず言外の言に滲む「聞いて」には思いの深さを見る。

Ecoute moi/Molinard/200?
南仏研修のお土産にいただいたのは2000年代のことだったと記憶している。
モリナールは19世紀にグラースで創業した老舗で、フラゴナール、ガリマールと共にグラースの三大香水・香料ブランドといっていい。
南仏の明るく元気な花々が同じく地中海性温暖気候に育まれた柑橘系の香りに引き立てられて、洋々とした骨格を形成している。
今日的なフローラルノートにバルサムやバニラが加わり、フローラルオリエンタルのニュアンスも持つ。
この香水の名は「私の話を聞いて!」の意味。
明るい色のパッケージや、オレンジのボトルデザインなども加勢して、
切なる願いよりも嬉しい告白を聞いた後の喜びに満ちた香り。

香り、思い、呼吸
11月7日がお誕生日の方、記念日の方おめでとうございます。



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