ゴルティエ依存、そして意固地、なりたいものを自由に選ぶこと
風邪をひいたら風邪薬、筋トレならプロテイン、というように、状態に合わせて香水に助けてもらう日がある。
春の霞みたいに脳内がモヤッとして散漫な日はビターオレンジがきいたオーデコロン、
果てしなく疲れた夜は糖分を補給するかのように、バニラとヘリオトロープのスイートフローラル…。
このところずっと、依存していたのが、ゴルティエ。
Le femmes de Jean paul gaultier。
一昨年にパリで見たゴルティエファッションフリークショーの中で、彼はこんなメッセージをくれた。
“自由でいて、楽しむために”
楽しむために自由でいて…
どうしようも無い窮地の中、そのメッセージにすがった。
ゴルティエに頼って、自分を信じる微かな望みにすがる毎日は、ちょっとワッツが描いた”希望“に似た心境だった。
何も見えず、音だけが世界なのに、手にした琴に弦は一本しか残ってない。
それが希望ということだと画家は言う。
自由だ、楽しめるんだ、世の中にたった一人ゴルティエがそう言ってくれているから、今日も起き上がって、立ち上がって、足を一歩前に出してみる。
そういう日々が続いたある日、棚の奥にある別のコレクションが目に止まった。
Ma Liberte / Jean Patou
マリベルテ、私の自由。
使った記憶はない。どんな香調かも記憶がない。
自由という言葉から連想した清しい緑の香りとか、思い切り拡散していくようなアルデハイド…。
想像とは全く異なるスパイシーでパウダリーでオリエンタル。好みが分かれ、主張が強いけれど、重く物静か。。
ああ、そうかと思った。軽やかに清々しく拡散していく自由もあれば、意固地で取っつきづらくて、ツンとした、けれど腰の据わった自由もある。
私の中でしっくりくるのは、”テンション低めの自由”(でも、モチベーションは高い)
私が密かに憧れてなりたかったもの。
“逆境になるほど活力の出る人、ピンチが楽しくて、むしろ平穏だとつまらなくて物足りない、って言う人”
バイタリティは血液型みたいなもので資質だから、努力で変わるものではない。
バイタリティ低めの私はだからいつも、逆境と自分のエネルギーに折り合いをつけて、なんとか泳ぎ抜いてきた。なんとか、流されても、次の岸に気づけば打ち上げられていた。
自信も確証もないから、流れの激しい急流に放り出されることが、いつも怖かった。
Ma Liberte、 私の自由、
私に決める自由があるなら、
逆境にモチベーションを高める人をやってみよう、私の自由で。
香水からのメッセージがちゃんと届けば、その時その時間、
香りが私を、なりたいものにさせてくれる。(といいな。)
今、私はギラギラはしていないけれど、少しの面白さ、ちいさなワクワク感とで戦場のような毎日に向かい始めている。