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抗えないタブー 12月27日~365日の香水

それはポリネシアからやってきた
初めて知ったけれど、タブー(TABU)という言葉は元々ポリネシアの言葉で、それが19世紀になってヨーロッパに入り、使われるようになったそう。
ポリネシアでは、TABUまたはTAPUで、文化や宗教上からくる禁忌事項のことだった。
確かにインドヨーロッパ語系の言葉とは異なる語感、微妙に”タブー”か”タプー”かでも印象が違って面白い。
ポリネシアのタブーは、「王族の前でものを食べない」「死者の名を呼ばない」など、彼らが考える”神聖なもの”に対して軽々しい態度をとらない、というもののようだ。
仏教では戒律というものがあるし、ユダヤ教にも十戒がある。キリスト教の教えでも”してはいけないこと”がある。
これらは悟りや神に身をささげるうえでの禁忌だけれど、ポリネシアのタブーは、社会秩序を守るためにあることが少し違っている。

侵すべきタブー
タブー、この言葉はポリネシア文化圏外に、十分に浸透したと実感できる。
「政界のタブー」から「それを聞くのはタブー」まで、事の重大さから気軽さまでバリエーション豊かに使われるようになった。
今はそれぞれの文化圏においての「社会秩序」のもとでタブーが存在しこの言葉が使われている。
”それぞれの文化圏において”というのが人によっては好都合で、政界にいる人間たちの秩序、友人関係における秩序、と勝手に「ここ」においての秩序とそれに伴うタブーが設定できるのだ。
それは広い意味での社会秩序とは乖離することもある。
袖の下のやりとりが秩序であるという一群もあれば、あえて事実を確認しないでおくということがその場の秩序になることもあるのだろう。
そこを侵すのがタブーだから、やっぱりタブーには守るべき時と、破るべき時がある気がする。
「そんなことが通用しているのはあなたたちだけの世界」と。

侵すことが魅力
アダムとイブの禁断の果実もそうかもしれないし、鶴の恩返しの夫もそうだけれど、どんなに言い含められても抗えず「禁を侵す」ことがある。
私が思うに、禁を侵すことと、その代償はいつも同量なのではないか、と。
果実を食べて羞恥心という感情を持たされたけれど同じくらいにやはりその果実は美味しかった。機を織る姿を覗き見たことで妻を失うけれど、知りたい欲求は同じくらい強かった。
この”同じだけ”という条件がコンフリクトした時にタブーは生じる。
魅力的なタブーとは、”してはいけない”のではなく”どちらにするかの選択”と言えるかもしれない。

TABU/DANA/1929
オリエンタルタイプの古典で、スパイシーでパウダリック、このパウダリックな感じがなんとも独特なこの香水の特徴。
リニューアルされながら、継続しているタブーだけれど、1940年代くらいまでのものはこの独特のパウダリー感が一味違う。
発売時の広告ヴィジュアルは単語を踊りながらキスをする男女。
お互いが神聖な存在、不可侵であったことを打ち破って、というメッセージだろうか。
タブーを飛び越える、飛び越えるために存在するタブー。
飛び越えることはあなたの選択・・・そんな気持ちへ誘う香り。

香り、思い、呼吸
12月27日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。


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