渋谷図書館の閉館と私
①上京
私が上京したのは、コロナ禍前だった。街を歩けば、多くの人とすれ違い、田舎育ちの私を驚かせた。
当然だが、この東京という土地で友人はいない。日当たり悪しの1Kのアパートと最寄りのスーパーマーケット、無駄にオシャレな大学を三角形を描くように往復するだけの生活だった。
そんな私の唯一の楽しみは、「読書」だった。1人でも楽しめるからという安直な理由だ。
当時、遠く離れた両親からの仕送りで生活していた。本を無暗に買う経済的な余裕は無い。「読書」をするために、自然と図書館へ行くようになっていた。
その図書館が、渋谷区立「渋谷図書館」だった。煉瓦造りが印象的な立派な外観。チャラチャラとした渋谷のイメージとはかけ離れた、古風な建物であった。渋谷駅から徒歩圏内にも関わらず、高級住宅街に隠されるようにして、ひっそりと開館していた。初めて訪れた時は、渋谷なのにキラキラしていないなと思ったことを覚えている。
大学の帰りや休日などに、ふらっと訪れて、数冊を持ち帰る。それを、リュックに詰め込んで、大学の屋上のベンチで読む。こんなに幸せな「読書」をさせてもらった。
夏はジメジメしていて、冬は寒い。冷房がきちんと機能しているのかも怪しい図書館に、私は何度も通った。その度に、数冊の本を借りて、また返すを繰り返した。江國香織の『東京タワー』、池井戸潤の『下町ロケット』など、東京の本を東京で読む贅沢をさせてもらった。
私は、館内で「読書」をすることは、ほとんど無かった。古い施設特有のそもそも席を用意しないという、これまた無骨で古風なシステムであったので、できなかったが正しい。加えて、冷房はバカになっており、それに釣られるように照明も元気がない。さっさと借りて出ていけと言わんばかりの渋谷図書館が、私は大好きだった。気付けば、行動ルートが三角形から四角形に変形していた。
そんな私も、大学を卒業する時が来た。地方への就職を決めていたので、上京生活は終わりを迎えた。渋谷図書館ともしばしばのお別れとなったが、特段、寂しくはなかった。当たり前にそこにあり続けるモノだと思っていた。
②出張
社会人となり、働き始めるとすぐに、コロナ禍となった。汗水垂らしてガムシャラに働く中で、次第に渋谷図書館のことを忘れていった。東京へ行くことさえも憚られるような状況の中、東京のことを思い出す必要も無くなっていた。
そんなある日、出張で東京に行くこととなった。出張が多くあるような会社では無く、ましてやコロナ禍だったので、学生の時以来の東京であった。出張は日帰りであったが、私は自費でホテルを取った。後泊をして、翌日に懐かしの渋谷を散策しようと計画していたのだ。
東京での仕事は無事に終了し、晴れて翌日、念願の散策をすることができた。日が全く当たらない1Kのアパート、割引シール付き惣菜にお世話になったスーパーマーケット、無駄にオシャレな大学。三角形を描きながら歩いた。どこも相変わらずであった。
ふと、三角形ではなく、四角形を描き歩いてみたくなった。街並みを眺める中で、渋谷図書館を思い出したのだ。特に本を借りるわけではないが、訪れてみようと思った。借りないなら出ていけと、無骨な対応をされるだろうか。きっとされる。わざと空調を止めるくらいなら、渋谷図書館はやりかねない。私は、心を躍らせながら渋谷図書館に向かった。
しかし、そんな無骨な対応は全くなかった。対応がなかった。
渋谷図書館は閉館していた。
ゲートが閉じられ、返却ボックスの口には密閉シールが貼られていた。辛うじて読める営業時間の看板を隠すように「閉館しました」と張り紙がされていた。原因は、老朽化のためらしい。
当たり前に会えると思っていた存在がもういなかった。特に別れの挨拶もしないまま、もういなかった。煉瓦の建物は健在ではあったが、もうあの暗くて暑くて寒い部屋には、二度と踏み入れることができなかった。
渋谷図書館が夕日に照らされていた。時間が許す限り、私はそれを眺めた。煉瓦に夕焼けが映る。初めて、キラキラしていると思った。