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音楽劇「鬱憤」 by 幻灯劇場

TVer で グレショーの「鬱憤」by Aぇ! groupを見て 引きずられるように新宿で 幻灯劇場の「0番地」を見て ついに堺まで行ってしまった。

グレショーの「鬱憤」は今年の1月から2月
「0番地」を観たのは3月
なんだか遠い昔のことのように感じる。
私の記憶力に問題がありすぎる、のは置いといても、感覚・感情というのはかなり一時的なものではないかと思う。
いちいち引きずってたら大変だしね。
それもあって 堺の「鬱憤」は 初めて見る物として見た。

あれは何cm? 70cmくらい? やや高さのある舞台の前方と後方に紗の白いカーテンが吊るされている。 道具はあと段ボールの箱くらい。
舞台の右側にはピアノがあり。左右にはスタンドマイクがある。
つまり素気ないほどにシンプルな舞台装置。
演者は肉声で演じる。
それがドラマ性を抑制し 日常の延長 自分の生活の中にある風景のように感じさせる。本当は結構特殊な設定もあるのだが。

この日常に溶け込むような演出がそうさせるのか?自分の認知がそうさせるのか? 軽やかだった。 流行病がすべてを止め、引きこもった日々を「振り返ってみました」という印象があった。
あの時にあった焦燥感や不安にはベールがかけられていた。
それでいいんだと思った。この芝居を作った時には 現在進行形で生々しい感情の吐露だったかもしれないが、いつまでもそこに居るのはよくないもの…

と思いながらたどり着くラストシーン
"留守電きいたよ…..
長くのばされる糸電話を背景に歌が始まった途端 私の中ではベールがはらわれました。個人的な体験 (コロナ禍のそれではない) ともリンクしているのだと思う。大事な人を失うかもしれない恐怖と それを受け入れざるを得ない場合もあるという悟り(?)みたいなもんと 現実にはそうはならなかった安堵とが じゅわっと蘇る。 強いですね、音楽って。

さて グレショーと比べてどうか?というと、どこかで誰が言ってたように、グレショーは舞台であると同時にTV番組なんだ という事がよくわかった。
Aぇ! groupは アイドルならではの何かを持っているし 消化力も高いし、だからTV番組として成り立っている。
対して幻灯劇場 の舞台は あくまでも 幻灯劇場 の舞台。
演出の藤井さんに「そこはもっとマサカドで」と言われたというエピソードや、衣装に対応する役を演じたAぇ! groupメンバーのメンカラを入れてくれるサービスもあったけれどね。
別物ですね。
役に合ったキャラクターは共通するところもあり、たとえば 番組中の役決めのシーンで「晶哉は可愛いから優弥役で」と言ってたように、幻灯劇場の優弥も可愛かったです。
古崎さんはリチャくんよりも しっかり者でちょっと安心した。
優弥がいなくても、大丈夫と思えたから。

<<蛇足>>
堺 初上陸だったと思う。 小さい頃の記憶が全くないので、たぶんそう。
昼に松竹座で舞台を見てから スマホを頼りに行ったのだが、何を間違えたのか?動物園前で乗り換えろ という案内に従ってしまって難儀した。
(おかげで阪堺線 という音だけ聞くと!?な電車の存在も知った)
住吉大社に 立ち寄って (16時には閉まる……) 古そうな街を抜けて 南海線に乗って堺東。 
大晴くんのお父さんの店で腹ごしらえして (繁盛してた。あのメニューは繁盛するやろ)  遠いなぁと思いながら辿り着いた フェニーチェ堺 、立派な市民ホールでした。 プチアドベンチャー 書いとかないと忘れるから。
堺って なんとなく川崎っぽいと思いました。



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