いたずら者が? いたずら者に?
小学校での、授業中のことである。先生が教科書を読み進むのを、生徒たちがそれぞれに目で追っていた時のことだった。教室の後ろの方から「火事だ!」という声があがった。驚いて、先生も生徒も、みな一斉に窓の外を見やった。
ん? ……、どこにも火の手はおろか、煙すらも立っていない。先生が窓辺へ行くと、同じように席を立って行って、身を乗り出して外をきょろきょろ見回す者も何人かいた。しかし、どこにも火事と思しき気配がまったく無い。
誰もが不審な思いで、こんどは「火事だ!」と声を発した級友のAくんを見やった。教室のいちばん後ろの席では、Aくんとそのお隣のBさんとが、真っ赤な顔をしてみじろぎもしないでうつむいていた。
先生に問いただされて、Aくんが白状した。先生の目の届かないのをいいことにして、二人で〈つねりっこ〉をしていたのである。軽くつねるところから、だんだんに強くつねっていって、どこで〈痛い〉と感じるか――という戯れをしていたのだった。そうして、Bさんがお返しにと腕を強くつねったものだったから、Aくんが思わず「感じた!」と声を立ててしまった。その「感じた!」が、みんなに「火事だ!」と聞こえたのだった。
……といったような筋の話を、むかしある本で読んだことがあって、細部には記憶の錯誤もあろうけれど、そのおもしろさに撃たれてしまって、未だに忘れかねている。
ところで、右には共通語に準じて〈つねりっこ〉などと書いたのだが、その「つねる」〔抓る〕という行為をいう表現は、土地土地によって、なかなかにバラエティに富んでいておもしろいのである。
北の方から少しばかりだが、紹介してみよう。北海道では概ねが「つねくる」だが、青森地方では「すねずる」といい、秋田などでは「しんにぎる」といい、福島県では「ちんみぎる」といっているという。関東では、東京は「つねる」だが(ということは東京方言を共通語にしていることになる)、栃木では「かっちねる」、千葉へ行くと「にじる」というらしい。
信濃の近隣では、新潟地方では「しねる」であり、静岡では「ちみくる」、愛知では「つねくる」。
関西へ行くと、京都では「つめる」、大阪では「ひねる」。山陰の島根では「ちめくう」、四国の香川では「ひにしる」、徳島では指でなら「ひねくる」だけれど爪でするなら「つみきる」。九州では多く「ねずむ」だが、大分では力いっぱいにするときは「つんじくる」、鹿児島では「ひねきっ」、沖縄では「にじむん」などなどと。
そうしたなかにあっての南信濃では、「ちねくる」という言いがふだんに使われて来ている。
* * *
ちねくる〔chinekuru〕【五段動詞】《低高低低》
「ウワーン、ワーン、あんちゃが、……、ウワーン」
「またあんちゃに、いじめられたのか。こんどは何だっていじめられたのよ」
「『いいものやるで手を出しな』って言ったの」
「見せびらかして見せただけで、何もくれなんだのか」
「ううん、ちがうんな。『ほれ、ちねくりもちをやるヮ』って、ぼくの手をちねくったの」
「まったくしょうもない兄きだなぁ。そういうことを言ってしとると、お父ちゃが〈ゲンコツ飴〉か〈張り手せんべい〉をくれてやるって言っとるって、あんちゃに言って来な」
「いやだよ。そんなことを言うと、あんちゃは、ぼくに〈ゲンコツ飴〉や〈張り手せんべい〉をやるヮって、きっとそう言うもの」
* * *
表現こそは違っても、国内のあちこちにあって、みんながつねったりつねられたりしている――ということが知れるのである。
飯田弁ではち〔chi〕の音がいやましに痛さを訴えているのだが、その「ちねくる」という行ないはというと、殴ったりたた叩いたりするよりはずっとマシではあろう。そうは思うのだけれども、しかし少々陰険な振る舞いのようにも、私には思われないでもないのである。何かというと、すぐにちねくってみせるような子どもを見たりすると、家で彼ら自身が親にそうされているのだろうか……などと、つい推量してしまうのである。
「痕がつくほどつねっておくれ あとでのろけの種にする」とか、「わたしのこと、ほっといて何処へ行ってたの。ニクイひとねぇ」などといってチネクラレルのならば、ちっとも堪えない――などというような人だっても、読者氏のなかにはいるかもしれませんなあ。ともあれ、チネクルなんていうのは、いたずら者がすることなのか、いたずら者にするものなのか、はてさてどちらでございましょうかナン。
いたずら者が? いたずら者に? :2020・07・18 掲載
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