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飯田弁に見る飯田人の流儀

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2021年7月の記事一覧

いたずら者が? いたずら者に?

 小学校での、授業中のことである。先生が教科書を読み進むのを、生徒たちがそれぞれに目で追っていた時のことだった。教室の後ろの方から「火事だ!」という声があがった。驚いて、先生も生徒も、みな一斉に窓の外を見やった。
 ん? ……、どこにも火の手はおろか、煙すらも立っていない。先生が窓辺へ行くと、同じように席を立って行って、身を乗り出して外をきょろきょろ見回す者も何人かいた。しかし、どこにも火事と思し

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中馬街道だったから?(1)

   
 かつて中学生や高校生だったころの私は、年配の人たちの話している内容に、しばしば顰蹙したことがあった。それとともに口にしていることばのありようにも嫌悪することが少なくなかった。学校での国語の時間はもとより、教科書に書かれてある表現とははるかに隔たっていていかにも古臭くまた田舎臭く感じられるようなことばが、年配の飯田人からは紡ぎ出されていたからだった。
 しかし、いざ自分が老境に達してみると

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中馬街道だったから?(2)

 私が未だ幼稚園児だったころには、飯田の町なかを、馬に大きな荷車を曳かせて物品を運送しているような人たちが、まだいたものだった。母や祖母の「ばくろうサが来たに」などと言って教えてくれる声を聞いて、荷馬車を見に行ったりしたものだった。それでも残余の趣が強くて、そうそうむやみに見られる光景ではなかったけれど。
 その後には、鉄道での輸送が隆盛をみた。飯田線にあっても、貨物列車の長々と連結した姿を見送っ

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飯田人にとっての「やっと」(3)

 飯田弁における「やっと」の表現のなかで、私が最も妙味を覚える語の「やんがらやっと」を、一連の最後に掲げよう。
 昭和三六年(西暦一九六一年)の六月末つかたには、飯田地方が集中豪雨に襲われて、甚大な被害を受けた。市内の知人から、その「三六(サンロク)災害」のときの思い出として、およそ以下のような話を聞いたことがあった。
*   *   *
やんがらやっと〔yangarayatto〕【副詞】《低高高

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「とびっくら」に見る流儀(1)

 「飯田弁に見る飯田人の流儀」と題して、この先々具体的な飯田弁の語彙や句表現を通して、飯田弁の妙味の一端について筆してみようと思う。
 と、こう言っても、多くの読者氏は「流儀だなんて、そりゃ、どういうことな?」と、いぶかしく思われることだろう。私としては、ことさらに気取ったお題目を唱えて、変わった言い立てをしようなどとするものではないのである。飯田人たちが使っていることばには、飯田人の認識に裏打ち

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「とびっくら」に見る流儀(2)

  
 多くの飯田人にあっては、おそらくは飯田弁の「とぶ」は〈走る〉ことであるし、また〈走る〉ことを飯田人は「とぶ」といっている――と認識しているのではないだろうか。
 だがしかし、本当にそうした認識でイイのだろうか。私としては、そう単純には思われないのである。
 「とぶ」という語は、かつて京都・大阪が日本の政治経済ひいて文化の中心だったころの中央語だった。たとえばのことに「枕草子」にも、つぎのよ

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「とびっくら」に見る流儀(4)

 私が子どものころ、「少年画報」という月刊雑誌があって、「まぼろし探偵」という漫画が連載されてあった。子どもたちの間で人気が高まって、実写版のTV番組や映画が製作されるまでになった。TV番組にあっては、当時は未だカワイ娘ちゃんだった吉永小百合なども出演していたのだったが、わずか一年で失速したことだった。言うなれば〈走り〉つづけられなかったのである。
 主題歌を今でも覚えている。「赤い帽子に黒マスク

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