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レコード夜話(第17夜)
●前回には「きれい」という語の使われ方に関わって歌謡曲のなかに見てきたのでしたが、こんどは「美しい」ということばで表現されているケースについて、いくつ触れてみたいと思います。
「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の」→「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦+北山修)・「一人で見ている 海の色 美しすぎると 怖くなる」→「魅せられて」(ジュディ・オング)・「ふたりが結ばれた 美しい夜明けよ
下から上を見上げれば(2)
八十歳になった年齢で単身フランスへ渡って、日本とフランスの文化の架け橋となることに余生を捧げようとして、かの地で日本語を教えていた魔女氏にとって、私は年齢的に息子サンとおっつかっつだったのでありましょうかなぁ。
東京の銀座通りを並んで、話しながら歩いていたときのことでございました。私が車道側に立って歩いていると、いつの間にか魔女氏が車道側に来るのです。そこで私がまた位置を入れ替えて少し歩いて
下から上を見上げれば(1)
ざっと二十数年ほども前になりまするが、当時八十歳を越えていたご老女が、私のお友だちとしておいでたことでございました。十年近くの間に及んで、好ましくお付き合いさせてもらったことでした。しかるにそのご老女はというと、タダのお婆さんのような老女なんかではありませんでした。魔女だったのでございますよ。
太平洋戦争当時に海軍士官学校を出て、将校だった人の娘さんだという方でした。ご両親と姉さんが、さらに
取り戻す夜 (夜間中学記Ⅰ)
出井 光哉
【第一章】
(一)
壁の向こうから、どっと笑う声が聞こえてきた。
となりは二年生の教室だ。笑い声ばかりではない。だれかしらの高い声もしていて、いかにも楽しそうなようすが伝わってくる。誰かがおかしなことを言ったのだろうか。それとも、何かおもしろいことでもあったのだろうか。
一年生のいるこの教室と、となりの二年生の教室とは、もともとは一
せせらぎの如くに聞こえるなかで
雪景色が懐かしくなって来ている。私が子どものころには、十一月のうちにだってしばしば雪が舞ったものである。そうして、飯田の旧市内にあってさえも、日蔭の場所には春先まで根雪となって残っているような光景は、けっして珍しくなかったというのに……。近年は、冬が消えてゆくかのような気配である。二〇二〇(令和二)年にあっては、冬場にほとんど雪景色を見ることが無くて終わった。そんなだったから、次のような会話を耳
もっとみるまずは周りを見回してごらん
「他家の庭は良く見える」とか「隣の芝は青い」などといった言いがあるけれど、自分たち自身のいるところにあるモノの価値に関わって、見え過ぎるがゆえに却って解らない――ということは、人にとっての性というものなのだろう。
「飯田には見るべきところも、これといった料理も、何も無い」などと自嘲して言う飯田人も少なからずいる。けれども、それは大きなマチガイだと私は思っている。料理の方はいまは措くとして、南信