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衆院選2024 大阪9区 私が自民党候補の支援に転じた本当の理由【地元版】

皆さま、12日間にわたる選挙戦、お疲れ様でした。明日の投票箱が閉まるまでが戦いですが、ネットの発信は最後となりますので、一言、書き残しておきたいと筆を執りました。


1.山口百恵になりたかった

三週間前の10月6日、私は、三日後の衆院解散をもって政治から引退することを表明しました。最年少で引退する衆議院議員の「辞世の句」は、メディアにも取り上げていただきました

神無月
  楽しき日々に
    始終あり
   微かな光
     求め続けて

https://x.com/adachiyasushi/status/1842782005899284705

「辞世の句」ですから、すべて終了。

山口百恵さんのように美しい引退をと考え、実際、一日も欠かすことなく発信を続けてきたX(旧Twitter)のメインアカウントを凍結、2年前の党代表選挙から百回を超えて休むことなく続けてきた「あだトーク」、そして三期を重ねた「あだち塾」などすべての政治活動を停止しました。

そして、この総選挙についても、一切かかわらず、遠くから見届けようと考えていました。

公示前の10月10日に豊能町、11日に能勢町、12日に箕面市、14日に茨木市で開催した(衆院選に向けた事実上の決起集会にしようと考えていた)「国政報告会」は、引退表明の会合、説明会の会合、これまでご支持ご支援賜ってきた方々へのお詫びの会合とさせていただきました。

引退表明後の唯一の政治的取り組みは、これら最後の「国政報告会」に、私に対する「刺客」となった萩原けい日本維新の会衆議院大阪府第9選挙区支部長(同名の支部が2つ併存する状態が続いています)を招いて、挨拶をしていただいたことくらいでしょうか。

もちろん、後援会の役員の一部からは「人が良すぎる」等とお叱りをいただきましたが、私は、これまで「維新の足立康史」を応援下さってきた方々への礼儀として、「政党側から見た「筋」」を通すことにしたのです。


2.再びマイクを握った理由

しかし、その「もっとも美しい」はずだった私の引退劇は、ある「怒り」を理由に、その様相を一変していきます。国政報告会(引退説明会)でマイクを与え、そして握手もした維新の「刺客」萩原けい氏。その萩原氏の総選挙に臨む姿勢が、あまりに不真面目だったのです。

10月8日に発表された大阪府下の小選挙区候補「比例重複なし」方針の唯一の例外として比例重複立候補が認められたからか、とにかくユルユルの選挙戦。

選挙事務所はラーメン店(このラーメン店に罪はありません。とても美味しいと評判です)の入るビルの三階で、入口も「張り紙」がなければ分からないくらいの始末。ビラも街頭演説も、その内容は貧弱で、意図して露出を避けているのではないかと噂されるくらい、「薄っぺらい」選挙戦が展開されたのです。

あだち康史事務所撮影

いわゆるプロフィールなど外形的な装いは整ってるため、維新の看板(=遺産)と吉村洋文共同代表の応援で、当選はするのかもしれませんが、その不真面目な姿勢に、落胆をこえて、怒りさえこみ上げてきました。

そもそも、公認が内定するまで一切の相談もなくステルスで刺客となった経緯についても、もちろん言いたいことはありましたが、党本部にそそのかされたのだろうと、グッと飲み込んできました。

しかし、私に対する非礼は許せても、地元大阪9区の有権者への非礼は、どうしても許せない。これが、私が再びマイクを握った最大の背景でした。


3.乱世をリードする国士は?

今回の総選挙は、何度も書いてきたように、三十年五十年に一度の大戦(おおいくさ)です。だからこそ、主権者を、国民を、有権者をバカにするような、不真面目な姿勢の政治家は絶対に許せない。

加えて、与党自民党も、そして野党も、ますます流動化し、この総選挙の後は、何が起こるか分からない、大きな動乱の時代を迎えます。

そうした乱世にあって、日本政治をリードすることのできる、そして日本の繁栄を持続可能なものとすることができる「国士」を輩出していく、そのために私にできることは、今後もやっていきたい、なんでもやっていきたいと考えています。

東田じゅんぺい陣営撮影

大阪9区の足立康史は、本日で終わります。ほんとうに有難うございました!

以上

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