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人権と立場

世界人権宣言は、第1条で、人権がどのようなものかを簡潔に述べています。「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と。

「授けられており」、と書かれているという以上は、授けた人がいるはずですね。旧約聖書創世記第1章に「はじめに神は天と地とを創造された」とあるところから考えると、授けた方はどうやら一神教の、父なる神、ヤハヴェ、アッラーということになるようですね。アメリカの独立宣言が「創造主」と表現し、フランスの人権宣言に「至高の存在」と書かれているのも神のことを指していることはご存じのとおりです。

神様が人間を「生まれながらにして自由と平等」に造ったということのようです。しかし平等ということはこの地球の摂理では理想に過ぎない妄想であるように思います。現在の世界人口はネットで調べると77億人だそうですが2050年には100億人程度になると言われています。もしかしたら少子化で達成しないかもしれませんが。この100億人の人々全員それぞれが「自由」に勝手にしかも好き気ままに行動を追求したら地球はとても持たないに違いありません。このことは、何も人間同士だけの問題ではなく、人間の立場を守るため、自然との間でも問われるべきことです。

私は僭越ですが人権という難しい抽象的な言葉を捨てて「立場」という言葉に言い換えて人権を捉えるようにしたいと思っています。「人権尊重」というのは「人の立場を重んじること」、または「面目を立てる」ことにあると思っています。したがって「人権侵害」とは「立場がない」状況に追い込むことであり、「面目丸潰れ」にすることのようです。

「立場」というのは他人との関係で決まる位置です。ならば、その関係はまっとうな理由に支えられ、筋が通ったもので、何よりもお互い納得づく、でなければならないでしょう。それを日本文化的には、「道義」と呼ぶようです。自由に優先するのはこの「道義」だと私は思っています。

人は何かをしたいなら、それを相手に納得させるだけの説得力ある根拠が必要です。最近の私は生まれながらに自由だからしたいことは何でもする、などというのは基本的人権とは無関係だと思う日々を送っています。

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