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わたしが彼女を愛した理由 9 バンコク出張編
静かな波音が耳に心地よく響く中で、まだ朝食をとっていないことに気づいた。昨日の余韻が残っているせいか、それともLinが一緒にいるからなのか、時間の流れがいつもより柔らかく感じられる。しかし、腹の底にうっすらとした空腹感が浮かび上がってきて、「何か食べに行こうか?」とLinに声をかけると、彼女は軽く目を細めて微笑み、静かにうなずいてくれた。その柔らかな表情が、なんだか安心感をもたらしてくれる。立ち上がり、歩き出すと、足元でさらさらと鳴る砂の感触が心地よく、そっと心をほぐしてくれるようだった。
メインのビーチに近づくにつれて、空気が少しずつ変わっていく。子供たちのはしゃぐ声や、陽気な音楽、屋台から漂ってくる甘くて香ばしい香りが、遠くから波音に混ざって耳に届き始める。色鮮やかなパラソルやビーチチェアが並び、ビーチサイドで楽しげに過ごす人々の姿が視界に広がってくる。家族連れやグループで過ごす人々の笑い声が、日差しを浴びた海のきらめきに溶け込むようだった。
しかし、賑やかなビーチの風景が眩しく映り、周囲の人々がその場に溶け込んでいる様子が、なぜか自分には遠いもののように感じられる。視線を足元に落とすと、砂がさらさらと崩れては、また足に馴染む。その感触だけが、今の私を少しだけこの場に繋ぎとめているようだった。そんな様子に気づいたのか、Linが何気なく肩に手を置いて、「大丈夫?」と優しく尋ねてくれる。彼女のそのさりげない気遣いに、私の心がふっと軽くなる。視線を上げると、Linの穏やかな笑顔が私を迎えてくれていた。
Linと出会ってから、まだほんの数日しか経っていない。過ごした時間は、長く、濃厚に感じられた。彼女のそばで過ごすと、なぜか一瞬一瞬が深く心に刻まれるようで、東京で過ごす何気ない一日とはまるで違う。東京での生活は、常に流れるように規則的で、予定が刻一刻と積み重なっていく日々だった。けれど、この数日間はそれと全く異なる。Linと出会い、私の中の時間はぐっと濃くなり、深いものへと変わったようだ。これまで当たり前だと思ってきた経験や価値観が、少しずつ壊れていく。彼女と出会う前までは決して気づくことのなかった感情や思いが、この異国の地で静かに芽生え始め、境界線が少しずつ曖昧になっていく。
少し前を歩くLinの背中を見つめながら、今の自分の揺れ動く気持ちを伝えたいと思った。かつて感じたことのない深い感情が胸の奥に根を張り始めているこの思いをどう言葉にすれば良いのか分からなかった。
言葉にしようとすると、その表現がこの気持ちの大きさを軽くしてしまうようで、言葉にすることさえもためらってしまう。頭の中で何度も言葉を探してみるけれど、どれも不十分に感じられて、口に出す勇気が持てなかった。私の中で芽生えたこの感情は、Linに伝わるのだろうか――ただその思いだけを胸に抱いて、そっと歩み寄り、Linの手を握ってみる。Linはその手をしっかりと、思いのこもった強さで握り返してくれた。その瞬間、胸の奥にあった不安や、言葉にできないもどかしさが少しずつ溶けていくようだった。伝えたいことが言葉にならずとも、今はこの手の温もりだけで十分だ。
心の中で「もう少しだけ考えるのをやめよう」と静かに自分に言い聞かせた。言葉にしようと焦るよりも、今この瞬間、彼女の隣にいることをただ感じていたい。隣にいること、手の温かさ、穏やかに微笑むLinの横顔――すべてが、言葉を超えた気持ちとして心に染み入っていく。
ビーチ沿いに並ぶカフェに足を踏み入れると、ひんやりとした冷房が肌に心地よく、さっきまでの暑さが嘘のように和らいでいった。潮風にさらされていた体が少しずつクールダウンされると同時に、心まで軽やかになるのを感じる。カフェの席に向き合って座ると、いくつかの朝食メニューが目に入る。色とりどりの料理が並んでいるが、今の私には、もっと静かで優しいものが欲しい気がした。そんな時、目に留まったのは「カオトム」と書かれたおかゆだった。パクチーが香る、温かいおかゆ。それが少し傷んだ心をそっと癒してくれるような気がして、カオトムを頼むことに決めた。ここ数日の心のざわつきを包み込み、余計なことを考えず、ただ体の内側から温めてくれるような料理。それが、今の私に必要なもののように感じられた。
カオトムを食べ終わり、ひと息ついたところで、Linがふと口を開いた。「そろそろチェックアウトの時間だから、ホテルに戻りましょう」その「チェックアウト」という言葉に、思わず反応してしまう。まるでLinとのこの時間も、そこで区切られてしまうような気がしたからだ。Linは続けて「そのあと、お寺に行きましょう」と微笑んで言った。まるで、私の心の中を静かにのぞき込み、不安を察してくれているかのような言葉だった。
ホテルに戻ると、Linが「一緒に汗を流そう」と優しく誘ってきた。一瞬戸惑いがよぎるが、不思議と嫌な感じはしない。むしろそれが自然に思える。シャツとビキニを脱ぎ、Linも同じように身につけていたものを一枚ずつ脱いでいく。裸になった自分たちを包み込む空気が心地よく、互いの存在を穏やかに感じながら、浴室へと向かう。Linの体には、健康的な美しさが漂っていた。昨夜の艶やかな表情とはまた違った、清々しい女性らしさが全身からあふれ出ているのがわかる。その肌は太陽の光を浴びて程よく焼け、筋肉がしなやかに引き締まっている。彼女の存在そのものが、何か内側から発せられる活力のようなものに満ちている。
二人でゆっくりと湯船に浸かると、穏やかな静けさに包まれた。Linがそっと後ろから私を抱くようにして浸かる。背中に、彼女のぬくもりがじんわりと伝わってくる。その温かさは、昨日の夜に感じたものとは違っていて、どこか穏やかで安心できるものだった。湯気の中で漂うシャンプーと石鹸の香りが、柔らかく鼻をくすぐる。Linは私の髪をそっとなでるように手を通しながら、何も言わず、ただ静かに寄り添ってくれている。その手の動きや、時折感じる優しい息づかいに思いやりが込められているのが分かり、背中越しにLinの温かさを感じながら、私はただそのひとときを味わっていた。
浴室を出ると、すでに昼近くなり、午前中とは思えないほどの陽光がカーテン越しに部屋に差し込んでいた。温まった体が、その光に触れ、さらにじんわりとほてってくるようだった。Linと視線を交わし合うと、彼女がそっと手を差し出してきた。その動作があまりに自然で、ためらわずにその手を取った。ベッドへと向かい、体を横たえると、窓から入る日差しが私たちを柔らかく包んでいた。Linのぬくもりがそばにあり、昨日とはまた違った穏やかな安心感がそこに漂っている。ゆっくりと触れ合う体の温かさと、窓から入る光のやわらかさが溶け合うとともに体が反応していく。
Linの手が私の体に触れるたび、体の奥深くが反応し、熱が小さな波となって広がっていく。指先が肌にそっと触れ、すべるように肩から背中、腰へと移動するたびに、その波が体の隅々まで届き、じわじわと感覚が鋭敏になっていく。呼吸が少しずつ乱れていくのを感じながら、彼女に支配されているような心地よい感覚が私を包み込んでいた。胸元が高鳴り、息が浅くなり、彼女の手が動くたびにそのリズムに体が応じる。体の中心が徐々に熱を帯びてきて、内側からじんわりと膨らむような感覚が広がっていく。彼女の指がさらに腰や下腹部に触れるたび、体の奥から力が湧き上がり、細かい震えが内側から放たれるようだった。指先までが敏感に反応し、意識とは関係なく、Linの存在を求め、彼女の一つひとつの動きに応えていく自分がいた。体の内側に押し寄せる快感が次第に増し、下腹部が引き締まるように感じられ、全身が静かに震える。その小さな震えが次第に強くなり、内側から波が押し寄せるように、全身が彼女の存在に浸っていく。全身が彼女の動きと呼応し、最後の高まりが体を一気に突き抜けた。
Linの優しさに包まれながら、自分だけが彼女の温もりを受け取るだけでなく、私も彼女に同じように応えたいという思いが湧き上がってくる。手を伸ばし、Linの肩に触れる。静かに隠れていた感情がひとつひとつ解き放たれていく。心の奥で「覚悟を決めた」と自分に言い聞かせ、Linの体にそっと触れ、彼女が私にしてくれたのと同じように、優しく、そして静かに彼女を包み込む。彼女の体温が自分の手に伝わり、鼓動が触れ合うたびに特別なものになっていく。Linの表情が少しずつ柔らかくなり、彼女が私の手に委ねるように体をゆるめてくれたのが分かると、心の奥がふわりと温かくなった。
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