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わたしが彼女を愛した理由 2 バンコク出張編 

朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。カーテンの隙間から差し込むわずかな光が、まだ薄暗いバンコクの街を照らしている。肌に感じるひんやりとした空気が、私の体を優しく包み込む。ベッドの中にいる心地よさと、この静けさの中で動き出したいという気持ちが交錯する。東京ではこんなふうにゆっくりとした朝を感じることはほとんどない。静かにベッドから起き上がった。目覚まし時計に手を伸ばし、アラームを止める。ホテルの部屋はまだ静まり返っていて、外からわずかに聞こえる街の喧騒もまだ遠い。今日という新しい日が始まる期待感が膨らんできた。

ホテルのフロントで借りたヨガマットが部屋の隅に置かれているのが目に入る。昨夜、公園で感じたあの静けさと風景を思い出すと、体が外に向かう準備を始めていた。薄手のヨガウェアに着替え、髪を軽く結ぶ。

部屋を出ると、ホテルのロビーはまだ眠っているかのような静けさ。足元に響く歩みが、この場所で唯一の音のように感じられる。外に出ると、バンコクの朝の空気が一気に広がり、肌にまとわりつくようだった。街はまだ動き始める前で、遠くで車やバイクの音が聞こえるだけだ。静かに歩を進め、昨夜見つけたあの公園を目指した。

公園に到着すると、朝の静かな空間の中に様々な人々が散らばっていた。木陰で読書をする人、リズミカルに走るランナー、芝生に座って朝食をとる家族。ここでは、異なる背景を持つ人々がそれぞれのペースで新しい一日を迎えている。バンコクのこの公園は、多様な人生が交差する場所であり、その穏やかな朝の風景が心に安らぎを与える。ヨガマットを静かに広げ、深い呼吸と共に体をゆっくりと伸ばしていく。周りを見渡すと、様々な国の人々がそれぞれのスタイルで朝を過ごしていることに気づいた。同じ場所に集いながら、異なる人生やリズムを持つ人々が共にこの瞬間を共有している。呼吸を整えながら、自然の風と朝の光に身を任せると、徐々に心の中にある緊張が解き放たれていくのが感じられた。静けさの中で、今日の一日がゆっくりと始まっていく。

公園全体がゆっくりと目覚めていく中、呼吸のリズムに合わせて体を動かすと、周囲の景色と自分の動きがひとつに溶け込んでいくような感覚が広がる。湿り気を含んだ朝の風が肌に触れ、木々の間を通り抜けるたびに、昨日までの疲れや緊張が少しずつ洗い流されていく。手足を伸ばし、体が解放されると、心も軽くなり、頭の中がクリアになっていくのがわかる。都会の喧騒から離れ、この穏やかな朝の空間で過ごすことで、まるで新しい自分を発見しているかのような感覚に包まれた。

時間がゆっくりと流れる中、ヨガのポーズをひとつひとつ丁寧に取るたびに、体の隅々まで血が巡り、活力が戻ってくるのを感じる。東京での忙しい日々では、こうして一日をゆったりと始める時間はほとんどなかった。けれど、ここでは自然に身を任せ、自分のペースで心と体を整えることができる。その余裕が、自分自身の内面にもポジティブな変化をもたらしているように感じた。やがて、最後のポーズを終えてヨガマットの上で深呼吸をすると、心地よい疲労感が体中に広がり、体がすっきりと軽くなった。少し遠くの方から、街が徐々に目覚め始める音が聞こえ始めていた。これから今日という一日が本格的に始まる。展示会での重要な役割が待っていることを思い出しながらも、この時間が、心のバランスを保つためにどれほど大切であるかを実感した。

部屋に戻ると、まずはシャワーを浴びるためにヨガウェアを脱ぎ、全身鏡の前に立つ。少し紅潮した肌を眺めながら、自分の体をゆっくりと観察する。引き締まったラインがしっかりと残っているのを確認すると、安堵感が広がる。体をゆっくりと動かしながら、鏡に映る自分を見つめる時間は、日常の中で自分と向き合う貴重な瞬間だ。心の中で「問題ない」とつぶやきながら、次の動作に移る準備ができたことを感じた。シャワールームへ向かい、蛇口をひねると、お湯が静かに流れ出し、その音が部屋全体に広がる。今日もまた新しい一日が始まる準備が整った。

シャワーを浴びて体がすっきりすると、部屋の中が少し暖かくなり、気分もリフレッシュされていた。タオルで髪を軽く拭きながら、ドレッサーの前に座り、メイクを始める。バンコクの湿度を考慮して、いつもより軽めのメイクにしようと決め、ファンデーションを少し薄めにのせる。ミラーに映る自分の顔を見ながら、今日の展示会に向けた気持ちが少しずつ高まっていくのを感じた。メイクをしながら、自然と今日のプレゼンの流れが頭の中を巡る。スライドの順序を思い出し、話す内容を一つひとつ確認するように、口の中でそっとつぶやいてみる。新規事業の重要なポイントや、技術的な説明、タイ市場へのアプローチについて、何度も東京で準備を重ねてきたおかげで、特に不安を感じる部分はない。何かが抜け落ちている感覚もなく、全体の流れもスムーズに思い描ける。

メイクを終えて、次は洋服選び。展示会という場にふさわしい服装を選びながら、頭の中ではさらにプレゼンのシミュレーションが続く。大切な箇所での強調や、相手の反応を引き出すためのタイミングも明確にイメージできた。スーツを着てネックレスを付けると、もう一度鏡に映る自分を確認。落ち着いた色味の服装が、今日の自信を象徴しているかのように感じられ、心の中で「大丈夫」とつぶやいた。細かいところまで何度も確認したけれど、不安に思う部分は見当たらない。自信を持って、準備してきた内容を伝えることができるはずだ。全ての準備が整った今、足取りは軽くなり、いよいよ今日のプレゼンに向かって気持ちが集中していく。

少し考えたが、朝食は抜くことにした。展示会のプレゼンに集中したいという気持ちが強く、重い食事よりもコーヒーだけで十分だと感じた。スーツを整え、バッグを手にしてから、ホテルの朝食会場へ向かう。会場に入ると、すでに多くの宿泊客が朝食を楽しんでいたが、その活気が逆に落ち着いた気持ちを与えてくれるようだった。カウンターでホットコーヒーを注文し、窓際の席に腰を下ろす。目の前には、まだ静けさの残るバンコクの街並みが広がり、窓越しに差し込む柔らかな朝日がカップを温かく照らしている。コーヒーの香りが鼻をくすぐり、ゆっくりと一口含むと、そのほろ苦さが体中に染み渡り、緊張が少しだけ解けていくようだった。

コーヒーを飲み終え、展示会場に向かう準備が整った。ホテルのエントランスに向かうと、ドアマンが笑顔で出迎えてくれる。早い時間ではあるが、渋滞を考慮して少し余裕を持って出発することにした。展示会場の名前を伝えると、ドアマンはすぐにタクシーを呼んでくれる。「10分ほどで着く予定です」と、ドアマンが流暢な英語で言う。バンコクのこの時間帯は、街が動き出し始める瞬間。車やバイクが増え始める時間帯だ。タクシーが到着すると、ドアマンがドアを丁寧に開けてくれ、軽く会釈をして車に乗り込んだ。

窓越しに見えるバンコクの街並みは、まだ静かだが、どこかエネルギーがみなぎっているように感じる。窓越しに流れていく景色を眺めながら、今日の成功を確信し、気持ちが引き締まっていくのを感じた。

タクシーが展示会場に到着し、入口で降りると、会場全体が活気を帯びて動き始めているのが感じられた。まだ早い時間だが、各企業の準備が進み、出展者たちが忙しそうにブースを整えている。中に入ると、自分の会社の展示ブースをまず確認するために向かった。事前に行った準備通りに設置されており、すべてが予定通り進んでいる様子を確認できて安心する。ブースの確認が済むと、次はプレゼン会場を下見するために、少し広い通路を抜けてメインホールへ向かう。会場に足を踏み入れると、予想以上に大きなスペースが広がっており、壇上から見下ろす客席の数に一瞬だけ圧倒された。プレゼンのリハーサルは予定されていなかったが、何度も練習してきた内容を思い出し、大丈夫だと自分に言い聞かせる。この広い会場でも、自信を持って話せるだろう。

その後、チームのメンバーと合流し、今日一日の流れを確認するミーティングが始まる。全員が展示の各セクションを担当し、スムーズに動けるように役割分担も再確認。展示会場の広がりや活気が目の前に広がる中、チーム全体での連携を大切にしながら、今日の成功を確信し、全ての準備は整った。

プレゼン会場に足を踏み入れると、すでに多くの人々が集まっているのが目に入った。ざっと見たところ、300名はいるだろうか。タイ国内からだけでなく、他の国からの参加者も多く、会場全体に多様な文化や背景を持つ人々のエネルギーが感じられた。それぞれが興味深そうに会場内を見渡し、プレゼンが始まるのを待ち構えている。視線を会場内に巡らせると、知り合いの顔が何人か確認できた。過去の展示会で出会ったビジネスパートナーや、同業の顔ぶれも見え、目が合った瞬間、笑顔が浮かんだ。心の中に残っていた緊張が少し和らぎ、胸の中にあった不安がふっと軽くなるのを感じた。

プレゼンが始まり、壇上に立つと、会場全体が静まり返り、全ての視線がこちらに向けられているのを感じた。緊張はあったが、聴衆の反応をじっくりと観察しながら進めていくと、その不安は徐々に消え、情熱が前面に出てきた。エネルギーの未来について語るとき、そのあり方や課題、そして進むべき道について、ただ事実を並べるのではなく、一つひとつ丁寧に伝えていく。会場内の多くの聴衆が頷いたり、真剣な表情で耳を傾けているのが分かり、その反応がこちらにさらなる情熱を与えてくれた。

時折、スライドに目をやりながら、進行に沿って話を続け、時間の進み具合も気にかけつつ、焦らずに内容を伝える。課題の部分では多くの人が身を乗り出し、解決策の話に差し掛かると、真剣な眼差しが集まっているのが見て取れた。情熱を込めて話し続け、最後には、全体の流れをしっかりとまとめて終わらせることができた。時計を確認すると、予定通りにプレゼンが終わった。胸の中には、やり遂げたという達成感が広がり、静かに深呼吸をした。会場からは大きな拍手が湧き起こり、手応えを感じながら、壇上を降りた。

昼食会場に入り、忙しさから少し解放された気持ちで食事をしていると、ふと目の前に彼女が現れた。何気なく顔を上げたその瞬間、視線が交わる。彼女は、テーブルの向こう側で軽やかに笑みを浮かべながら、自分の席に食事を運んでいた。先ほど会場でちらりと目にしたカメラマンだ。近づいてくる彼女の姿は、誰もが振り返りそうなほどに輝いていた。

彼女の外見は目を引く。若々しく、肌は太陽の光を浴びたように健康的な色合いで、輝いている。ショートヘアが顔の輪郭を引き立て、風にそよぐその髪は、どこか無造作でありながら美しさを感じさせた。すらりとした長い脚に、しなやかで引き締まった体。まるで何もまとわず、自由で自然体な彼女の佇まいは、自分とは対照的だった。

自分はいつも東京の忙しさの中で、何かに追い立てられるように過ごしてきた。完璧さを求めるその姿勢が、自分を支えるものである一方で、時に息苦しくも感じる。しかし、彼女はまるでそのしがらみから解放された存在のように見える。身にまとう空気が軽やかで、周囲を和ませる。

「食事、ご一緒してもいいですか?」と彼女が柔らかい声で話しかけてきた。彼女の目はキラキラと輝いていて、その笑顔に安心感を与えられる。食事を一緒にするという何気ない行為が、この瞬間から特別なものに感じられた。「もちろん」と答え、同じテーブルに座ることになった。食事をしながら、少しずつ会話が始まる。彼女の落ち着いた声と、柔らかな表情に、こちらの緊張も次第にほぐれていく。

「実は、今日のプレゼンを撮影させていただいたんです」と彼女が話し始める。プレゼン中に感じた視線の理由が腑に落ちた。彼女が担当カメラマンだったのだ。先ほどの会場で、何度か目が合った瞬間があったのも納得がいった。「そうなんですか。じゃあ、ずっと撮影していただいいたのですね」と返すと、彼女は軽く頷きながら、ランチプレートに手を伸ばした。彼女は飾り気なく、撮影の仕事を語る姿には日常の息吹が感じられた。その飾らない態度に、どこか引き込まれてしまう。カメラを構えた彼女の姿を思い出すと、その集中した表情と今目の前にいるリラックスした彼女とのギャップに、ますます興味を持ってしまった。

「あなたのプレゼン、すごく情熱的でよかったです。特に、エネルギーの未来を語る部分に心を打たれました」と言われ、思わず頬が熱くなるのを感じた。普段の仕事でも、情熱を持って話してきたが、彼女のように素直に言葉にしてもらえるのは新鮮だった。

「そういえば、お名前は?」と尋ねると、彼女は一瞬微笑みながら、「Linです」と答えた。その名前を口にする時、どこかしっくりくるような響きが感じられた。Linは、フリーランスのカメラマンとして活動しているそうで、世界中を旅しながら、特に活躍する女性たちを撮影することに情熱を注いでいるという話をしてくれた。「世界で活躍する女性を撮ることに魅力を感じていて、そのストーリーを写真で表現するのが好きなんです」と語る様子は、彼女自身が自分の仕事に誇りと情熱を持っていることを示していた。

Linの話を聞いているうちに、自分の中に湧き上がる感情に気づいた。もっと彼女のことを知りたい。彼女の生き方、考え方、そしてその美しい瞳の奥に隠された世界を見てみたいという欲求が沸き起こってきた。本能が彼女に惹かれているのが、はっきりと感じられた。

Linの自由な姿は、自分とは違う生き方をしているからこそ、特に心に響いた。世界を旅しながら、活躍する女性を追いかけ、その一瞬一瞬を捉える彼女の情熱。それを聞くたびに、自分の生活とは対照的な生き方に魅力を感じ、彼女の背後に広がる物語をもっと知りたいという思いが膨らんでいく。Linの話に耳を傾けながらも、彼女の仕草や表情に目を奪われ続けた。彼女の一言一言が、まるで心の中に響き渡るようで、もっと深く彼女と繋がりたいという感情が抑えられなかった。

話を聞きながら、ふとお腹のあたりに不思議な感覚が広がるのを感じた。まるで内側で小さな波が立っているような、軽い緊張と興奮が入り混じった感覚だ。食事の最中なのに、食べ物が体内にしっかり落ち着いていかないような、どこかそわそわした気持ちが腹部に残っていた。その感覚はただの空腹や緊張とは違い、Linの存在に反応しているようだった。彼女の声や仕草に引き込まれるたび、下腹部がじわっと温かくなり、少し引き締まるような感覚が押し寄せてきた。お腹の奥から湧き上がるこの感覚は、まるで身体が彼女の言葉や存在に反応しているかのようで、自分でも抑えられないものだった。

「また会えますか?」と声に出した瞬間、胸の奥から強く響く鼓動が、全身に広がるのを感じた。自分からそんな言葉を発したことに、ほんの一瞬驚きと後悔が入り混じった。もし、彼女がただの礼儀として微笑んでいたなら?もし、こんな問いかけが軽率だったとしたら?頭の中で不安が渦巻く。その瞬間、心の中で感情が渦を巻き、自分がどれだけ彼女に惹かれているのかを実感した。

言葉を投げかけた後の数秒が、まるで永遠のように感じられる。Linの表情のわずかな変化が気になり、目を逸らしたくなるけれど、同時に彼女の反応を逃すまいと視線を外せない。心の中では「どうか、うまくいきますように」と祈るような気持ちが膨らんでいた。彼女が微笑んで「もちろん、喜んで」と返してくれた瞬間、胸が一気に解放されるように感じた。けれど、同時に、これが単なる社交辞令で終わるのか、それとも本当に心からの答えなのか、その確信がまだ持てず、心の中はさらに揺れ動く。嬉しさと不安、期待と緊張が入り混じり、体全体にじわじわと広がっていく。まるで、これからの関係がどう進むのかを試されているようで、心が深く揺さぶられた。

「今週はずっとバンコクにいるので、もしお時間があれば…」と伝えながら、ビジネスカードを取り出した。Linも同じように、バッグの中から自分のカードを取り出して差し出してくれた。Linがペンを取り出し、カードの裏側に何かを書き始めた。興味深そうに見ていると、彼女が携帯電話の番号を丁寧に書き込んでいるのがわかった。「ビジネスカードには電話番号は印字していなくて、必要なときはいつもこうして手書きしているんです」と彼女が微笑んで説明してくれた。その言葉を聞いて、なぜか特別な気持ちになった。彼女が手書きで番号をくれたことが、個人的な信頼の証のように感じられた。そのシンプルな行動が、心の中で深い意味を持ち始める。携帯番号という、仕事以上のつながりを許してくれたことに、胸が少しだけ温かくなった。

午後にも撮影があるとのことで、笑顔で「またね」と言い、立ち去った。残された空気に少し寂しさが漂うが、彼女の姿が消えた後も、彼女の存在感が心に深く残っていた。食事を終えた後、食後のコーヒーを頼み、ひと息つく。カップを手にしながら、そっと彼女からもらったビジネスカードを取り出し、しばらく眺めていた。そのカードはシンプルで、名前とメールアドレスだけが書かれていた。無駄のないデザインに、彼女自身の飾らないスタイルがそのまま表れているようだった。そのカードに手書きで加えられた携帯番号が、一気に特別な意味を持つように感じられた。

コーヒーの香りが漂う中、ゆっくりと心の中を整理しようとするが、頭の中にはまだ混乱が渦巻いていた。Linに対して抱いているこの感情は、これまで感じたことのないものだった。女性に対してこんな感情を抱くなんて、正直なところ予想もしなかったし、自分自身に驚いている。それが好奇心なのか、それとももっと深いものなのかはまだわからない。ただ、彼女の存在が心に強く響いているのは間違いなかった。胸の奥で感じるこの複雑な感情に、どう向き合えばいいのか戸惑いながら、コーヒーを一口飲んだ。感情が揺れ動く一方で、自分の中に新しい何かが芽生え始めているのを感じた。

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