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雇用と社会保険の構造的「罠」による搾取と無力化のスパイラル

あぁ、残酷だ。
なんて残酷なんだ。

あるボーナスの明細を見て思う。
100万ほどを額面で得ても、その40%近くは奪取されてしまう。

つまり、あなたが会社で上げた今年度の成果。
その4割は、国に吸い上げられ、使途不明金とまでは言わずとも、あなたが大切に思う身内ではなく、あなたの知らないどこぞの(大抵は老人)に使われて湯水のごとく消えていくのだ。

しかも日本のお金の大半は、その老人たちが持っているというのだから、この制度の脆弱性は火を見るより明らか、に思える。

そんな怒りの根源となっている「社会保険」についての解説⋯ではなく、単にその点から生まれる無力感と搾取のスパイラルが、何をもたらすのかを少し考えてみようという話だ。

考えることから全ては始まる。
善悪の判断がしたい訳でも、あなたに政治的な思想を植え付けようとする訳でもない。
単なる論説、一つの考察を読んで「あなた自身も考える」ということをして欲しいのだ。

何も考えず、ただ出てきた明細を見て嘆いても未来は変わらない。

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セーフティーネット作りで殺される労働者

日本の企業社会を取り巻く制度的状況は、一見すると国民を手厚く保護するように設計されているかに見える。
健康保険、年金、雇用保険、介護保険、労災保険、これらの社会保険は、病気や老後、失業、介護のリスクから人々を守るはずの「安全網」と言われている。

これがセーフティネットである。
あの、もし落下した時に途中で止まるように作られている網だ。

だが、その網は、まるで粘度の高い泥沼のように個人を絡め取り、次第に身動きをとれなくしてしまった。

厚生労働省「賃金構造基本統計調査」やOECD(経済協力開発機構)の報告書OECD Economic Surveys: Japanが各種日本の事情を示しているが、現実のインフレ状況と賃金及び社会保険などの強制的搾取によって日本の実質賃金は長期的な停滞傾向にあるのはご存知だろう。

多くの正社員は、かつての高度成長期のような「昇給・昇格」を当然の権利として手にできていない。
働けど、働けど、「生活が良くならない」というのが現実ではないか。

また非正規雇用労働者たちは生活防衛のために複数のバイトやパートを掛け持ちする状況に追い込まれている。

少子高齢化で拡大し続ける社会保険料の負担は、若年層の可処分所得と、それを補う為の短時間労働による可処分時間の圧迫に晒されている。

現実に国内消費についてもコロナ後で増しているように見えるが、原材料の高騰によって利潤を生み出す構造に脆弱性が生まれている。
今もし利益を上げていても、一寸先は闇だと、どの企業も思っているのではないか。

結果として、多くの企業は高コストな正規雇用を嫌がり、人材派遣や業務委託といった形で社員に十分な保障を与えない手段を探る。

これも当然のことである。
闇を進むのに、余計な荷物を背負っている場合ではないのだ。
固定費の増大は、そのまま企業という船を沈ませる重りとなる。

一方で、労働者側も安定を求めて正社員化を目指しても、そこには伸び悩む給与と引き上げられ続ける社会保険料負担が待ち受けるのだ。

「なんだこれは」

そう思わずにはいられないのが、今の現状なのである。

ここで形成されるのは、雇用者と被雇用者が互いに損得勘定を意識し続け、「雇ったら負け」「雇われたら負け」と感じてしまう不毛な構造である。

「雇われたら負け」な労働者

「雇われたら負け」という感覚は、長期的に見ると想像以上に苛烈だろう。

例えば年収400万円前後の労働者が、今よりも更に重くのしかかる社会保険料や税金の引かれた後に残る手取りで暮らし続ける光景を思い浮かべてほしい。

彼らは毎月、数万~十万円単位、ボーナスに至ってはその4割ほどを社会保険料として支払い続け、その一方で十分な将来保障も手にできない状況にある。

はっきり言うが、労働問題から今の老人たちが入っている介護施設に僕達中年が入れると思ってはいけない。

その時にはとっくにパンクしていて、本当の意味での野垂れ死にが日常化している可能性だってあるのだ。
もうセーフネットの底は破けていて、それを見て見ぬふりするような世界観になっていても、何もおかしくはない。

懸命に働く時期には、ダブルワークなどによる過労とストレスで心をすり減らし、精神的な疲弊がうつ症状へとつながるケースも多くなる。

離職や働き方のネガティブな意識の変貌については労働政策研究・研修機構(JILPT)の報告書や専門誌にも度々指摘されている。

そうした状態で生きながらえることは、果たして「保護」なのか、それとも長期的な「搾取」なのか。
やがては、奴隷的な依存を強いられ、次第に自己決定権を奪われていく感覚が、「生きる意味」を危うくする。
今の中年層が老年に差し掛かる時、自死を選んでしまうことも増えてくるのではないかと容易に想像ができる。
独身率の高まりから考えても、それは当然の帰結に思えてならない。

「雇ったら負け」な経営者

こうした中、「雇ったら負け」という感情が経営者側にも沸き起こる。

中小企業の経営者が新たな社員を雇い入れようとすれば、高額の社会保険料と法定福利費がコストとしてのしかかる。

本当に洒落にならないほどに重く、これによって倒産の憂き目に合うケースだってあるのだ。
一体自分たちが何をしているのか、それを疑ってしまうほどに「雇用」に「負け」が絡んできてしまった。

将来のイノベーションや人材育成に投資する余裕を奪われ、その結果、短期的な利益確保のために「社員を増やさない」「育てない」選択を迫られる。

すると当然ながらビジネスは人のレバレッジを利かせられず低次元のもので停滞し、労働市場は活性化せず、さらに若者たちは成長機会を失い、経済全体がデフレ的な悪循環を続けてしまうのだ。

これは、恐怖を煽っているのではなく、現実にそうなっているのだ。
経団連の提言中小企業白書 などでも触れられている。

読めば分かるが、どこかしこに「どうすればいいのだ」という陰の嘆きが聞こえてくるようである。

もう労使ともに「雇用」で何とかすることは出来ない

企業側も、労働者側も、もう「雇用」という形に何の価値も置いていない。
それこそ「雇用」はある種のカネを得る一つのツールとして活用する人が増えているではないか。

少し前はサラリーマン+αと「副業」が持て囃された。
今はどうか。

「副業なんて考えずに本業2本と思え」
「副業の方が本業と思って取り組め」

こんな言葉が常時囁かれるようになっているのだ。

雇用という形に期待を持たず、そして人間が人間らしく生きる意味で現れた選択肢が、「自らビジネスを起こす」という道だ。

フリーランスとしての独立、副業解禁による「パラレルキャリア」の構築、あるいは仲間とスタートアップを立ち上げることで、雇われる側としての受動的な苦境から抜け出す試みが重要になってきている。

僕を含め、マイクロ法人や一人で頑張る個人事業主は非常に多くなっている。

もちろん、こうした道は極めて困難であり、資金繰りやリスク管理、新たな事業のアイデアと実行に頭を悩ませる日々が待ち受けているが、少なくとも「自由な戦略」が打てるという点で、被雇用者として搾取され、縮こまってしまう未来よりは遥かに抗う余地がある。

この「搾取構造」から一歩抜け出し、自らの意思で価値創造に挑む人々は増えているのだ。
もう「雇用」で社会で賄うべきお金を担保できる国ではなくなりつつあるということだ。
セーフネットは、破けている。

その破けたセーフネットは雇用では補修不可能である。

中小企業庁のデータによれば、副業・兼業を認める企業は年々増加し、起業・創業支援策も拡充傾向にある。

オンラインでの学習コンテンツや、スタートアップ支援が整備されれば、以前より安価で機動的に事業を立ち上げることも可能だ。
社会保険が生み出す負担から逃れ、搾取の連鎖から自らを切り離すには、この「攻め」の行動が必要だと労働者は気付き始めているのだ。

社会保険が悪という訳ではない

最後に強調したいのは、社会保険制度そのものが悪であると言い切れない複雑さである。

制度は本来、人を守るために存在している。
これは紛れもない事実である。

「もしもの時」は僕達も、この制度を活用して生きていくことになるのだ。

しかし、その歪みや日本社会の停滞が重なり合うことで、制度が本来的な役割を十全に果たせない局面が生まれてしまった。

それは、あたかも未整備の防波堤を背に、常に高波と闘わなければならない漁師のような状態だと言える。
僕たち中年の世代は、ただその防波堤を見つめるのではなく、その破れた制度をより堅牢なものに再建するか、あるいは自ら新たな船と航路を開拓するか、選ばなければならないのだ。

いずれにせよ、ただ「雇われたまま」生きることが、未来の約束を担保してくれない時代はすでに到来している。

その危機感こそが、行動を促し、新たな価値創造へと人々を駆り立てる唯一の光明なのではなかろうか。
考え、議論し、そして自らが動き、引きずるように国を動かせばよい。
個人の力を侮るなかれ、個人が呼応し合い、共に同じ動きを始めた時、それは大波となって世情の変化を促すのだから。


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