低賃金依存の残滓。今、サラリーマンが目覚めるべき理由と行動指針
長年続くデフレ圧力と価格転嫁の困難さが生み出した「低賃金依存型」ビジネスモデル。
これによって多くのサラリーマンが「いつの間にか、一段低いステージで疲弊している」のではないか。
呆然としていても、何も始まらない。
現状の経済構造の真因に気付き、抜け出すための実践的戦略が必要となる。
スキルアップや職業選択、社内交渉、組織外での人脈形成、そして消費者としての意思決定。
こうした行動を通じて、あなたが個人として生き残るための行動のエンジンを点火させよう。
「いつの間にか」低賃金依存に陥る社会構造
通勤電車で身動きもとれずスマホ画面を睨む日々、終業後に部下のフォローや突発対応で会社を出るのは21時過ぎ、給与明細を見ると「これで家族を支え続けられるのか」とため息。
こんな経験に心当たりはないだろうか。
今の日本の多くのサラリーマンは、知らず知らずのうちに「低賃金依存型」社会の歯車として回されている。
実に残酷で、その様相は寂寞とした砂漠を思わせる。
「水、みず」と這って回る人の末路、それは渇きと死である。
低賃金依存型とは、企業が利益確保のために「人件費削減」を至上命題とし、そのツケを末端の労働者へ転嫁する構造である。
90年代以降の長期デフレ、消費者の安値志向、政策的な不作為によって、このモデルは社会の至る所に根を張ってしまった。
更に昨今のグローバル競争や円安局面での原材料高が追い打ちをかけ、どうにもならない閉塞感が世情を覆い尽くしているのは知っているだろう。
コロナ禍で、この限界が語られ始め、明けた今では先進国で最大の負け国となってしまった感が否めない。
なぜ日本が安いのか、を真剣に考えた人がどれだけいるだろうか。
実質賃金の停滞や、データが示す長年の所得伸び悩みは、この国が構造的問題を先送りしてきた証そのものと言える。
しかも、その負けを最大限に引き受けているのが「雇用されている側」である労働者なのだから、国民の大半はその実感を自らの財布の中身で体感させられているのだ。
中流層没落が意味するものと「自分は関係ない」の罠
かつて「中流」と呼ばれ、そこそこ安定した生活を送っていた層が、気付けば生活水準を維持するだけでも一苦労な状態になっている。
言ってみれば、憲法25条に定めている「最低限度の生活」が中流のオーソドックスになってしまったのだ。
では、それよりも少し下回ればどういった状況が生まれるのか。
比較するべくもなく、日本における最低限度の生活すらままならない状態にあり、それはリスキリングなど夢の世界、追われ続ける修羅道である。
現実に「ちゃんと働いているのに」と、超過勤務の日々でも、まともな手取りを懐に入れられずに困窮し、身体の限界までダブルワークで生計を立てる。
特に「子ども」の存在が、経済的には重しになってしまっているケースが大半だ。
晩婚化が進み、中年になってから子どもが生まれている場合が多くある。
この場合は男が五十代に入ってから、教育費が重くのしかかってしまう。
以前なら、労働者階層でも五十代は、それなりに裕福な生活が可能だった。
だから晩婚化による生まれる歳の遅さも「それくらいの方がお金にも余裕があって」といった声も聞こえた。
今は違う。
五十も三十も給与など大した変化はない。
あっても全ては社会保険と税で毟られている。
手元に残されるのは、最低限度の生活が維持できるだけの小銭である。
そうなれば、子どもの為にと、もう一度勤務後のカラダを酷使して、何とかマネーを生み出して解決するべく動く。
そして、あっさりと死ぬ。
危機は思ったよりも間近、目の前に迫っているのだ。
それなのに、「まだ大丈夫」と思い込んでいないだろうか。
所得階層の再編はすでに進行中で、低賃金に苦しむ非正規層や若年層だけが問題ではない。
管理職手前の中堅サラリーマンや大企業勤めの正社員でさえ、未来が見通せなくなっているのだ。
その証拠に、「副業や独立」を念頭に「何とかしなければ」と危機感を抱いている層は、先述したような「子どもが小さく、この先でカネが大量に必要な人たち」である。
なんとも悲しい現実ではないか。
国の宝とも呼べる新たな命、子供たちが重しになり、生産力の最も高いはずの中年層がタイミーなどの時間売りの小遣い稼ぎに精を出すことでしか家族の未来を守れないと思ってしまう社会。
確実に限界は近い。
年功序列が機能不全となり、ボーナスも微増、もしくは横ばい、しかも大半を先の例に漏れず、社会保険と税によって持っていかれる搾取の中にいる。
ここにインフレ的要素が直接あなたの身を打擲するように混入する。
実質的には手取り減少が静かにあなたとあなたの家族の首を絞めてくるのだ。
怖ろしくないか。
死神の手が、首に回っている。
しかも家族もろともである。
この流れを「自分には関係ない」と放置すれば、いずれ家計を直撃する。
いや、もうしていると言っても過言ではないはずだ。
中流層が沈めば、内需が細り、ひいては自分自身が収益増大のチャンスを失うことにも成りかねない。
これはビジネスの実践者でも同じだ。
もしまだ「走り出してすらいない」のだとすれば、後の世では完全に出遅れていて「もう間に合わない」に至っているかもしれない。
中流の減退は、ビジネスの顧客層そのものを薄くしてしまう。
僕のような独立しているものでも、この顧客層の先細りには恐怖を感じている。
要するに「買い手がいない状態」になってしまうのだ。
それはおそろしい。
どう考えても、今の政策の変更を含め、日本の今の感覚、あり方を変化させる必要があると感じている。
だからこそ、こうして筆を取り、ひたすら声をかけ続けている。
危険地帯にいる。
今、まさに動かなければならないのだ。
危機は遠くにあるようで、あなたの足元で引火性の液体が燃えるように急速に広がっている。
「悪者探し」は無意味、経営者も実は追いつめられている
「ブラック企業」「経営陣が悪」といった短絡的な叩きで済む話ではない。
もちろん悪質な経営は存在するが、多くの中小企業や店舗は、値上げに踏み切れない世論や消費マインド、長期的なデフレ慣れによって袋小路に追い込まれていた。
最近でこそ少し値上げを「仕方なし」とする風潮もあるが、未だに「出来ないまま」コスト高に喘ぎ苦しむ小さな会社も多くある。
経営者自身が「これ以上人件費上げたら経営破綻」という切迫感に囚われてしまっているケースもあるだろう。
そして小さければ、自らが現場に出て、血反吐を散らしながら最後の心の余裕すらも捨て去って労働者に成り果て塵となる。
労働者も経営者も、同じシステムに絡め取られ、全てを失っていくのだ。
経済学者トマ・ピケティが『21世紀の資本』で指摘したように、資本が資本を生む構造は、一度格差が拡大し始めると止まりにくい。
あなたは格差のどちら側にいるだろうか。
富裕層と呼ばれるような人を除けば、正直な所格差の左側にいると思ってよい。
つまり貧困に沈む可能性が極めて高い場所だ。
グローバル競争下、デフレによる価格競争、固定費削減を命題とする人件費を含めたコストカット、こういった資本効率を上げるプレッシャーは労働者の分配率の低下を招き、結果として中流層を直に貧困の道へと巻き込んだのだ。
「安さ」志向の代償
ここで、思い出して欲しい。
あなたが日々スーパーやネット通販で「より安いもの」を求め続ける行動が何を意味するのか。
値上げを忌み嫌い、そして常に安きに流れるその時、果たして何が起こっているのか。
この「安さ」の裏では、必ず誰かの低賃金労働がある。
つまり貧困を生み出す低賃金労働によって、あなたの求める「安さ」の根幹が支えられている可能性は極めて高い。
なぜ外食産業が、あれだけの安さで料理を提供できているのだろうか。
厨房と給仕のアルバイト価格を知っているだろうか。
軒並み最低時給か、それに僅かなプラスが為された状態で雇われている。
別に外食産業を責めているのではない。
構造がそうなのだ。
安さを求める消費者と、安さで集める人の構造。
昨今はこれに限界が来ていて、最低時給で働く人の減少で店舗運営が立ち行かなくなることが増えている。
もちろん消費者には予算があり、安く買いたい心理は自然だ。
この心理を「ダメなもの」と言うつもりはない。
しかしながら、その行動が自らの給与環境を含めた経済生態系全体に影響を与えているのも、また事実である。
今となれば下流から中流層に至るまで、誰もが安いものばかり求め、結果として市場は低価格競争に沈み込み、労働者(あなたも含む)の所得は伸び悩むことになった。
買い手がいないのだから、企業の利益も最終的には頭打ちとなり、次に繋がる未来投資もままならない。
この連鎖が、この30年で固定化してきたのである。
本来は、ここに税の再分配機能を有した政府が搾取を緩和し、経済の復活を実施すべきだった。
残念ながら、日本の政府はそうせずに、中心となる生産層から税と社会保険で購買力を失わせてしまった。
結果的には、その再分配は「生産能力の無い老人」に向けられて、誰もが知る30年が巻き起こってしまったのだ。
おそらくこれは経済政策の大きなミスなのだろうが、それは政府も認めないはずだ。
完全な破綻、にっちもさっちも行かなくなった時に、今ある政治体系が大幅に変わり、そこで新たな施策によって日本が好転すれば、初めて「あの30年の政策は間違いだった」と歴史の証明をすることになる。
ただそれが起こるまで、後何年、同じ政策路線で進むのか、僕らには分からない。
中流層の収益が増大し、手取りが増えるのなら、適正価格を受け入れ、労働者に還元される仕組みも仕上がっていくだろう。
そのためには社会保険と税にメスを入れるしかないが、それを成し遂げたとして、財政健全化からは遠ざかるという理屈も成り立っていく。
その先に何が待っているのかは、誰も分からない。
ただ言えるのは、今の現状では足元の生産層が死滅してしまう現実だけは待った無しであると言いたい。
僕には特段の政治思想もないが、できることなら生産層を守って欲しい気持ちが強い。
それが国家の下支えになっていると思っているからだ。
とは言え、そんなものを待っていても、あなたの生活は豊かにはならない。
だからもう個人で動きを強めるしかないのは事実だ。
固定費となる人件費、つまり労働者への還元は最後に行われるのが原則である。
それを認識した上で、ここからの歪になったインフレ&低賃金を乗り切る必要が出てきた、それが今のあなたのいる環境である。
個人はスキル再構築とキャリア戦略
では、この構造を前にサラリーマンは搾取され続けるだけで、無力なのか。
否。
あなたができることもある。
例えば個人に帰属するスキルの向上が一つだ。
ITリテラシー、データ分析能力、プロジェクトマネジメント能力、今であればAIに関わる技術などは直接的に市場価値を生むスキルと言える。
これら時流に必要なスキル向上を目指し、自己投資を行い、業務効率化や新規事業創出に寄与できる人材になれば、あなたは「低賃金依存」から一歩抜け出せるだろう。
実際にAIスキルの取得によって年収が10倍になるケースも散見する。
SUNABACOなどの起業家育成のビジネススクールでは、そういったものを網羅的に学べる場所として機能している。
僕のnoteの読者であれば、その点は承知しているだろう。
社内だけでなく、副業や個人事業の小規模スタートも重要な意味を持つ。
勤め人だけで完結してしまう価値観からの逸脱。
キャッシュ・フロークワドラントのEだけに留まらない生き方を知ることで、可能性は広がっていく。
少なくとも今ある膠着の搾取されるだけのEポジションでしか物を考えられない状況は修正できるだろう。
自分という商品価値を高めれば、いざという時に他社への転職や高単価の業務委託へのシフト、独立起業も現実的な選択肢となる。
これらは時間と労力を要するが、あなた自身の未来を荒天の大海の中に示される灯台として寂寞とした闇から救い出してくれる。
組織内外で「声」を上げる
また個人が社会的連帯を模索することも肝心である。
今ならまだ団結できる組合活動への積極参加や、職場環境改善に向けた提言、SNSやセミナーなどを通じて同じ悩みを抱える人々との情報交換も力を総和で使うためには有効と言えるだろう。
昨今は個の力、個の発信も強化されている。
それが一定数の考えを持った集団となれば、実際に組織や政治を変えることも可能になる。
町中でデモ行進をするよりも、一定の思想を持ちながらSNSで発信する方が現状は集団を変える力があると言えるのではないか。
各種省庁が打ち出す各種対策や情報発信も確認しておくと良い。
自動化搾取システムのように作用してしまった社会保険についても、「勝手に増額されていることが分かっていなければ」抵抗も出来ないのが現状だ。
少し前までは、本当に大半の人がそのことを知らなかった。
今はXを始め、TikTokに至っても、そう言った話題を口にする。
反政策の側を取らないテレビよりも、拡散力は高まっている。
有象無象が根拠のない情報を流しているケースもあるが、それはテレビとて特段変わらないだろう。
どこにでも誰かの思想が入り込むものだ。
制度は「黙っている人」のためには動かない。
声を上げる人が増えれば、最低賃金引上げや労働法制強化に向けた社会的圧力にもなっていく。
勿論、先に述べた通り、企業側を攻めてもどうにもならない場合が、今の現状は多い。
それなら再分配の意思決定が可能である政府に対して、制度の変更を声高に伝えても良いだろう。
ここ最近で一気に理解が深まり、声を通させようと努力している「103万の壁の撤回」などが一つの例である。
それも与党お得意の「財源が」で、約束を反故にしようとしているのだから、現与党のSNSを見ている国民支持は劇的に減ってしまったと言える。
(ちなみに僕は政治思想を伝えたいのではない。あくまでも中流層を救わないと全てが頓挫するという考えに基づいて話している)
しかし現実には106万の社会保険問題が横たわっており、それによって経営者は戦々恐々としながら雇用をしていくしかなくなってしまった。
社会保険がセーフネットの構築ではなく、経済搾取を行うための”諸悪の根源”と言われる日も近くなってしまったのではないかと危惧する。
あなたが「社畜」として押し黙れば、経営陣や政治家は「現状で問題なし」と判断してしまう。
足元を見てどうか。
本当に未来を描けるような状態になっているだろうか。
なぜ「労働者」であれば、搾取され、そして未来を描けないような立場に追いやられてしまうのか。
それはそれで異質な社会構造の中に放置されていることを認識して欲しい。
確かに労働者だけでいるのは苦難な道なのかもしれない。
でも本来なら、労働者でいたとしても、慎ましく生活をしていけば、それなりの経済的な好転環境を進んでいけるはずではなかったのか。
資本主義の終わりではなく、僕らは日本的な政策の限界を目の当たりにしている。
しかしそれらを意思表示すれば、組織や制度は少しずつ変化していくのだ。
時間はかかるかもしれないが、行動しなければ何も変わらない。
政策については、後輩たちの為に声をあげ、自らは長く変わらない制度変更を待たずしてクワドラントの次なるステップに進んでいくのが得策だろう。
「今」の決断で行動する
「忙しい日々の中で、そんな余裕はない」と感じるかもしれない。
だが、立ち止まっている限り、低賃金依存型社会はあなたの生活を少しずつ蝕み続けるだろう。
本当に貧しくなっていく。
今よりも貧しくなる。
その時に、「今から」と言っても難しい。
なぜなら蝕み続けた自らの経済環境は切迫した状態を生み出し、行動する心の余裕を失わせるからだ。
「貧すれば鈍する、鈍すれば窮する、窮すれば通ず」である。
貧乏は精神が愚鈍になっていき、そして愚鈍な状況は当然ながら行き詰まってしまう。
その行き詰まりでは活路が存在せず、身動きが取れなくなると言ったお決まりの文言である。
でも本当にこうなる。
今しかないのだ。
後々厳しくなる、と分かっている、今の現状こそが最後の心の余裕の有り場所なのだ。
今こそ、行動する時。
いや、今が最後の時だ。
「何かを変えなければいけない」と“ハッ”と気づくことで、これまでの慣性を断ち切る必要がある。
誰もが最初から成功の道筋を確信できるわけではない。
しかし、一歩踏み出せば次の景色が見えてくるものだ。
どんな方法でもいい。
「今」決断し、「今」行動する。
行動によって、あなたとあなたを取り巻く環境に変化が生まれるだろう。
そして、その過程で、搾取構造からの逸脱も経験できると信じている。
あなたが変われば、社会は変わる
「低賃金依存型」社会は、放っておけば自分を含む多くの人々を蝕み、活力を奪い、将来の選択肢を狭めていく。
今その社会に生きてきたのだから分かっているはずだ。
不条理に思えるが、これが現実である。
しかし、あなたは無力ではない。
今、あなたが行動を起こすことで、未来は必ず変わる。
スキルを磨き、声を上げ、クワドラントの位置変化のための行動を起こす。
それで小さな突破口を開けることが可能なのだ。
これらの積み重ねが社会全体の空気を入れ替え、企業や政府を動かし、次世代により豊かな環境を残すことにつながっていくだろう。
「ハッ」と気づいたその瞬間が、あなたと社会の転換点である。
誰もあなたが動くのを待ってはくれない。
あなたが動き、変えるのだ。
このまま悲惨な状態まで絞られて、残滓として社会の隅にこびりつくのか。
社会を良化させる一員として機能するのか。
今、この瞬間で、決まる。
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