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鏡の中の未来『攻殻機動隊』が問いかける人間の本質 9/100

『攻殻機動隊』が描き出す未来と人間性の探求

AIの先を考えると、頭に浮かぶのはAKIRAでも鉄腕アトムでもサイボーグ009でもターミネーターでもなく、攻殻機動隊だった。

未来の都市に差し込む冷たい光のように、『攻殻機動隊』はその物語の中で人間の存在と意識の本質を照らし出す。

しかし、その光の下にある影は、押井守版と士郎正宗版とで異なる形を見せている。

これら二つのバージョンは、それぞれ異なる方法で人間とは何か、技術と人間性の相互関係を探求しているのである。

まず原作を読んでいない方は、こちらから愉しんで欲しい。
その上で、次章で説明する押井版に手を出すと、攻殻機動隊をより楽しめるのではないだろうか。

押井版の哲学的探求と静謐な映像美

押井守監督が1995年に発表したアニメ映画版『攻殻機動隊』は、哲学的な問いに重きを置いている。

人間とは何か、意識とは何かという根源的な疑問に対し、この映画は一つの答えではなく、鏡のような問いを投げかける。

草薙素子というサイボーグの主人公は、「ゴースト」と呼ばれる魂の存在について絶え間なく自問自答し続ける。
彼女の探求は、あたかも果てしない砂漠の中で水を求めて歩む者のようであり、意識の本質を求める旅の象徴でもある。

押井版は、哲学的なテーマを映像と音楽で彩る。
細密に描かれた都市の風景や川井憲次の音楽は、未来社会の不安と希望を同時に表現していると言えるだろう。
1990年代の映画アニメながら、今見ても遜色ない作りをしている。

その静謐なトーンは深い霧の中に包まれた湖面のようであり、観る者に静かな問いかけを行うのである。

ストーリーはシンプルな勧善懲悪でありながらも深みがある。
劇場版では草薙素子と「人形使い」との関係に焦点を絞り、彼女の内面的な探求に物語の重心を置いていた。
このような構成は、時折言葉を超えた領域で語られることが多く、観る者に哲学的な黙考を促す。

この後2002年には第三の攻殻機動隊と呼ばれるアニメ版(第一が士郎版と呼ばれる原作、第二が押井版と呼ばれる劇場版)が登場し、そこでは「笑い男事件」を全体構図として持ちながら、先の原作や劇場版に登場した「人形使い」に出会わずにいた草薙素子の存在というパラレルで話が展開されている。

合わせて観てみると面白いだろう。

士郎版の多様性とユーモアが交錯する未来

士郎正宗の原作漫画版『攻殻機動隊』は、劇場版とは異なる顔を見せる。

ここでは、物語は多様なテーマを含みつつ、未来社会のさまざまな問題を描いているのだ。
士郎版では、公安9課のメンバーたちが多彩なキャラクターとして描かれ、草薙素子を中心にしながらも、バトーやトグサといったキャラクターの個性や背景が強調されている点に注目すべきだろう。
異なる楽器が集まって交響曲を奏でるようなものであり、個々のキャラクターが独自の旋律を持ちながらも、一つの物語を紡いでいるのである。

そういう意味での完成度の高さは士郎版に軍配が上がるとも言えるのかもしれない。

また、士郎版には軽妙なユーモアと遊び心が散りばめられている。
未来の技術に関する詳細な描写が多く、ハードSFとしての側面も強調されているのが特徴だ。テクノロジーやサイボーグ技術の進化によって、身体の一部を機械に置き換えた人々が日常生活を送る姿が描かれているが、その中にもコミカルなエピソードが挟まれることが多い。
このような多層的な描写は、未来社会の複雑さと人間の多様性を反映している。

またストーリーの構成としては全体として勧善懲悪を軸としており、際立った哲学的な側面を少し柔らかく描いている部分がある。
その意味で頭蓋の中で脳みそを溶かしながら読む必要もなく、一つのエンタメとして楽しめる要素も盛り込まれていると言えるだろう。

異なる未来像、共通する問い

押井版と士郎版の『攻殻機動隊』は、一見すると異なる方向性を持っているように見える。

しかし、どちらのバージョンも共通して、「人間とは何か」「意識とは何か」という普遍的な問いに向き合っているのである。

押井版が静かで深遠な問いかけを行う湖面のようであるのに対し、士郎版は多様なキャラクターとテーマが交錯する市場のようである。
どちらも異なる方法で、観る者に考えるきっかけを与えているのだ。

未来社会におけるテクノロジーと人間性の関係は、どちらのバージョンにおいても中心的なテーマである。

押井版ではその関係が哲学的かつ内面的な探求として描かれるのに対し、士郎版ではより実際的で多様な社会的問題を通して語られている。

しかし、最終的にはどちらも、技術が進化するにつれて人間性がどのように変容し得るか、そしてその変化に対して私たちはどのように向き合うべきかという根源的な問いを投げかけているのである。

終わりに

『攻殻機動隊』は、その異なるバージョンを通じて、観る者に対して多くの考えるべき問いを投げかける。

人間性とテクノロジーの未来に対する異なる視点を提示しながら、共通するテーマを持ち続けるその作品は、まるで同じ目的地に向かう異なる道筋を描いているかのようである。

それは、人間という存在が持つ複雑さと、未来の可能性についての考察を深めるための、二つの異なるレンズである。
どちらの道を選ぶかは、観る者の自由であり、どちらもまた、未来を映し出す一つの鏡であるのだ。

おそらくAIがこのまま進化し、生活の中に入り込み、時に倫理面を強く考えなければならない時に、思い出す一作になるのではないだろうか。


草薙素子役の声優、田中敦子さんが2024年8月20日に永眠されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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