マイナ保険証をめぐる批判記事について
今朝、何気なくYahooニュースを見ると、《マイナ保険証の「メリット」は“真っ赤なウソ”だった?…“政府資料”が物語る医療現場での「役立たずな実態」とは》という刺激的な表題の記事が目に飛び込みました。どうやら、「哲学系ゆーちゅーばーじゅんちゃん」と名乗るお方の記事らしいのですが・・・。
じゅんちゃんさんは、マイナンバーカード普及のための過剰サービスに莫大な国費を費やしたことにお怒りのようですが、この主張には私も多いに頷けます。懲りずに第2弾まで打ち出したマイナポイント事業ですが、使いみちも理解せずポイント欲しさにマイナカードを取得したり、公金受取口座や保険証の登録をしても、実際に活用が促進されるはずはありません。その証拠は、マイナ保険証の取得率が88.7%にもかかわらず、利用率が11.13%と大きく乖離している実態からも読み取ることができます。さらに、利用率の低迷以上に、誤登録問題は大きな社会問題まで引き起こしました。その背景には、窓口に住民が一斉に殺到し、外部から応援要員まで駆り出して大わらわで処理を行ったことも一因とされています。その結果、誤登録問題がきっかけでマイナカードに対する信頼性まで失墜させてしまったのは、皮肉としか言いようがありません。
こうしたこともあり、じゅんちゃんさんの指摘された”過剰サービス”へのご批判は大いに納得できるのですが、その後の批判内容にはどうしても頷くことができません。
まず、政府のCMで「患者本人がこれまで別の病院で受けた診療内容を忘れてしまっても、マイナ保険証に紐づいた過去の診療内容を病院側で共有して確認できるので安心だ」と言っていることは真っ赤な嘘と難じていることです。私自身このCMは見ていなかったので、マイナ保険証についての政府CMを片っ端から検索しましたが、同じ表現を使ったCMは見つかりませんでした。迂闊に断定はできませんが、マイナ保険証では過去の投薬履歴や特定健診結果などの閲覧は可能であるため、それを誇張して解釈されたのかもしれないと思いました。
また、「共有できるのが役に立たない過去の情報」とも断じられておられますが、果たしてそうでしょうか? 少なくとも、過去に処方された薬の情報や検診結果などは、新たなクリニックにかかる際の問診票に記入する上で持っていて損はない情報ではないと思うのです。私も長い間降圧剤のお世話になっていますが、旅先などで薬を切らした際に駆け込んだクリニックで薬の種類が正確に分かれば大いに助かると思います。
さらに、マイナ保険証で紐づけられる診療データは社会保険診療報酬支払基金などの審査を経た結果のデータであり、数か月も前のデータのため、医療従事者が判断に用いられるものではないと批判されておられます。しかし、もとよりマイナ保険証は医療従事者が診療の際に閲覧するためのツールとして設計されてはいないので、これは批判には当たりません。どうやら、この方は医療行為と医療費事務を混同されておられるように思います。
レセプトは申すまでもなく診療報酬請求書のことであり、これは医療費事務に該当します。その結果を集積したデータベースを、医療行為に当たる医師が閲覧するはずはないのです。卑近な例を挙げますと、国立病院機構がレセプト内容を調査した結果、入院中のがん患者に処方された薬の多くは睡眠導入剤と便秘改善剤だったようです。入院のストレスによるものでしょうが、つまりレセプト情報をいくら読み込んでも、実際の病名にたどり着くことはできないのです。
もちろん、医療行為で活用できるような診療記録等の情報の共有化や連携に向けた検討は行われています。すでに先進的医療体制が実現している国では、共通の医療IDによる医療連携が実現しており、わが国の医療もそうした体制構築に向けた整備を急ぐ必要があります。じゅんちゃんさんが指摘されるとおり、病院間でカルテ情報がシームレスに連携できるようになるには、ある程度の時間はかかるでしょう。しかし、そうした体制が実現できないと、加速する高齢化や地域間の医療格差の拡大、医師・看護師不足などといった生存に関わる社会の大問題の解決の糸口すら開けていけません。とはいえ、これはマイナ保険証とは別次元の課題であると同時に、デジタル医療に向けた最初の一里塚と言ってもいいと思います。その入り口で情報活用を全否定してしまえば、将来設計すら描けなくなってしまうと危惧します。
記事の最後に、マイナ保険証があることで救急隊員がマイナポータルにログインする手間が増え、救急活動に支障が及ぶといったことを仰っておられますが、これについても首をかしるしかありません。まず、救急隊員がなぜ患者をそっちのけで、真っ先にマイナ保険証を使ってマイナポータルにアクセスして医療情報を確認を行わなければならないのでしょうか? 前に触れた通り、今現在ではマイナポータルで確認できるのは投薬情報や特定検診結果情報程度です。基礎的なバイタル情報が分かればそれに越したことはありませんが、刻々と変化する脈拍や心電図・酸素濃度などの情報は救急活動の中で取得することになります。唯一有効と思えるのは、意識のない患者の氏名や住所などの個人情報程度ではないでしょうか。
欧州などでは各々の専門に特化した限定的な情報を、カードを差し込むだけで得られる専用端末が配布されています。交通取締りの警官が持つ端末には運転免許証などに関連する情報が表示され、駅員や乗務員にはマイナカードを差し込むと乗車券情報のみが表示されるといった具合です。同じように、救急隊員にも救急業務に必要な情報のみが表示される端末を持たせれば、マイナカードを差し込むだけで必要な情報は得られるはずです。
マイナンバーもマイナカードもマイナ保険証も、社会の利便性を向上させる目的で構築された仕組みです。アジアでは、医師の机に置かれた専用端末に患者が自分のカードを差し込むと、その患者の医療情報がディスプレイに表示され、それにより無駄のない医療行為が行われている国は多くあります。また、医療機関の階層化が整っている欧州などでは、プライマリー医療情報がセカンダリー医療を担う病院に引き継がれ、ピンポイントで必要な処置が行える体制が出来上がっています。韓国の大病院では、待ち時間なしで必要な検査や処置が流れ作業的になされることで、日々一万人単位の患者の治療が行える体制がすでに整っています。さらに欧州連合ではEuropean Health Data Space(EHDS)という国を超えた医療データのガバナンス体制構築に向けて動き出してもいます。
現状を憂え批判することは大いに結構ですが、まずは将来の日本社会という大局を眺めつつ、他国が実現している医療環境に少しでも近づいていくことこそ、将来世代に向けて今為すべきことではないでしょうか。