太平洋戦争のアメリカ海軍潜水艦運用 ー日本に与えた被害ー
ミリタリーサークル徒華新書
@adabanasinsyo
主催の久保智樹です。
太平洋戦争におけるアメリカ海軍潜水艦は日本に猛威を振るいました。島国日本はその国力を海上輸送路に依存しながらもその防護に失敗してアメリカ海軍の潜水艦によって甚大な被害を被りました。
ではなぜアメリカ海軍は潜水艦の運用で成功したのでしょうか。
将兵はどのような人物であり、武器はどんなもので、どのような苦労があったのでしょうか。太平洋における敵の姿を我々は実はそれほど精緻にわかっていないのではと思いこの記事を書いています。
本日はアメリカ海軍の潜水艦が誰によって指揮され、どのような苦労があり、そしてどのように活躍したのかを論じていこうと思います。
太平洋戦争開戦時の潜水艦戦力
アメリカ海軍アジア艦隊。
名前こそ立派であるが旧式艦艇をわずかばかり寄せ集めた艦隊がアメリカの太平洋における最前線部隊でした。太平洋戦争開戦時には旧式の巡洋艦を旗艦としたこの艦隊は29隻の旧型潜水艦を有していました。
その多くは第一次世界大戦時に就役したS級潜水艦であり、1940年に生産開始されたガトー級はアジア艦隊には配備されていませんでした。真珠湾を拠点とする太平洋艦隊を合わせると1941年12月の配備数は55隻の大型潜水艦と18隻の小型潜水艦で73隻になります。大西洋艦隊を合わせると114隻の潜水艦が戦力として配備されていました。
参考までに開戦時の日本海軍は潜水艦60隻程度の規模であり太平洋正面の開戦時の潜水艦はそれほど隔絶した戦力差ではありませんでした。
1941年12月8日、真珠湾に対して連合艦隊が奇襲攻撃を仕掛けたことで太平洋戦争は勃発しました。この時港に停泊していた潜水艦は5隻のみで他は哨戒や本国で整備などを受けていました。
真珠湾攻撃を受けた4時間後にアメリカ海軍作戦部長のハロルド・スターク提督は潜水艦と航空機による無制限の攻撃を命令しました。
アジア艦隊の潜水艦はこの命令を受ける前から根拠地フィリピンを目指す日本の上陸部隊に狙いを定め既に出向していました。
潜水艦|《イルカ》乗りの代表的人物
イルカの記章を胸につけた潜水艦乗り。
日本において潜水艦乗りを経験した提督というのはなかなか代表的な人物に欠けるかもしれないです。
しかし対照的に、アメリカ海軍においてこのバッジを身に着けた将兵は実に多岐にわたっています。
太平洋戦争において「アメリカ海軍艦隊司令官兼海軍作戦部長」という最高位を務めたアーネスト・キング提督はそのキャリアを水上艦はもとより空母や潜水艦でも過ごしていました。
「アメリカ太平洋艦隊」司令官のチェスター・ニミッツ提督も潜水艦に関する任務に長く携わった。潜水艦隊の司令官を務めたのみならず、潜水艦の造船計画においても能力を発揮しています。ニミッツと潜水艦は切っても切り離せないもので太平洋艦隊の司令官の着任時の旗艦を潜水艦「グレイリング」としました。後年彼はそれしか船がなかったと皮肉交じりに語っているところではあるのだけれども。
太平洋戦争を指導した海軍のツートップが潜水艦乗りであった点はあまり指摘されないのですが、戦艦偏重の日本軍の人事と比べると両司令官は極めて多岐にわたる艦種で経験を積んでいたことは見落としてはならないでしょう。
そして最も重要な実際に潜水艦を指揮した人物。ロバート・イングリッシュ提督はアメリカ海軍の第一次世界大戦からの歴戦の潜水艦乗りであり、彼が「太平洋艦隊潜水艦司令官」として実際の潜水艦の用兵を担当しました。
開戦一年間の振るわない潜水艦隊
潜水艦の勤務経験がある両提督の下で作戦を行ったアメリカ潜水艦隊であったがその活躍は開戦当初実際振るわなかったです。
フィリピンに展開していた潜水艦隊は日本軍の来寇に際して実は出撃していました。陸上のマッカーサーが海軍のやる気の無さを非難していましたし、実際に水上艦隊はオーストラリアに退避していたのであながち間違いではないでしょう。しかし潜水艦隊はその任務を全うしようとしていました。しかしアメリカ海軍の潜水艦の攻撃は不良品として後に悪名高くなるMk.XIV磁気魚雷によって不発に終わり、日本軍は攻撃されたことに気が付かないというひどい有様でした。
それのみならずキング提督は潜水艦を通商破壊に投入するよりも日本海軍に対してぶつけることを選んだことも混乱に拍車をかけました。
一般に日本軍の艦隊型潜水艦は通商破壊よりもアメリカ海軍に対する漸減撃滅戦のための兵器として発達したとされますが、対するアメリカ側も実際の所は潜水艦を艦隊決戦の補助兵器とみなしていたのでした。
一例を挙げればミッドウェー海戦に際してロバート・イングリッシュ提督はタスクフォース7-1から7-3までの3個艦隊に部隊を分割し計25隻の潜水艦でミッドウェー島に対する哨戒線を張っていた。タスクフォース7―1の潜水艦カトルフィッシュが日本の艦隊と最初に接触し、この報告を受けてミッドウェー島は臨戦態勢に移行しています。
このように磁気魚雷Mk.XIVの不発と艦隊決戦の補助的な運用によって潜水艦は最初の1年はなかなか戦果を挙げることが出来なかったのでした。
魚雷の代わりに鉤爪を寄越せ!!
Mk.XIV魚雷の性能不足は潜水艦乗りの間ではもはや疑いようのない事実にまでなっていました。しかしながら、ロバート・イングリッシュ提督はあろうことか上院の能力不足に責任を転嫁し費を認めようとしませんでした。そして設計した海軍兵器局は一丸となって自らの立場を擁護する官僚主義的な態度により一向に改善せず、現場では旧式の魚雷すら引っ張り出す騒ぎでした。
用兵における艦隊の補助兵器と魚雷の不備はアメリカ海軍の潜水艦の活動を低調にしていました。1942年の潜水艦による日本船舶の撃沈は150隻程度でした。これは同時期のドイツ海軍のUボートが1ヶ月足らずであげる程度の戦果であったことを思えば日本海軍がアメリカ潜水艦を軽視するのも無理もないことでしょう。
太平洋戦争における潜水艦隊が活発化したのは一つの不幸な事故がきっかけでした。ロバート・イングリッシュ提督の乗る航空機が嵐に巻き込まれ墜落し幕僚ら18人とともに提督がこの世を去ったことです。
後任にはチャールズロックウッド提督が着任しました。
この提督によって潜水艦隊は劇的に攻撃的になります。
提督は日本軍と立ち向かうと同時に海軍兵器局に対する闘争を決意しました。信頼できないMk.XIV魚雷をどうにかすること、航跡の出ないMk.XVII電気魚雷を配備することを推し進めました。
ワシントンにおける会議でロックウッド提督は怒りをぶちまけます。
その激しい怒りは海軍全体を動かしついにMk.XIV魚雷の改修に着手することを可能としました。
内側との戦いだけでなく、ロックウッド提督は海軍潜水艦隊の運用そのものも大きく手を入れた。ドイツ海軍同様に複数の潜水艦からなる”群狼”部隊を編成し一挙に敵船舶を殲滅するという方式を導入したのがマリアナ沖海戦の直前のことでした。
群狼戦術は単に部隊の集中だけでなく、その攻撃可能性の向上にも注意が向けられた。潜水艦隊は「ウルトラ」として知られるアメリカの総力を挙げた暗号解読の成果を元に日本軍の最新の船舶の位置を把握し効果的な襲撃を可能としました。
暴れ出す潜水艦隊
ロックウッド提督による改革は大きな戦果を挙げました。
戦後のアメリカ戦略爆撃軍団調査報告書は日本海軍の損害を正確に記録しているが、それを見ると1943年以降の潜水艦運用の精緻化が一目です。
1942年を通じた潜水艦の戦果は155隻撃沈であったが、1943年は296隻にもなりました。そして1944年には548隻が撃沈されました。
まさに倍々ゲームで撃沈数が増大していました。
それは魚雷の改良と、運用の改良が同時に成功したからでしょう。
また潜水艦による日本海軍船舶の撃沈も年が進むにつれてますます大規模となっています。
1942年に11隻、1943年も12隻であった海軍艦艇の損失は、1944年には56隻にもなりました。そこには本来対潜作戦をおこなう帝国海軍の駆逐艦30隻をも含んでいます。
そして1945年にはもはや潜水艦が駆るべき商船も軍艦も残らず残敵掃討戦となりました。
1945年9月2日ミズーリ号における降伏調印式に12隻の潜水艦も勝利に貢献した部隊としての当然の権利として東京湾に錨を下した。
総括 アメリカ潜水艦の戦果
太平洋戦争における戦没者は300万人を数えます。
このうち30万人が海没者でした。わが国は先の大戦で実にその1割の人々を海上において亡くしました。
損失船舶で見ると7240隻、その総トン数は900万トンに上ります。
うち大型船舶は2540隻、800万トンになります。
この2540隻の喪失の実に半数に当たる1152隻が潜水艦による戦果でした。
帝国海軍の保有艦船についても検討を加えます。
戦艦1隻、空母8隻、重巡4隻、軽巡11隻、駆逐艦47隻、潜水艦17隻で総計88隻の軍艦が潜水艦による被害を受けています。開戦時の連合艦隊が220隻を数えることを思えば、その開戦時の4割に当たる軍艦が潜水艦により漸減されたことを意味しています。
対するアメリカ潜水艦隊の支払った代償について。
52隻の潜水艦と3453人の乗組員である。
彼らは現在も太平洋において潜航し任務にある。
ヨーロッパ戦線における最も長く続いた戦いはドイツ海軍のUボートとイギリス海軍の護衛部隊の間の「大西洋の戦い」であった。大日本帝国海軍が最も長く戦ったのは言うなれば「太平洋の戦い」という戦役だったのではないでしょうか。
真珠湾、ミッドウェー、マリアナ、レイテ。これらの大海戦以上に中長期的に我が国の国力を消耗させたのは間違いなくこれら一連の戦役の結果であるように思えます。
参考文献
フリント・ホイット・ロック、ロン・スミス著、濱元史訳
『アメリカ潜水艦隊の戦い』元就出版社、2016年
United States Strategic Bombing Survey : [Reports] (Pacific War)
Report72-89
谷村康弘編『太平洋戦争開戦詳細帖1941-1945』ホビージャパン、2014年