遊びと仕事の境界線

よく「編集者の仕事はどこまでが遊びで、どこからが仕事かわかりづらい」といわれる。たとえば、本屋をぶらついて平積みされている本をチェックしたり、売れている本を購入して読んだり、ネット上をブラブラしておもしろそうなブログを発見するのも、仕事の一環といえば一環だ。だが、休日にこれらのことをやっていれば遊びになるし、出勤日にやっていれば仕事になる。ここら辺の境界線上はあいまいだ。

そして、これはなにも編集者に限った話ではない。私はこれまでバリエーションにとんださまざまな人と話をしてきたが、どの業界のどんな職種の人でも、仕事ができる人に限ってじつは、オフィシャルとプライベートをあまりキッチリ区切っていないような気がした。

とはいっても、これは別に会社でやるべき仕事を家に持ち帰ってやるとか、会社のデスクでゲームをするとか、そういう意味ではない。境界線があいまいな人は「遊び(趣味)=仕事」なのだ。「仕事が趣味です」なんていうとカワイソウな人のように見られるかもしれないが、じつはとても幸せなことなのではないかと思う。これはたとえば、アスリートの趣味が筋トレであるようなものだ。仕事は体を動かして結果を出す(試合に勝つ)ことであり、趣味も体を動かして結果を出す(筋肉をつける)ことである、つまり、「趣味=仕事」だ。しかも、趣味も仕事も双方に影響を与えるから、趣味に力を入れれば必然的に仕事にもよい影響を及ぼす。

さすがに最近は「仕事とはイヤなことを金をもらってやることだ」と公言する人はあまり見かけなくなったが、友人などと飲み会に行って仕事の愚痴しか出なかったりすることが多い。私はそういう人の話を聞くと、「毎日イヤなことばっかりやっていて、この人は大変だなぁ。大変我慢強い人なんだな」などと思ってしまう。基本的に私は自分がやりたくないことを我慢してやり続けることができない性質なのだ。

じつは、私は最初の編集プロダクションに入る前に、とある税理士事務所の長期インターンシップに参加していた。べつに税理士を目指していたわけではないが、大学を卒業してしまって時間がたっていたので、そろそろなにかしら収入なり就職口を見つけなければマズイ……という焦りからそういう行動に出たのである。だが、それが地獄の日々だった。

とはいっても、別にその会社がブラックだったわけではない。むしろ、超絶ホワイトだった。務めている人はみんな優しいし、朝にはみんなでラジオ体操をして、週に一回は近所のごみ広い活動をする。そして、毎週水曜日はノー残業デーで、6時になると強制消灯してとにかく早く帰るように促すのだ。お客さんは中小企業の社長さんたちが中心だが、評判はよく、そんなに大きな規模ではないので社内闘争なども(私が見る限り)なかった。問題は私の気持ちである。

なにしろ私は税理士を目指しているわけでもなく、簿記の資格すら持っていないのだ(一応、仕事に役立てようと3級を受験したが、全然勉強をする気になれず落ちた)。人々の役に立つ仕事であるというのは重々承知していたし、会社の人たちもみんな優しくていい人たちだが、いかんせん仕事にまったくおもしろみを見出せない。そもそも私は本が好きで、編集者を目指していたのに、ここでこんな仕事をしていて、いったい将来をどうするつもりなのだろうかと、まったく仕事の内容に意義を感じられなかった。毎朝起きるのが億劫になり、駅から会社に歩く道は憂鬱で、毎週月曜には「早く金曜日にならないかしら」と願っていた。

それに比べると、次に正社員として就職した編集プロダクションは、客観的に見れば超絶ブラックである。社長は狂ってるし、朝から晩(下手すると翌朝まで)まで馬車馬のように働かされるし、土日も出勤せざるを得ないし、どれだけ残業しても残業代は出ないし、いろいろ理不尽な仕打ちを受けるし、給料は恐ろしく低い。

しかし、それでも私にとっては、あの税理士法人と比べれば「まだマシ」だった(さすがに「天国」とは言わない)。なぜなら、仕事が楽しいからだ。また、将来の展望についても、「3年以内にここの仕事をマスターして、絶対に版元に転職してやる」という野望を抱いて、日々研鑽に励んでいた。税理士法人の仕事はどうがんばっても私の「趣味」にはできなかったが、編集の仕事ははじめから私の「趣味」とかぶっていたので、どれだけキツくても楽しめたのだ。

結果的に見れば、私が税理士法人で働いたのは「間違った選択」だった。しかし、人生は必然でできている。もし私が税理士法人で働く経験を持たないまま――つまり、興味がない仕事をするのが地獄だということに気づかないまま――編集プロダクションに就職していたら、その仕事を投げ出して編集者の道をあきらめていたのかもしれないのだ。その意味においてはあの税理士法人でワークショップを行ったことは結果的に「正しい選択」だったのだ。その行動が正しいか、間違っているのかはそのときには判断できないし、私は基本的に「人生において間違いは起こらない」とも思っている。すべてが、なにかの役に立っているはずだ。

すっかり最初のほうから論点がずれてしまったが、結論を強引にまとめると「仕事が楽しい人は幸福である」ということだ。そして、仕事が楽しくないと感じているのなら、それはけっこう高い優先順位でナントカするべき事柄なのだとも思う。一応、以下に参考記事も載せておく。

仕事と遊びの境界はどこにあるのだろうか?

http://www.huffingtonpost.jp/yuuya-adachi/business-and-pastime_b_6322954.html

仕事と趣味の境界線を曖昧にする。仕事が趣味になれば、いつでも楽しいはず

http://diamond.jp/articles/-/38961

「仕事」と「遊び」が融合し、「オン」と「オフ」の境目がなくなる時代。

http://www.ikedahayato.com/20150918/40318309.html

グーグル流「遊びながら結果を出す」仕事術

http://president.jp/articles/-/10841

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