【決められた答えにはなんの面白みを感じない、様式美は宇宙においては模範解答に過ぎない】
どうも!みなさんおはようございます!
久しぶりに早朝からスタバで記事を書いています管理人です。
やっぱり朝活っていいですよねぇ〜人もあまり混んでいなければ、流れている音楽もカントリーな雰囲気で朝にピッタシだったりします。
さてそんな快適な環境の中で展開していくテーマがこちら!
”決められた答えにはなんの面白みを感じない、様式美は宇宙においては模範解答に過ぎない”
です!
あなたの答えにオリジナリティはありますか?
またまたなんについて話すんだヨォ!と思われた方もいるでしょうが今回のテーマのキーワードとしては”オリジナリティ”というものになってきます。
さて、私含め皆さんに総じて言えることがあるとすれば、決められた答えのなかで生きてきたと思います。
小学校、中学校、高校、というような形で私たちは自分たちのレベルをあげて生活してきました。
もちろんこの青春真っ只中のこの時期にもてはやされるのが勉強ができるかできないか問題ですね。
ここで急なんですが私自身答えのある学問ははっきり言って苦手です。
しかし、それ以外の明確な答えのない問題解決方法や新しいアイデアを次々に出すことに長けています。
そこで私が生活してきた中でどうしても納得のいかない話をしたいと思います。
Q幽霊はいるのかいないのか?
この質問に対し様々な答えが出てきますが、多くの学者たちは『いるという証明ができないからいない』と答えます。
ここに私は不快感を感じるんですよね笑
なんというか、結果的にその答えになったのであれば納得は行きますがこの答えって、手垢塗れじゃないですか?
オリジナリティを感じないというか石ころみたいに様々な答えがあっていいのに、これんも答えはこれ!見たく答えが決められているものに対してどうしても思い白身を感じないんですよね笑
例えるならば1+1=?と聞かれてほとんどの人は2と答えますがそれ以外の答えの方がオリジナリティがあって面白いじゃないですか。
田んぼの田って回答は手垢どころじゃないですね。毎年、いや毎日小学生は使ってるでしょう。
例えば、1とか面白いですよね。
まぁこれはエジソンの答えですが、模範解答に囚われるって結構リスクだし、君はどう考えるのって聞かれたら同じことしか言えないって悲しくないですか?
ムンクの叫びを絵を知らない小学生に見せてこのえは何を表してると思う?と聞いたら”漏らした”などという面白い目線で表現するでしょうね。
基準としての模範解答とそれを完全解として慕う風潮はオリジナリティを損なうような気がしてなりません。
そんな中でみなさんは学問に対しどのようなアプローチをとりますか?
ぜひ皆さんんも意見をお聞かせください!
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