見出し画像

審美眼とは何か?

審美眼とはただ美しいものを
見つける目ではない。

それは物事の本質を見抜き、
表面的な華やかさや装飾にとらわれず
静かに息づく美を感じ取る力である。

美は必ずしも派手で、
目を引くものではない。

むしろ、簡素で控えめなものの中に
隠れていることが多い。
これを見極めるには、心の状態が重要となる。
心が乱れているときには、
その繊細な美を捉えることは難しい。
静寂の中でこそ真の美が姿を現す。

しかし、
人はしばしば美を誤解する。
欲望や虚栄心がその視線を曇らせ、
美の本質から目を背けてしまう。
美は純粋であるべきだと願いながら、
実際にはそれを捉えることができない。
おそらく我々は美そのものを恐れているのだ。

なぜなら真の美を理解する瞬間、
それは私たち自身の弱さや醜さをも
暴露するからである。

太宰治の言葉を借りて言えば、
こう表現できるだろう。

「美とは私たちの罪深さを映す鏡だ。
美に触れるたびに、
私たちは自らの不完全さを直視せざるを得ない。だからこそ、美は私たちにとって畏敬と恐れの対象なのだ。
しかし、それでもなお美を追い求めるのはその不完全さこそが人間の本質だからである。」

このようにして、
人はしばしば混乱の中で物事を捉え、
不完全な形で世界を見る。

しかし美しいもの、
本質とされるものに触れたとき、
その瞬間だけでも、
考えを手放し、
ただその美に身を委ねることができるならば、
心は静かに震える。

その震えこそが、
私たちを本当の意味で
美に向き合わせる瞬間であり、
自らの不完全さを実感する機会となるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?