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ある記事をシェアされた感じたこと。

ある信頼のおける方からとある日
私にコラムシェアしてくれた時の話だ。

その方は物事の捉え方や他人への配慮に非常に優れた人で、とても感性が豊かな方だと感じておりその深い洞察にいつも驚かされる。
今回はさらっと「頭の体操になりました」という一言を添えて、
そのコラムをシェアしてくれた。

タイトルに目を留めると、「靖国神社」という言葉が含まれていた。
それを見た瞬間私は「これはかなり重いテーマだ」と直感し、
後でじっくりと読もうと思った。
靖国神社というテーマが持つ歴史的・感情的な重みを、すぐに受け止めるには少し覚悟が必要だと感じたからだ。

しかし時間を置いて実際に読み始めてみると
その重さは意外と感じなかった。
それどころか繰り返し読むうちに、
靖国神社という大きなテーマから日常の中へと自然に落とし込まれていく
感覚を覚えた。

コラムの中で触れられていたのは靖国神社が抱える「種火」についてだった。靖国神社は、日本の歴史や人々の感情が交差する場所であり、様々な思惑や緊張感が潜んでいる。
種火は常にくすぶり続けていて、
何かの拍子に燃え上がる可能性を秘めている。
しかし実際には靖国神社は静寂に包まれ、
そのくすぶる火が大きな対立や争いを引き起こすことなく保たれている。

この「種火」の存在は、
日常の中のカップルや夫婦の関係性にも通じると著者は言う。
長い付き合いの中でお互いの間に小さな緊張感や摩擦が生じ、
それが日々積み重なっていく。
表面上は穏やかで平和に見える関係でも、
内部にはいつ燃え上がってもおかしくない「種火」が
常に存在しているというのだ。

この考えを読んで私は何度も「その通りだ」と感じた。
日常生活の中で仕事仲間や夫婦や家族の関係には、
見えないところで火種がくすぶり続けることがある。
それは時に、ふとしたきっかけで大きな問題へと発展することもある。
お互いに築いてきた平和や理解が、
一瞬で崩れてしまうことは珍しくない。
特に、長い間一緒にいる間柄であれば、
その火種はますますくすぶりやすくなる。

筆者がカウセリングを生業とされていることもあり話は靖国神社の種火からカップルの種火の関係性に飛躍する。
この二つは一見遠いように思えるが、
どちらも内に秘めた緊張感を持ちながらも、
表面的には平穏を保っているとしているのだ。
ただ種火がなくなるということは興味関心を失うこととも等しく
種火がいかに重要な要素として働くかをそれぞれの関係性で理想を
追い求める必要があるという。
そこでカウンセリングという第三者を交えてお互いのヒリヒリの開示や
認識を統一していくことが大事なのだとその中で
感じた。

またこの内容に関しては触っていこうと思うのでフランス映画なみに、で?!という終わりになったが次回以降にまたまとめて行きたい。

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