拝啓、いつかの私へ #2
アラームが鳴った。
白くボヤけた世界から、私の意識は一気に現実に引き戻される。
小学生の頃の夢を見た。
今よりもずっと世界がキラキラしていて、私は何でもできる、何にでもなれるという全能感に満ちた感覚を思い出させてくれる夢だ。
どんなに嫌なことがあっても、それら全てをほんの少しだけの間忘れさせてくれる。
いつからか私は、そんな夢の再上映を期待して眠るようになった。
好きな音楽を流して、私はバイトに出勤する準備を始める。バイト先の喫茶店は自宅から歩いて10分程度の距離にあるため、ゆっくりと準備をしても出勤時間には余裕で間に合う。
火の元を確認して、窓の鍵を閉めて、忘れ物が無いか確認して、私はバイトに出発した。
もちろん、家の鍵はしっかりと閉めた。
喫茶店で働くスタッフは、そのほとんどが40〜60代のおばちゃんだ。
男性のスタッフは店長と、ルワンダから来たらしい留学生の2人だけ。
店長は企業を定年退職した後に、昔からの夢だったというこの喫茶店をオープンしたらしい。
私がこの街に引っ越してきたのは、今から2年前、私が大学に入学した年のことだ。
私が中学生だった頃、父はある大きな仕事で失敗したらしく、社内で無能のレッテルを貼られることになった。
その頃から性格が荒んでしまった父は、家で母に暴力をふるうようになってしまった。優しかった母も次第に、父からの暴力への腹いせか八つ当たりか、私を怒鳴りつけたりするようになった。
まだ15歳だった当時の私がそこから学んだのは、「人は変わる」ということだ。
人は良い方向に変われることもあれば、その逆もある。
私が高校に進学したタイミングで、母は父から逃げるように離婚した。もっと正確な言葉で言うと、あれは夜逃げそのものだった。
私の手を取って家から飛び出した母は泣いていた。私を暴力親父の元へ置いていかなかったのは、変わってしまった母が久しぶりに見せた優しさだったのだと思う。
星空が綺麗に見える夜だった。
母は朝から晩までスーパーで働いていたが、私にお小遣いをくれることなんて一度も無かった。
だから私は家の近くにあるコンビニで授業後や土日に一生懸命働いてお金を稼いだ。
高校の近くにもコンビニがあったが、高校の場所を知っている父が来たら面倒なことになるだろうから、私は父が場所を知らない家の近くでコソコソと働くことにしていた。
学校の勉強もあるため、コンビニバイトを頑張っても年頃の女の子にとって十分なお金を稼ぐことは難しかった。
みんながスタバのフラペチーノを持ち歩く中、私は小学校から使っている水筒に麦茶を入れて持ち歩いていた。
みんなのスマホの画面が年々大きくなっても、私のスマホの画面はずっと小さかった。
それでも私が勉強もアルバイトも頑張れたのは、優しかったかつての父と母と3人で、またいつか一緒に暮らせる日が来ると信じていたから。
私が頑張って勉強して、賢い大学に行って、良い企業に勤めて、お父さんもお母さんも養えるくらい立派になればきっとまた、3人で笑い合えるような気がしていた。
高校3年生の私のバイト代は全て参考書と受験費用に消えた。
大学受験にはお金がかかるから、高3の1年間は新しく服を買うことも、カフェに行くことも一度も無かった。
3月9日
卒業式も終え、無事高校を卒業した私だったが、コンビニのバイトはまだ続けていた。
合格発表の日だったが、変わらず私は朝から夜までシフトに入っていた。22時にシフトを終え、ウェブサイトで合否を確認する。
無機質な受験番号の羅列の中に、私の受験番号を見つけた。学部は第二志望の文学部だったが、それでも何とか国立大学に合格したのだ。
あぁ、努力が報われた。
ここからもう少しだけ頑張れば、きっとまた家族3人で笑い合える日々が戻ってくる。
星空が綺麗に見える夜だった。
昔にも同じような夜空を見た気がしたが、それがいつだったか思い出せなかった。
まだ肌寒い3月の夜。
私は白い息を吐きながら、ボロいアパートの階段を駆け上がる。
母に伝えたい。
合格したことを、頑張ったことを。
ドアの鍵を開け中に入ると、部屋の電気が消えている。
いつもこの時間には母も帰ってきて、電気をつけたまま寝ているのに。
電気をつけると、リビングの小さな机の上に手紙が置いてあるのが見えた。
ひなちゃんへ
おかえりなさい。
そして、ごめんなさい。
私は、お父さんやひなちゃんみたいに強くなれないから、いつもこんな逃げるような別れになってしまって本当にごめんなさい。
春の暖かい朝に産まれた、本当にかわいいかわいいあなたに、私とお父さんは『陽向』と名前を付けました。
太陽に向かって育つ向日葵のように健やかに育ってほしい。周りの人にとっての太陽のような、みんなから必要とされる人に育ってほしい。いつか人生に迷った時に、あなたが進むべき方向をあなたの名前が照らしてくれるように。
たくさんの願いを込めてあなたにこの名前を付けました。
私とお父さんにとって、本当に太陽のような存在のあなたに、こんなにも辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさい。
いつかまたみんなで暮らせる日が来ると信じています。
あなたは強い子だから、きっと大丈夫。
幸せになってください。
お母さんより
西野 陽向
これが私の名前
小さい頃に「ひなたって男の子みたいな名前で嫌だ」と言ってしまった時、お母さんはとても悲しそうな顔をして、けど優しく微笑んで頭を撫でてくれた。
「ひなちゃんは強い子 優しい子 かわいい子」
お母さんは私が小さい頃にこの言葉をよく口ずさんでいた。
全てが壊れたあの頃から、母は『ひなちゃん』とは呼んでくれなくなった。
『お前』『あなた』そんな呼称が馴染んだ私に、お母さんは最後にもう一度、私の名前を呼んでくれた。
「みんなで暮らす」の『みんな』の中に、お母さんも入っているのに。
私が幸せになるためにはあなたが必要なのに。
遠くの星空どころか、目の前の文字も見えないほどに、私の目から涙が溢れた。
3日後、近くの森林で母は遺体で見つかった。
母は自ら命を絶った。
母の遺品整理をしていた時に『ひなちゃん』と書かれた分厚い封筒が出てきた。中にはしばらくアルバイトをしなくても暮らしていけるだけの札束が入っていた。
「そういえば、お母さんあんなに働いてたのに新しく服買ったりしてなかったな」
母はお金をずっと貯めていた。朝から晩まで働いて。私のために。いつか私が幸せになるために。
この日から、【幸せになること】は私にとって権利ではなく義務へと変わった。
父は今どこで何をしているのかも知らない。
知りたくもない。
私は荷物をまとめ、18年過ごした街を捨て、母が遺したお金と共に進学先の大学があるこの街へ1人で引っ越してきた。
太陽が、肌寒かった世界を少しずつ暖め始めていた。