拝啓、いつかの私へ #9
私は心の中にある全ての思いを隠し、大学3年の前期を過ごした。
琥乃美や歩実からあの男とどうなったのかを聞かれることもあったが、「なんか別の人とくっつくことになったらしくてさ〜」とはぐらかした。
「他にマッチングしてた人もいなかったからアプリも辞めちゃった」とそれっぽい理由を付けて、私は自分が手をつけたものを1つ1つ終わらせていった。
前期を終え、夏休みに入った。
琥乃美も歩実も地方の実家に長期間帰省するため、夏休み中に会うことは無い。
コノエのアルバイトも、徐々にシフトを減らしていった。
まず私は全ての貯金を口座から下ろした。
銀行の帰り道に、書店で手紙と封筒を10セット程購入した。
エアコンの効いた部屋で、思いつく限りのお世話になった人宛に手紙を書いた。
手紙を書いたことなんて数える程しか無かったため、書き出しは全て【拝啓、◯◯様へ】で統一した。それしか知らなかった。
下ろしたお金のうち、数万円を持って陽向は一人旅に出た。
万が一地縛霊となった場合にも過ごすのが苦痛ではない場所を求める旅だ。
(山の中はなんか嫌だな)
(街中も人通りが多くて嫌だな)
(やっぱり公園か?)
色々なことを考えながら、陽向は結局あの公園を終わりの場所に決めた。
思っていたよりもテンポよく進む準備の中で、陽向に恐怖心や後悔は一切芽生えなかった。
むしろ、もうすぐで幸せになれるという期待が募るばかりであった。
(できる限り人に迷惑をかけないように準備して終わりたいな)
そう考えた陽向は、最終段階として家の片付けをすることにした。
荷物をダンボールに収納していたが、分厚い大学の教科書や例の男との食事のために購入した服がかさばって、すぐにダンボールが足りなくなってしまった。
時刻は19時を過ぎていたが、近所のスーパーにダンボールを貰いに行く。
帰り道に親子で花火をしている家があった。
きっと子どもも親も幸せそうな顔をしているのだろう。その顔を見たら自身の中に迷いが生まれてしまいそうな気がしたので、陽向は方向転換して、遠回りして家に帰った。
引き続き、作業を進める。
1時間ほど作業をして、あとは本棚にある本をまとめるだけになった。
(この作業が終われば、電車に乗って公園へ行こう。さすがに終電には間に合うはずだ。)
作業をほとんど終え、陽向は達成感を感じていた。
(何冊かは向こう側に持っていこう)と考えた陽向は本棚から1冊1冊取り出して吟味していく。
本のタイトルと表紙を見ると、その内容と共にその本を読んでいた頃の思い出が並行して思い出せた。
5冊ほどバッグにしまい、あとはダンボールに入れる。
最後に本棚の一番下の段の整理に取り掛かる。
すると、文庫本に並んで小さい手帳が出てきた。
手帳の表紙には可愛いシールが貼ってある。
それは陽向が高校生の頃に時々書いていた日記だった。
少し迷った末、陽向は最初のページを開いた。
5月20日(水)
今日は人生で初めてお給料をもらった日。
生活が苦しいから無駄使いはできないけど、せっかくなら長く使えるものを買おうと思って手帳を買ってみた。
今日から日記をつけてみようと思う。
せっかくお給料をもらったので、お母さんにはシュークリームを買って冷蔵庫に入れておいた。
食べてくれるといいな。
5月21日(木)
今日嬉しかったこと
・お母さんがシュークリームも食べてくれてた
・テストの点数がクラス1位だった
・帰り道にいつもいる野良猫を撫でれた
毎日大変だけど頑張ってれば良いことあるね!
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日記を数ページ読み返したところで、陽向はバッグからペンケースを取り出し、ボールペンを手に取った。
また最初のページに戻り、5月20日の日記から1つ1つコメントを書いていく。
5月20日の私へ
初めてのアルバイト、よく頑張りましたね。
あなたは今きっと、周りの子みたいにオシャレなグッズや可愛いスマホケースを欲しいなと思っていることでしょう。
あなたの貰った給料ならそれらも買えるはずです。でも、あなたはお母さんにシュークリームを買って、自分にこの手帳を買ったのですね。
私のこのコメントが過去のあなたに届くかは分からないけど、少しだけ未来の私からお返事を書いていこうと思います。
5月21日の私へ
お母さんがシュークリームを食べてくれたみたいで良かったです。今は気づけないかもしれないけれど、この時もお母さんは昔と変わらず、あなたのことを大切に思ってくれていましたよ。3年後にそれはきっと分かります。
勉強も頑張っているようですね。その努力はきっと報われます。野良猫に触ったらきちんと手を洗って、健康に気をつけて頑張りましょう。
1本目のペンのインクが無くなれば2本目のペンを使い、全てのペンを使い切ったらシャーペンを使い、シャー芯も全て無くなったら今度は鉛筆を使って、陽向はただひたすら過去の自分に声をかけ続けた。
時刻は午前4時を迎えた。
コメントを殴り書きした日記は終に高校卒業の3月に到達していた。
3月8日(月)
明日はついに大学の合格発表。
いまさら緊張しても仕方がないのは分かってるけど、やっぱり緊張する!
できるだけのことはやったし、緊張するのはそれだけ頑張った証拠だと思う。
明日も朝からバイトなのでもう寝る!
おやすみ!
日記はこの日付で終わっていた。
陽向は鉛筆を持ってコメントを書き始める。
3月8日、3月9日の私へ
ここまでよく頑張りました。
本当によく頑張りました。
私は、こんなにも健気に努力を続けられたあなたを心から尊敬します。
過去のあなたへこのメッセージが届くはずもないけれど、未来の私からお願いがあります。
どうか、寝る前に、そしてアルバイトに出勤する前に、お母さんの寝顔をよく見ておいてください。
9日の朝にあなたがバイトに行った後、次にあなたがお母さんの顔を見れるのは霊安室です。
あなたは
手帳にボタボタと涙が落ちる。
手帳の文字も読めない。鉛筆を持つ手も震えている。
最後に大声をあげて泣いたのは3年前の3月9日だった。
これまで隠していたもの、塞き止めていたものが全て溢れ出し、陽向は大きな声をあげて泣いた。
月は西へ傾き、東の空には太陽の光が溢れ出していた。
目を泣き腫らした陽向が目を覚ました。
視界がボヤけている中、時刻を確認しようと手探りでスマホを探そうとした時に指の痛みを感じた。
手にはペンダコができていた。
時刻は昼の12時48分
何とかスマホを見つけ、UberEATSで昼飯を注文した。
昼食を終えた陽向は、積み上がったダンボールの箱を1つずつ開き、中身を取り出していった。
服はもう一度ハンガーにかけ、本も本棚に戻した。
何人かの知人に宛てた手紙は全て破ってゴミ箱に捨てた。
(お金たくさん使っちゃったな)
(またバイト頑張るか)
そんなことを考えながら、陽向は物が無くなった部屋に1つ、また1つと物を戻していった。
陽向の自宅から遠く離れた街の霊園
そこにある母の墓石の前で、陽向ではない誰かが供えた向日葵が静かに揺れていた。
また散らかった部屋で、陽向はパソコンに向き合っていた。タコができた指でペンを持つのは断念したようだ。
ジンジンと痛む指で文字を入力していく。
彼女の紡ぐ小説のタイトルは
【拝啓、いつかの私へ】 終