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写真について考えています
こんにちは。伊藤ケンジです。
土日はnoteの記事があまり読まれない傾向がありますね。不思議です。なので今日は適当に思ったことを書いてたらめっちゃ長くなりました。6,000字くらいあるのでヒマな人は読んでください。
昨夜、写真家の幡野広志さんとワタナベアニさんがX(旧Twitter)のスペースで話すのを聴いていました。話題は幡野さんが「大学生がスマホで撮った写真がすごく良かった」という経験から、いい写真ってなんだろうね、というようなことを、あちこちに話は飛びながら話が続いて、気がつくと3時間も経っていました。僕10時までには寝たいのに。
話していたのはいつもお二人が著書やSNSで書いていることなんです。「いい写真を撮るのに高価な機材が必要というわけではない」「一般的な常識に囚われた写真の撮り方を勉強するとつまらない写真を撮るようになることが多い」「いい写真を撮るにはそれ以前にその人がどんな人生を送り、どんなことを考えて生きてきたかが重要」「(新幹線の)グランクラスには乗っておい方がいい」
そんなことです。
お二人が写真について書かれた本を紹介しておきますね。例によってAmazonのリンクを貼っておきますが、なるべくお近くの本屋さんで購入してくださいね。リンクを貼るのはみなさんが調べる数秒間の手間を省くためです。親切ですね、僕。
『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』(幡野広志 著/ポプラ社 刊)
『カメラは、撮る人を写しているんだ』(ワタナベアニ 著/ダイヤモンド社 刊)
ここからは長い言い訳になるんですが、僕は写真がとても苦手なんです。長いことアートディレクターという仕事をしていたのですが、一度もちゃんとした一眼レフという本格的なカメラを買ったことがありませんでした。フォトグラファーに「こういう写真を撮ってほしい」という指示を出して、上がってきた写真をセレクトして、レタッチの指示をして、時には自分でレタッチをして、それをレイアウトして、印刷データに変換して入稿する、という作業を日常的にしていたくせに、です。
実はデザイナーやアートディレクターは写真に凝る人は多くて、実際上手な人も多いんです。僕も撮影現場は散々見てきたので手順やライティングのことは概ねわかっています。でもそこには尊敬すべきプロフェッショナルがいるのでおいそれと写真を撮ろうなんて思えなかったんですよ。逆にフォトグラファーが僕のデザインを見て「俺、デザインもできそうな気がするなー。やってみようかな」と軽々しく言われたらいい気持ちはしないでしょうからね。
ただスナップはわりと好きだったので、一眼レフを買うかわりに京セラのCONTAX T2というカメラを買って、海外ロケにいくとオフの日などに街の風景を撮っていたこともあります。たまにちょっといいな、という写真が撮れたこともありましたが、外国に行って撮っているとまぁ誰が撮ってもいい感じの写真は撮れちゃうんですよね。パリなんか行ってモノクロフィルムで撮ったらまぁどこを撮ってもだいたい絵になっちゃうんです。このカメラはとにかくかっこいいので「ライカまでは手が届かないけどちょっと写真にこだわってそうと思われたい人たち」にバカ売れしました。僕のことですね。周りのデザイナーとかフォトグラファーもけっこう買っていました。
このカメラの難点はズームなしの単焦点でしかもオートフォーカスが遅いということです。この頃我が家にはこのカメラしかなかったので、娘の幼稚園から小学校にかけての運動会の写真はひどいものです。お遊戯などはどこにいるのかわからないし、かけっこはピントが合っていないし。
当時はアナログからデジタルへの移行期でデジタルカメラの性能がまだまだ不満だったので、買うタイミングを逃しちゃったんです。せっかく買うなら「万一の時は仕事に使える」性能が欲しかったのですが、それって「B0ポスターまで引き延ばせる解像度」だったので当時のデジタルカメラでは数百万円レベルだったんです。一方で35mmフィルムのカメラなら引き伸ばしても、粒子は荒れますが雰囲気重視の写真であればなんとか使えます。実際には仕事に使ったことはありませんが。
そんな僕ですがデザインの仕事から離れてその呪縛から逃れ、5年ほど前についに念願のカメラを購入しました。SONYのミラーレス一眼とよばれるカメラで、ちゃんとレンズが交換できるやつです。SONYのαシリーズは、以前中国での広告を担当していたこともあって、すこし愛着があります。
佐賀にいた頃は車で通勤していたのであまり写真を撮っていなかったのですが、飯能に戻ってきてまたすこしずつ撮っています。
まずはカメラの機能を使いこなせるようになろう、とにかくちゃんと水平に撮れるようになろう、とかそんなレベルなんですが、練習のつもりで近所の散歩にはカメラを持ち歩いています。
練習しながら、毎日一見変わらない平凡な住宅街を歩いていて、その風景の中で、自分が「美しい」と思えるものを探しています。これが本当に難しいんです。ここでいう「美しい」とは美醜のことではなくて、「心が動くかどうか」という意味です。ワタナベアニさんの言葉で言うと「対象を愛せるかどうか」ということです。これが本当に見つからないんです。
僕にはそもそも「他者への愛情」というものが欠如しているのかな、とも思います。わりと冷めているし、夢中になってなにかを推す、みたいなこともない。昔からそうなんです。アイドルなどにもさほど興味はなかったし、犬や猫も好きだけれど溺愛することはない。家族はもちろん好きですが、あまり写真を撮っていません。自分にしか興味がないのかな、とも思いますが、セルフポートレートを撮るほどナルシストではないんです。
それでも花を見ればきれいだと思うし、雨上がりのアスファルトが逆光で光っているのを見ればなんだか嬉しくなります。そうして見つけたものを撮ってみると、やっぱり見た時の感動が写っていません。技術が足りないことが多いですが、もう一つ問題があって。
それは僕が無垢な目で写真を見られない、ということだと思うのです。30年も広告の仕事をしていたので、これまでけっこうな数の写真を見てきています。会社にたくさんあった著名なフォトグラファーの写真集は何度も見てきたし、広告写真からストックフォトまであらゆる写真を毎日見てきました。だから「これ、ありがちな写真だな」「こういう風に撮ったら〇〇さん風のが撮れるな」とか「あ、これを撮ったら××さんっぽくなっちゃうな」とか考えちゃうんです。でもすでに膨大な種類の表現が世の中には溢れているので、そうじゃない自分だけが見える「美しさ」があるかどうか。そう考えるとほとんど見つからない。
あと、これはちょっと違うんですが、僕が「VOW!の呪縛」「トマソンの呪縛」と呼んでいるものがあります。『VOW!』というのは宝島という雑誌の読者投稿コーナーで、街の変な看板や誤植、下世話で笑えるネタを集めたものです。トマソンは赤瀬川原平さんが提唱した「超芸術」ですね。途中で途切れて使えない階段、みたいな、これも街中の変なものに注目したサブカルチャーです。10代のころこの辺りの本をよく読んでいたので、街を歩いているとこの手のものに目が止まってしまうんです。つい撮りたくなってしまう。でもそれは違うんですよね。写真の良さとは関係がない。サブカルチャーが悪いというわけではなくて、それはあくまでもVOW!というカルチャーや赤瀬川原平さんというアーティストが発見した切り口であって、それに従うのは模倣であり迎合にすぎません。そうではなくて僕にしか見えないものを発見したいんです。そのための訓練というか修行を続けています。(でも面白いものを見つけるとスマートフォンで撮って家族にLINEはしちゃいます。)
そういえば今回のスペースで面白かったのが、お二人の間である写真集についての意見が異なったこと。この本です。
スティルライフ(静物)という写真のジャンルがあるのですが、その例として幡野さんが「これは面白いと思う」と肯定的に紹介したのですが、ワタナベアニさんは否定的でした。これは同じ写真家でも写真への考え方が異なるいい例だと思ったんですね。
これは彼が常々言っていたことなのですが、ワタナベアニさんは「コンセプトを先に立てた写真」というものをつまらなく思う人なんです。僕もアートディレクターの目で写真を見るので、こういう感じってすごくわかるんです。わりと自分でもやりたくなっちゃうんですけどね。
「喫茶店のコップの水」という縛りがあるから写真集にしやすいし、わかりやすい。広告を作る時に資料を探してて「あーあのコップの水のやつね」とすぐに共有できる。フォトグラファーを選定する時にもとしても「あ、喫茶店のコップの水の人ですね」とか。そして写真集として売りやすい。(これは出版社や本屋にとってもとても重要なことです。)テーマが具体的でわかりやすいから。人に勧めやすいし、注目されやすい。
僕も写真を撮っていて例えば「あ、こうやって電線を撮ると面白いな、電線シリーズにしようかな」と思うことがあります。で、すぐに「あ、そういえば電柱のトランスを真下から撮って写真集にしたドイツのフォトグラファーがいたな、ナシだこれ」となります。だいたい僕が思いつくようなことはとっくに誰かがやっている。試しに「電線」「送電線」とかで画像検索すると膨大な量の電線の写真が出てきます。写真集を出している人もいるしブログで紹介している人もいる。僕がやる必要はないな、となってしまうんですけど。こういうのはアイデア勝負、切り口勝負、先にやったもん勝ち、なので。そもそも最近では生成AIですぐつくれちゃうし。ああ…
もちろん実際そういう撮り方をする写真家も多くて、けっしてそれは否定しません。
でもワタナベアニさんは、先にコンセプトを固めてしまうと、それしか見えなくなるからもったいないんだ、と言います。喫茶店に入ってコップの水を撮るのが目的になってしまうと、その時にすごくいいものが隣にあっても気づかずに見逃してしまうかもしれない。ということなのでしょう。スペースでもそんなことを言っていたような気がします。
もうひとつ、僕が思うのは「わかりやすさ」の弊害です。写真集でも小説でも絵画でも情報が高度に抽象化されているものはわかりにくい。一方で具体的なものには誰でも言及しやすいんです。そのせいで「あーあれね。」と一言で括られてしまう。消費されるスピードが速いんです。でも簡単に「わかる」ものは飽きるのも早いでしょう?それは普遍的なアートにはなりにくい。
一方で読み解くのが難しい写真集というのもあります。陳腐な例ですが例えばきれいなモデルのカットのとなりに路上で踏み消されたタバコの吸い殻のカットがあったりする。「なぜここにこのカットが入っているのだろう?」と推理小説のようにフォトグラファーや編集者の意図を読み取っていく、そのようなものです。
こうした写真集の場合はおそらく、膨大な量の写真があり、それは一つのコンセプトに沿ってではなくてフォトグラファーがその時々に心が動いたものを撮ったもので、それを一つのコンセプトに沿って収集し、編集していくのでしょう。「決め打ち」ではなくて、後から並べた時に初めてコンセプトとかテーマが見えてくるような。そういう複雑さや難解さがある。こういうのは「わかる」のに時間がかかります。じっくり何度も見て「あれ、やっぱり前に思ったのは違うかもしれない。」と思ったり。だからこそ長い時間手元に置いておきたくなる。もしかしたら一生手元に置いておくかもしれません。
ああ、そうか。写真集ってたくさん見てきたけど2種類あったんだな。と書いてて気がつきました。前者は広告の資料としてよく購入していました。応用したり、実際にその作品のフォトグラファーに依頼したりもしました。後者は、実は資料にならないんです。わかりにくいから、簡単に広告に応用できない。でもわからないからこそ自分の中に「こんなに高いレベルのものがあるんだ」という畏敬の念が生じるのです。僕が手がけた広告というのは残念ながらそのレベルには達することはなかったけれど、ずっと上の届かない存在があることを知っているというのはきっと大切なことだと思います。
そうそう、冒頭の「グランクラスには乗っておい方がいい」というのもそういうことで、飛行機のファーストクラスのように「自分の日常よりも上のレベルがあることを知っておくべし」ということです。
そういえばこのスペースのきっかけになったのは大学生がスマホで撮った写真がすごく良かった」でした。そのことについては「無欲でただ楽しい日常を撮った」からよかったんだろうね、みたいな話だったと思います。
それで思い出したのですが、遠い遠い昔僕が大学生だった頃、カメラを持っていなかった僕は友達や恋人と旅行に行ったりするときは「写ルンです」というインスタントカメラを使っていたのですが、いかにも記念写真っぽくなるのが嫌いでファインダーを覗かずに相手が撮ると思わない時にシャッターボタンを押すことがよくありました。なにしろ現像してみないとちゃんと写っているかわかりません。ほとんどは画角が傾いていたり顔が見切れていたりひどいものでしたが、たまにいい表情の「当たり」があるんです。お金がかかるからあまりできないんですが…。あれも無意識で撮るということの必要性を無意識のうちに(ややこしいですね)感じていたのでしょうか。この頃はとにかく「普通のこと」をしたくなかったという単純な理由だったと思います。やるなぁ昔の僕。今はデジタルなのでいくらでもできることですけど。
で、そうやって無意識のうちにいい写真が撮れて褒められると、あ、こういうのがいいのかと欲を出して意識するようになって写真がつまらなくなるというのもわかります。邪念が起きるんですね。難しいものです。偶然性に頼っていると再現性はない。でも再現できるようにするとつまらなくなる。堂々巡りです。絵画だとジャクソン・ポロックらのアクション・ペインティングのような試みがありますし、詩作ではアンドレ・ブルトンのオートマティスム(自動記述)などもその系譜でしょう。みんな悩んでるんだなぁ。全然悩みのレベルは違うんですけどね。
苦手な写真について書き始めたら、言い訳が止まらなくなってしましまいました。そのくらい苦手なんですけど、また明日もカメラを持って散歩に行きます。今日は?えーと雨降ってるし寒いから…。
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