「奇界世界」 佐藤健寿展に行ってきた
2日は休みをとって写真展に行ってきました。
なかなかに見応えのあるものでした。
いろいろと印象に残った作品がありました。
もっとも惹かれたのが、赤茶色の妖怪。
ひきこもりの青年が、謎の妖怪みたいな彫刻をいっぱい作って森に放ったもの。
なんかわからんけど、ものすごいパワーを感じた。
彼の頭の中にはこれらの妖怪?が住んでいたんだろうなって。
今の医学が彼を診断したら、統合失調症とかなんらかの精神疾患名がついたかもしれない。
そんな感じの,鬼気迫る作品群(作った当人は作品と思ってなかったろうけど)を撮った写真を見ながら、
彼が現代に生きていたら、これらの作品を生み出すことはできずに「治療」を受けてたんだろうなと思った。
それは彼の精神の安定に有益だったかもしれない。
安定した精神状態で平穏に暮らすことができたかもしれない。
それと同時に、平穏に暮らすことが果たして幸せなことだったんだろうか、とも思った。
狂気を抱いたまま生きることができた時代と環境が彼にあったことが、少しばかり羨ましく思えたのです。
もちろんこれは、私の勝手な想像だし理想論みたいなもんです。
もうひとつ印象に残ったのが、各地の葬いのかたち。
飛行機型の棺とか、オーダーで作られるぶっ飛んだ棺もかなり魅力的でしたが、
放置して朽ちるにまかせるものや、ミイラにするものなど多様な弔いがあり、それらはその土地の気候や状態などから「やむなく」そうなったとも考えられる、と解説にあって,
変え難い自然(環境)と共に暮らす知恵と力を感じたのでした。
どうもうまく言えないのですが、
常識や価値観、良いとか悪いとかの判断、
そんなのは文化や環境などの前提が違えばぜんぜん違うものになり、ここでは良いとされることも、あっちでは悪いことになるような逆転すらある。
「正しい」は、ものすごく曖昧なものなんだなって、そんなことを思ったのでした。
ごく狭い地域内でさえ、常識や価値観は違う。
自分の周りにある世間が、みんなの周りにある世間と同じと錯覚してしまうけど、隣のお家の常識とウチのそれは違う。
当たり前だけど忘れがちなそういう事を、思い出させてくれた展示会でした。
見応えあったよ。