感動から遠ざかってる気がする
数百円の、何気なく買った本がその後の人生に影響することがある。
そんな事を科学者さんがツイートしてた。
10代の頃に買った本に感動したり衝撃を受けたりしたことが、その後の進路に影響した話は割と聞く。
この分野のことをもっと知りたい、この分野に進みたい。
そんなはっきりとした影響もあれば、なんとなく好きで続けてきたことが後になって「あぁ、あれと繋がってたんだ」と気づくこともある。
「この道に進む!」と意気込んだものの、途中で諦めて別のことをしていても、根っこには若い頃に受けた感動や衝撃が息づいていることもある。
それはこの記事 ↓ にも書いた。
私は人生の半ばをとっくに過ぎてます。
未だ好奇心を失っていないつもりではいますが、
若い頃のような感動や衝撃に心震わすようなことって、最近はなくなってるかもしれない。
寝食忘れて没頭することもなくなりました。
これ、もしかして宜しくないのでは……?
言い訳はなんぼでもできます。
体力が衰えて没頭できへんねん、とか
自分のことだけやってたらいいってわけじゃなくなったからな、とか
明日の予定とか仕事の段取りとか、先のことも考慮せなあかんから、とか。
自分のこと以外、家族や仕事などにも気を向けなければならないのは事実です。
だからといって、うっかり感動することを忘れてしまうと、毎日がルーティンワークになってしまう。
実際、ルーティンワークな日々を送る方がしんどくないんですよね。
変に感動してアレコレに手を出し始めちゃうと、時間もお金も使っちゃうのが現実ですから。
手を出すのは直接仕事に関わることぐらいにしといた方が無難で、実益もある。
そんな「大人の思考」が、私を感動から遠ざけてる気がする。
これはやっぱり、宜しくないよねぇ。
10代の頃と同じような行動はできないにしても、ちょっと熱みたいなものが必要かも。
なんというか、ずっと種火状態みたいな感じになってる。
ときどきは火をつけないと目詰まりしそう。
種火状態は一見、感情のコントロールができてるように見えるけど、ずっと種火って、きっと宜しくない。
感情のコントロールって、怒りを爆発させないとか、常に穏やかでいることと思われがちだけど、歓喜や感動もしっかりできるってことなんだろう。
「ずっと種火」から抜け出すために、意識してココロに火をつけよう。
やっぱり熱は必要よ。
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