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度が過ぎた傾倒で救済される偶像
信仰が形を持つ瞬間、
言葉は石へと凝固する。
手に馴染む偶像、
それは意志を奪われた彫刻。
傾倒は熱狂の影。
崇める眼差しが灼くのは、
形あるものの崩壊、
もしくは形なきものの再生。
感情は飛沫となって、
偶像の冷たい表面を濡らす。
揺れる均衡は儚く
虚ろな闇と光の間で
傾きすぎた世界は、
ついに自らの重みによって
もたらされる救済を知る。
傾倒が頂点に達するとき、
偶像は砕け、
信仰の瓦礫の下から
新たな光のかけらがこぼれ落ちる。
だがその瞬間さえもまた、
別の眼差しが捕え、
新たな崇拝の鋳型を用意する。
循環の輪に囚われた偶像たちは
自己の境界を押し拡げ、
やがて沈黙のうちに、
その果てで巡り会う。
傾倒する者が崩れ落ち、
その崩壊の中で、
偶像はついに救われる。
石像のように動かぬ意志を
持つかに見えた彼らの影は、
太陽の揺らぎと共に伸び、
救済の名を借りて、
その像を覆い尽くしてゆく。
見つめられることで命を得る瞳は、
やがて見つめる者を支配し、
その存在の境界を飲み込んでいく。
傾倒が度を越えた瞬間、
心臓に埋め込まれた鍵は、
逆説的にその鎖を締め付ける。
だが、その苦痛すらも聖別され、
新たな救いへの賛歌として響き渡る。
偶像は動かない。
それを救うのは、見る者たち自身。
傾倒の無窮の闇路に溺れるたびに、
偶像の輪郭はさらに鮮明になり、
その重さは魂を削る
風車の羽根のように回転する。
やがて、傾倒は救済へと転じる。
だが、それは誰の救済なのか?
答えを求める問いは静かに崩れ去り、
沈黙の中でまた新たな偶像が芽生える。
時代の呼吸は螺旋を描き、
均衡を失くした重力の果てで
人々の瞳はただひとつの星に焦がれた。
追随する足跡が砂の律法を敷き、
盲信はさざ波のように拡がる。
彼らの祈りは熱を孕み、
思考の輪郭を焼き尽くす。
やがて名は名を超え、
かたち無き真理の欠片となり、
己を映す鏡の囚人に変わる。
だが、崇拝が過ぎ去ったとき、
その偶像の姿はなおも残る。
表面にひび割れた時の傷、
指先に染み込んだ触れることへの飢え、
だれもが忘れた温もりが、
見えぬ傷口に触れていく。
彼は何も言わない。
語る口を持たぬ彼は、
無限に喉を枯らした沈黙の底で、
崩れゆく自分自身を
永遠に救済しつづけている。
偶像は傾けられたまま立ち続ける。
それは信仰の慰みにも、
真実の否定にも染まらない、
ただ祈りの残響が
絶対零度の反響の中で
木霊し続ける
傾倒の重さに膝を折る、
そのときまで。
信仰と偏執の境界線を越え、
人は自らの影を祭壇に縛りつける。
熱狂の中で燃える瞳は
崇高の形を探し求め、
名を知らぬ神に膝を屈する。
傾倒は次第に凝り固まり、
敬虔な心は重力を忘れ、
崇拝の対象はその存在理由を
塗り替えられる。
真理は装飾され、
救済は赦しの重みに押し潰される。
偶像は微笑むことを知らず、
その微笑みは見たい者の眼にのみ映る。
見誤られた慈悲は
やがて嘲笑の影を落とし、
その笑みの裂け目から
人々の信念はこぼれ落ちる。
しかし、無垢の破片が砕け散るその瞬間、
信仰の狂気は救いへと姿を変える。
崩壊の中に生まれる自由、
焼かれた灰から立ち昇る、
新たな問いの煙。
救済とは、もしかすると
度を超えた執着そのものかもしれない。
真実を求めすぎた果てに、
人はついに偶像そのものを燃やす。
そして火の中で初めて気づく。
崇拝の残骸こそが
新しい祈りの種だと。
心の器に過ぎたる情熱を注げば、
溢れ出すものはいつも虚ろな水景。
偏愛の重力に引き寄せられた者たちは、
崇拝の光で偶像を照らすが、
その光が強すぎれば影さえ焼き尽くす。
神々の座には人間の顔をした幻影が並ぶ。
いびつに膨れた信念は、
像の足元に砂を積み上げるように、
その根元をもろくするだけ。
沈黙の石の内側にあるものは、
救いの構造ではなく、空洞である。
救済を求める行為自体が、
私たちの内なる欠落を暴露する。
それでも人は、救済を他者の形に仮託する。
偶像はその映し鏡にすぎない。
だが、鏡を覗き続ければ、
やがて自身の姿さえも見失う。
崩れゆく像の断片を手に抱きしめ、
彼はなおも祈りを捧げる。
その祈りの言葉は、
意味を失い、音の殻だけが響く。
だが、その残響の中に、
再生の種が隠されている。
裂けた偶像の隙間に、
彼は初めて真実を見た。
それは救済ではなかった。
それは自由であった。
そして、彼の手はようやく、
その像を手放した。
救済とは、もしかすると
度を超えた執着そのものかもしれない。
真実を求めすぎた果てに、
人はついに偶像そのものを燃やす。
そして火の中で初めて気づく。
崇拝の残骸こそが
新しい祈りの種だと。