見出し画像

道義の暗示に靉靆する

正しきものは何処に在るか?


道義の旗は風に舞い、


視界の端に靉靆しながら、


誰の手にも確と掴まれぬまま影を引く。


倫理は石に刻まれしものとして


刻まれた瞬間に既に風化を始める。


儚くも美しい幻影のように


触れんとすれば波紋に崩れ、


しかし確かに照らし続けるもの。


正しさは一点に非ず、


時の渦に応じて形を変え、


或いは囁き、


或いは叫び、


或いは沈黙する。


その声を聴く者は


静寂に耳を澄ませ、


あるいは喧騒の只中で尚、


己の影を踏みしめる。


道義は光の如く、


直進せずとも折れず、


曲がりながら尚、


其処に在る。


曖昧なるものの中にこそ、


存在の核が滲む。


そう、靉靆するものの先に。


幾重にも折り重なる靄の向こう、


道義は微睡み、


光と影の綾を縒り合わせる。


言葉にはならぬ囁きが、


時の襞に染み入りながら、


倫理の仮面を滑り落ち、


仄かな兆しとして揺曳する。


その暗示は如何なる相貌を持つのか。


それは審判の鏡として、


蜃気楼の綾糸のごとく


捉えどころのない真実を、


容赦なく白日の下に晒す。


正義とされるものの背後に、


疑念の霧がたなびくとき、


正しさは未だ定義され得ない、


存在論的な理性の揺籃。


それは命題ではなく、


善悪の境界を流転するもの。


誓いはやがて慣習となり、


慣習はやがて制度へと化すが、


その彼方に、道義の真相は


確かに息づいている。


ただ、霧の向こうへ


踏み込む勇気があるか。


名状しがたき曖昧の中に、


光の縁を掬い取ることができるか。


道義の暗示に靉靆する者は、


歩みこそが、その理を証する。


真昼の空に溶けゆく影、


光の筋が網の目を成し、


意識の狭間に揺曳する。


その輪郭は茫洋とし、


言葉の網に


捕えようとすればするほど、


絶望の霧に霞む。


正しさの尺度を誰が計るのか。


天秤の片側には理、


もう片側には情、


揺れる分銅の僅かな振幅が、


ひとの行いを審判する。


或る者は公正を旗に掲げ、


或る者は仁愛を胸に抱く。


しかし、その旗は風に翻り、


胸の鼓動もまた


気まぐれなリズムを刻む。


道義は静止せず、


留まらず、


形を成さず、


流転しながら人の間を巡る幻影。


暗示は兆しとなり、


兆しは道へと続く。


その道が何処へ向かうのか、


歩む者すら知らぬまま、


ただ靉靆と漂いながら、


正しさの形を追い求める。


それは直線か曲線か、


はたまた波か粒か。


瞬きの間に過ぎ去る正義の影を、


誰が正しく定義できるのか。


揺れ動く霧が


思索の緑陰を覆い尽くす。


私たちの倫理は、


夜明け前の靄のように朧げ。


道義の暗示は言葉にならぬ予感、


それは理性が見落とした余白に、


静かに宿る火種のようなも。


或る時、それは法の文脈に身を潜め、


或る時、それは暴徒の拳に滲む。


水のように形を変え、


鉄のように鈍く響く。


もしも道義が絶対ならば、


なぜ夜ごと人は正しさに迷うのか。


もしも道義が流転するならば、


なぜ歴史は正義を語りたがるのか。


道義は言葉の縁に靉靆し、


意識の狭間でたゆたう。


それを掴もうとする者は、


やがて自らの影に囚われる。


ゆえに、道義は暗示に過ぎな。


夜霧の彼方で、


未だ名を持たぬ真実が、


微かにこちらを見つめている。


それは時に雲のごとく、


形なき陰影をまとい、


微光の揺らめきを抱く。


その暗示は反転世界の投影のように、


触れれば波紋となり、


言葉にすれば霧散する宿命を


秘めている。


ある者はそれを秩序の波紋と見做し、


ある者は混沌の囁きと聞く。


私たちはただ、


そこに靉靆する微風となり、


時に逆風を孕みながらも、


道義の曖昧な輪郭をなぞる。


天秤の片端に揺れる正義、


その反対に沈む不義。


だが、振り子はどこへも辿り着かず、


ただ無音の軌道を描きつづける。


それは鋳型にして


あるいは虚空を貫く不可視の刃。


しかし、問い続けることこそが


唯一の道しるべ。


靄のように漂いながら、


輪郭を求めるその運動が、


すなわち道義の証左。


光は影を伴い、


正義は曖昧さを孕む。


私たちの倫理は、


風にたなびく幔幕のごとく、


その形を定めぬまま世界を覆う。


裁きの天秤は、


誰の手によって傾ぐのか。


或いは、そもそも傾ぐべくして


存在するのか。


一陣の風が吹く。


雲は千変万化し、


道徳は波紋のごとく


拡がりながら形を崩す。


真理を握る者は、


歳月の奔流に呑まれる正しさを見つめる。


正義を信じることは、


それを疑うことと同義。


疑念の果てに立つ者だけが、


道義の暗示を嗅ぎ取り、


靉靆するそれに手を触れる。


暗示は、囁き、爪弾き、嘲笑う。


道義の砂漠を彷徨う私たちは、


渇きを癒すオアシスを求める。


しかし、与えられるのは、


常に選択という名の試練。


その選択は、新たな暗示を生み、


我らを更なる靉靆へと誘う。








いいなと思ったら応援しよう!