触れるもの全てを無に帰す
触れる、という行為は、
境界を曖昧にする。
存在が存在と出会い、
その触れ合いの瞬間に、
輪郭は揺らぎ、
自己と他者の区別は消える。
まるで水面に一滴の水が落ち、
その波紋が全てを飲み込んでいくかのように。
触れたその瞬間、
存在はいつも風の中、
掴めぬままに消えていく。
接触は存在の境界を
一時的に溶解させるが、
その溶解そのものが
不可逆的な変容を促し、
接触以前の状態への回帰をさせない。
全ての可能性を内包した空間、
形のない全体性。
触れるたびに、存在は無へと還り、
新たな形を求める。
輪廻のように、触れた瞬間に生まれ、
同時に消える。
触れるとは、命の鼓動を静かに止め、
そこに新たな鼓動を宿すこと。
すべての物が互いに触れ、
鼓動の渦が沈黙に溶けゆき、
沈黙は千の言葉となって還り咲く。
触れるものは全て、
無へと融解し、そしてその無から、
全てが再び生まれる。
自己の存在もまた、
触れることで無に溶け、
再び形を成す瞬間を待つ。
存在は触れるたびに、
無へと吸い込まれ、
そしてそこから溶けだした時を超えて
可能性をもって生まれ変わる。
手のひらに感じる温もりは、
実体を持たぬ影のように、
空気に溶け込み、形を失う。
存在を引き裂き、境界を崩す。
物質がただの波に還るとき、
触感すらも幻想であったと知る。
触れれば、消える。
触れなければ、在る。
触れるという行為が、
自らの存在をもまた希薄にする。
人もまた、無の中で触れ合う波。
物理的な触れ合いが、
心の触れ合いと等しいならば、
感情ですら、触れるたびに揮発する。
それは儚い美しさ、そして透明な闇。
触れることで全てが消えていくのだとしたら
そして存在を感じられぬならば、
この無の波に漂うしかない。
手のひらに映るもの、
それは確かに形を持ちながらも、
触れた途端に曖昧となる。
目の前にあるものはただの影、
あるいは影すらも残さない。
触れようとした瞬間に、
指先からその物質が
逃げ出すのではないかと、ふと思う。
存在の根拠が消え去る刹那、
私たちは何を捉えているのだろう。
物理的接触、それは信じられぬほどに
脆い約束のようなもの。
量子の泡の中で、全てが揺れ動き、
確かだったものが、ただ無へと帰す。
触れることで初めて
「ある」と思っていたものが、
実は「無」に支配されていた。
触れたもの、感じたもの、
そのすべてが、虚構に溶け込み、
静かに、しかし確実に消えていく。
それはこの無限の無の海に溶け込み、
言葉さえもその波間に消えていく。
無は触れるたびに全てを奪い、
触れられたものは形なき空に還る。
そしてその空に、触れることすらできぬ未来が待つ。
存在と無、それらは一つのコインの裏表。
それとも、そのコインは初めから、
手に取ることができない
幻だったのかもしれない。
—全てを触れるたびに無に帰す。
その真実だけが、確かに残る。
その無は、私たちを全て含む新たな存在の揺籃。