【実体験】理学療法士3年目で1人職場に転職した話。
理学療法士のきたづめです。
正社員としてリハビリテーション業務に励みながら、個人事業を立ち上げ、整体・自費リハビリ事業の二刀流で、活動の幅を広げつつある理学療法士です。
この記事を書いた時には、
私は28歳で、理学療法士としては6年目になりますが、
ざっと経歴をお伝えすると、
回復期リハ病院(2年間)→脳神経クリニック(現在まで4年目)
として経験を積んできました。
その中で、
回復期病院からクリニック(現職場)に転職した時の話をしていきます。
普通の転職話ではつまらないでしょうが、今回はリハ業界では珍しい
「正社員のリハスタッフが居ない職場」に転職した話になります!
しかも理学療法士3年目で!! なかなか居ないでしょう。
リハ職は、社内でも外部でも様々な職種と連携を図ってお仕事をすることが多いので、このように働いているリハ職って結構異色だと思います。
異色だからこそ出来る、この話をnoteで語らせて下さい。
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① 脳卒中分野のリハビリに興味がなかった私。
回復期病院は、脳卒中のリハビリがほとんど提供されてますよね。
そんな回復期に入職しましたが、正直学生時代は脳卒中分野に興味がありませんでした。勉強しても中々覚えが悪かったのを今でも覚えています。
興味があったのは、整形外科・スポーツ分野系でした。
理学療法士を目指したのも、ずっと野球をやってきて、怪我でスポーツリハに通って「理学療法士ってカッコいい!」と思ったのがきっかけという王道のパターン。
勉強の中では、やはり整形外科系の分野が頭に入りやすかったですし、
臨床実習では、循環器・心臓専門の病院へ行って心電図のことをめちゃくちゃ勉強して面白みも感じ、この分野も良さそう!と思っていた就活に悩んでいたあの頃。
じゃあ、なぜそんな回復期を選んだかって?
最初は苦手な分野で経験を積み、ゆくゆくは興味がある分野へ移ろう!
そう考えて、新卒から回復期を選択しました。
今の自分から考えると、
いきなり興味ある分野に飛び込む選択をしているでしょうが…
でも結論から言いますと、回復期を選択して良かったと感じています。
私はとりあえず3年間を目標に、修行がてら回復期で頑張って
次のステップへ踏んでいこうと考えていました。
特に3年間と目安付けたのも理由はありません、何となくです。
ですが、私は2年で転職を決意しました。
② 転職を決意した理由。
転職を決意した理由は、
「給料面」と「外来の経験を今すぐしたい」この2点でした。
給料面については、かなり不満を持っていました。
私が以前いた病院は、入職と同時に開院した新しい病院であり、リハビリ室ももちろん綺麗で、リハビリテーションをしていく環境としては最適でした。
その反面、新規病院なので業績もほとんど無く、1年目はほとんどボーナスがありませんでした。あっても、数万円程度。
2年目になってからも、「ちょっとはボーナス上がるだろっ」と思っていたが、1年目同様ほとんど貰えず。私以外の従業員もかなり反発していました。今思えば、サービス残業もめちゃくちゃ多かったな〜。
当時は正直それが当たり前なのかなって思っていました。
そんな不満も抱えながら2年目の時に、学生時代に興味を持っていた整形外科のような外来リハを経験したいと思うようになってきたのです。
もっと徒手療法や治療手技を何か学びたいと思っていましたが、正直この環境では無理だなと感じていました。そんな最中、先輩に連れられて「Spine Dynamics(スパインダイナミクス)療法」の勉強会へ行ったのですが、後日上司にバレて、なぜか怒られたのです。
興味があって行っただけなのに…
その上司には「2年目のお前が手技なんぞ覚えるのまだ早いよ」「回復期と関係ある勉強会に行きなさい、今度はどういう勉強会へ行ったかきちんと報告を」と言われ、もうこの職場には居たくない強く思い、転職の決意を後押ししたのです。
決して、回復期が嫌になったわけではありません。このままずっと居たら、おそらく自分らしく働けないと思いました。
こういったことが重なり、私が思い描いていたタイミングよりも早く、転職をすることを決意したのです。
③ 自分にとって屈辱的な話。【Part1】
この決意をしたのはいいですが、自分にとって屈辱的なことがあったのです。
まずは前職の上司に言われたこと、
当時退職の旨を伝え、リハ科内での面談をしていた時のことです。
次の転職先は探しているの?と言われ、場所は決まっていませんでしたが、クリニックの外来を経験したいと言いました。
私は本気でそう言いました、ところがその上司は半笑いをしながら、
「え?外来はこれから無くなっていくよ?」「今の技術で短時間の中で患者さんを治すことが出来るの?」とズバッと言われたのです。
表には出しませんでしたが、内心めちゃくちゃ腹が立ちましたよね。
私のステップアップを応援し、送り出してあげようという優しい心はあなたに無いのか?この上司よ。と
自分に突出した技術はないからこそ、このタイミングで外来リハとしてやっていけるのかと不安もありましたが、でもそれって経験していかないと良いも悪いも何も評価できないだろっ、と自分に強く言い聞かせ、自分を後押ししました。
そうして選んだのが、正社員のリハスタッフが居ないクリニック。
転職サイトとかで見つけたのではなく、知り合いの紹介でお繋ぎ頂きました。
④ 自分にとって屈辱的な話。【Part2】
こうして転職先を決め、初出勤となる前に
専門学校時代の同期と飲みに行きました。
私は地元を離れ、新卒から就職したので、めちゃくちゃ久しぶりに会ったのです。
複数人で集まったのですが、とある奴と喋った時に、
今度リハスタッフ1人職場で働くことを伝え、話を広げようとしました。
その返答として
「お前じゃ、無理だろっ」と言われたのです。
先ほどの上司の話に続く、屈辱的な一言だったのです。
私は別に言い返したりしませんでした。
表は笑いながら、「まぁどうにかなるっしょ、楽しみだわ!」と言っていましたが、心の内では「絶対見てろ、クソ野郎! 後ですごいと言わせてやる」と逆に反骨心が高まったのです。
こうして初出勤、もちろんリハビリ患者様は数人程度から始まり、
スキマ時間には治療のことだけではなく、制度のことも勉強して、書類や資料なども1から作りました。理学療法士3年目にして、リハビリテーション科としての立ち上げを遂行。めちゃくちゃ良い経験になりましたよね。
ある意味この時から、他の理学療法士がやっていないようなことをやっていきたい、「1人職場」を強みとして自分を確立したいと思うようになりました。
こうして、4年目が経過しました。
⑤ 転職して良かったか?
今こうして「1人職場」へ転職して、結論から言いますと
転職して良かったと十二分に感じています!
もちろん最初は大変でした。
自分の部署のことは、自分1人でやらなければならないという「使命感」が勝手に芽生え、率先的に勉強して自分をアップデートさせていかないとリハビリ科としても成長することと思えるからこそ、「責任感」も感じています!
おかげさまで、本業のリハビリテーションでは
多くの患者様にご利用いただき、活気あるリハビリ室を作ることが出来ています。
またもう一つ、転職して本当に良かったと感じた点は、
「まだ若いんだからどんどん副業して経験を積みなさい」と院長や上司からお言葉を頂いた上で、遠慮なくチャレンジ出来ているということです!
このような職場って、ほとんど無いでしょう。
やりたいことも尊重してくれますので、めちゃくちゃありがたいです!
現に個人事業として始めたWINBACK事業も、クリニック内でどんどん宣伝してもいいと許可も頂き、遠慮なく宣伝しちゃってます!
今回は、理学療法士3年目の時に転職した話をさせて頂きました。
これからも他の理学療法士がやらないような、良い意味で異色な理学療法士像を作っていこうと思っています!(笑)
皆さん、お楽しみにしててくださいね!
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