恋愛や人間関係で考えるENTJとESTP
自他共にENTJを認める芥川ですが、私の幼少期少年期の体験を考慮し、下記の客観的なESTPとENTPの比較記事を読んで、
私はやっぱりESTP寄りだなと思った、という話をします。
この記事を書かれた方はENTJのペルソナを持つENTPらしい。
とはいえ私は、ESTPほどの簡潔さは持ち合わせていない(と思う)し、根っからのESTPほど外面は気にしない。ESTPは恋愛や人肌に触れることを優先するイメージ、少なくとも切り捨てるタイプは少ないと感じる。
ESTPに関しては、若い頃はマジでヤンチャなだけなケースがほとんどだが、
その一方でそういった方に完全に無関心で、早熟で達観した子ども大人(大人子どもの逆)なタイプもいる。
とするならば自分はESTPだと言われても否定できない気がしてきた。
ENTPの印象として「人が好きで、人と積極的に関わろうとする」傾向があると考えているが、上記記事の筆者もその傾向があるようだ。ENTPというのは基本的に「本心では好かれたいけど、つい自分の素がでるとちょっかいをかけた相手を傷つけてしまって落ち込む」感じだろうか。落ち込むかどうかは人や人生経験によると思うけれど。
とすれば、ESTPとENTJに共通するのは「人にそこまで関心がなく、1人でも平気」なことだろう。そして「何もしなくても人が勝手に寄ってくる」タイプとしても共通する。
この両タイプは、別に人に好かれようとはしていない。
ESTPもENTJも、自分から人を引き入れようと能動的に行動するタイプとはいいがたい。基本的に一匹狼タイプで、独立独歩タイプだ。しかし同時に、自分に近寄ってきた者たちを基本的には受け入れ、追い払いはしないのだ。生きているだけでミツバチが寄ってくる花(囮)のように。
「ついてくるなら勝手にしろ、ただし自分の身は自分で守れ」というタイプだ。
しかし、一度仲間と認識し信頼すれば、万が一傷つけられた仲間がいれば、代わりに盾となって敵と戦う一面もある。良いことをしたいからじゃない。別にESTPとENTJや自分を美化するつもりもない。
が、正直に言えば、これが普通の人道だと思っているからだ。
出来ない奴が可笑しいとさえ思っている。言葉にして言わないだけで。
黒歴史を白状すると、私は中学時代、
とんでもない男たらしだった。
いや、自分から好きで人をたぶらかしていたわけではないことを、あらかじめ弁明させて欲しい。
正確に言えば、バカなジャイアンとスネ夫みたいな男子同級生の腐れ縁から「男たらし」と言われていた、だ。
こいつらのことは未だに嫌いだ。
地獄にも堕ちられずに永遠を彷徨えと思っている。
あぁ、今気づいたけど、こういう一面をフィクションで誇張すると魔王になるのだろう。
たまたま男好きする容姿であり、性格も明るく話しかけやすい雰囲気で(当時は)、顔も広かったので、誰とでも仲良くなれた。女友達は多いし野外の運動部でもあった。委員会にも属したし、今思えばおそらく目立つタイプだったと思われる。それでいて極めつけは、小学生時代から同じスポーツクラブに所属していた長い付き合いの同級生(不良)が、人目をはばからず抱き着いてくるなどして、男女問わず私は不良からかわいがられていた。不良耐性と不良という盾を持つ、ただの活発な女子だった。
ゴミ溜めにはゴミ溜めなりの良さがある。
MBTIについての記事をまとめている際に「花海咲季」というキャラクターを知ったのだが、その過去が「え、私?」という感じで、正直他人とは思えない感じがした。彼女はファンの間でENTJと呼ばれていた。だからこそ目に入ったのだが、自分が正真正銘のENTJかもしれないと自覚したのは、彼女がきっかけだった。制作の裏側の記事を読むと最初はラスボスだったらしい。どおりで。余計好感が持てる。私はあまりアイドルゲーに聡くないので、アイドルが好きな方でENTJが好きな方はぜひ応援してあげてください。花海咲季ちゃんを……。「後は頼みます」(呪いの言葉を残して、三日で飽きて死んでいったナナミンもどきPの死骸)
話を戻すが、自分でそうは思っていなかった。が、他の陰キャを自認する人間の記事なんかを読むと、私は陰ではないのか、と思わされた。消去法的に陽キャらしい。まあそもそもそんなことクソどうでもいいが。陰陽師にでもなるつもりなんでしょうか。陰だか陽だか知らないけど、んなこと喚いてると祓いますよ(陰陽師を召喚)。
冗談は置いておいて、結果として、男好きする特性を併せ持っていたことで、男子の典型的な好みにハマるケースが多く、それ故に好かれやすかっただけなのだと思っている。
加えて私はわりと男勝りだったから、特別異性に執着していなかった。そういうところも今思えば逆に、変に距離が近いから、思春期男子を勘違いさせていたのかもしれない。
自分としては、別に嫌いではないから相手を知ろうと思ったし、友達として仲良くなりたかった人も多かったし、相手からの好意に、LikeかLoveかに関わらず、一人一人向き合って受け止め、応えようとしていたのだ。
だが、いざ色恋となると、やっぱり別にこの人のこと好きじゃないな、手繋ぎたいとか思えないな、ごめんなさい、みたいな感じになって、すぐに振ってしまうという、クソ最低なムーブをしていたことを白状する。
この時の自分は高校入学と共に切り捨てた。あまりに人の心を弄んでいると子どもながらに我に帰り、深く反省した。そして同時に、恋愛とか付き合うとかいうことに対して、大した価値を感じなくなったのだ。この頃からあまり好きな人みたいなものができなくなり、冷めた人間になった。まるでどこぞの吸血鬼のように。
異性をたぶらかし遊ぶことで気を紛らわせるのはESTPのステレオタイプだが、私はそちらに分岐することはなかった。その点で自分がENTJであることには異論がない。仮に異性を次々と取っ替え引っ替えしたとして、それになんの意味やメリットがあるのか私にはわからないし、求めてもいなかった。だから結果的にENTJの方がしっくりきているのだが、自分に一切ESTPの気質がないとも言いきれないから記事にした。
ESTPは好きだし、悪いと言いたいわけではない。しかしやはりどうしても結果として、特徴的な違いとしてはこういう部分が挙げられると思う。
私の場合は、自分の心が動かない限り、嫌いじゃない相手であっても気のあるそぶりや、変に告白を受け入れるような期待させるようなことはしないと、心に決めたのだ。実際高校時代は好きな人がいなかったので、誰とも一度も付き合わなかった。
しかしそれは、前提として過去にそのような自分の軽率さで他人を無自覚に傷つけたかもしれないという後悔があるからだ。故に私は、ESTPの気持ちがわからなくはないのだろう。
しかし残念ながら、私の決意とは裏腹に、繰り返しアプローチされ、繰り返し断る、という面倒なことを強いられてきた。まじで恋愛なんて碌なものじゃない。人からの好意を感じた瞬間防御壁を張り逃げる癖がついた。モテたいなんて言ってる奴は正気じゃないとすら思った。
高校時代。仲のいい16人程度のグループがあって(多過ぎ)、私はその中の1人だった。男女の割合は半々くらいで、その男子の中の1人は彼女持ちだったが、残りの男子は彼女はおらず、みんなアプローチをしてきていた。まあそれは他人から見てもわかりやすいレベルのものだったようだが、私からすると男友達程度に感じていた。
それが、グループ外の女子や男子たちから見れば、私がなぜ彼らのうちの誰とも付き合わないのか不思議だったと後から聞かされた。
いや、付き合えるわけないだろ。馬鹿か。
どう考えてもこんな状況で私が誰かにYESを示したら、グループクラッシャーになりかねないだろ。しかも別に全員男友達で恋愛感情ないし。
そう思っていた私は、全員に男友達であることを強調して接することを心がけた。私が誰とでもすぐに付き合うような女だったら、高校生活の3年間はとんでもないことになっていただろう。がその一方で、私にそういう軽率さがなかったからこそ好かれていたとも言える……。お笑い系女子ではなかったし、だらしないタイプでもなかった。自ら嫌われに行くこともできただろうが、そこまでして外道に成り下がる気はないし、そんな風に自分の価値を下げる必要はないと思っている。だから悪いことをしたとは思っていない。
とはいえ、どっちに転んでも面倒なことに変わりはない。ほとほと呆れるのだが、色恋沙汰に躍起になる人間には全くもって共感できない。
自分で書いておいてなんだが、ESTPの特徴に心に決めた人がいるがそれが叶わないから異性関係に緩い的なことを書いたが、よく考えれば中学の頃の自分もそっち側ではあった。今でいう推しみたいな存在はいたからだ。
中学に遡るが、当時1人だけ好きだなと思えるやつがいて、そいつとは小学生の頃から中学で部活も同じになるくらいの、ほぼ幼なじみだった。今思えば男友達へのLikeをLoveだと勘違いしていたかもしれない。
そいつが裏で、私に好かれているということを、私には返事もせずに、同級生に言いふらした。それを女子の噂で耳にしたことで、千年の恋も一瞬にして冷え切った。
私の中に「男はクズの自惚れ野郎」「人は浅ましい」という思い込みが植え付けられたのだ。
初めて心を傷つけられたと思ったし、噂好きの人間は信用ならないと学んだ。
他人に傷つけられたと思ったのは、後にも先にもこの時だけだ。
それ以来、以前にも増して男には冷たくなった。女に優しいかと聞かれると別にそうでもないが。女も男も浅はかな人間に性別の違いはない。
人間なんて信用できないと思い始めたのもこの頃からだ。
何より、自分の愚かさを呪った。こんな餓鬼畜生に私は心を掻き乱されたのかと。
それ以来自分から誰かにアプローチすることは一切なくなったが、周りからの好意に気付かないほど馬鹿ではなかった。だから私も私なりに努力したのだが無理だった。そこに、バカな中学生男子たちは私が男をとっかえひっかえする女だと言い始めたからやってられるかと思った。向こうが勝手に好意を寄せてきて、気持ちに応えられないからと交際を断ったら、高飛車ぶってるだとか言い出すのだ。
自分の恋が叶わなかったら今度は女を性悪だとか言い出す。そのくだらない幼稚な言動にはほとほと呆れていた。
自分だってたくさんの女にモテたいという願望を持っているくせに、いざ、人気があるのに好意を断り誰とも付き合わない女に対しては、男たらしだとかのたまう。馬鹿も休み休み言ってほしい。お前らはこうなりたいと言ってるんだぞ。いろんな人間が寄ってくるということは、それだけでストレスなのだ。相手を傷つけないように配慮するだけでも精一杯だ。
誠意を以て、気持ちには応えられないと言い振る私を否定するのかと。どの口が言うんだと思っていた。取り入ろうとする割に、相手にされなければ相手を侮辱する。世の中そういう人間ばかりで人間関係には疲れていた。
だから高校時代の私は、誰にアプローチされようとも、1ミリも心が揺らがなかった。一切気を許すことはなく、ただのクラスメイトの一人を貫いた。高校時代を幼稚な恋愛なんかでぶち壊したくなかったからだ。
結果、こちらの記事で言及されているように、
私は故郷に帰っても同級生に連絡もしないタイプの大人になった。LINEは切り替えや引き継ぎが面倒だし、直接送らなければ関わることはないので「友だち」のままほったらかしにしているが、トークするのはネットで出会って10年以上になる親友や家族程度。
SNSの同級生同士や学生時代のバイト上での繋がりは、上京した時に全て断ち切った。今の私の生活を知る人間は家族と職場の人間を除けば、片手に収まる。それに今の私は職場の人間とも個人的な交友は一切深めない。面倒なので。
そういう見方で考えれば、私はENTPよりではなく、ESTPよりのENTJだろう。
マウントゴリラ草。別にマウンティングはしないけど、多分冒頭でも書いた「出来ない奴が可笑しい」とか思ってるところがそうみえるんだろうな。マウントのつもりはないんだ。マウントって、マウントとられたと思った方が負けなところあるから、マジで気にすることないよ。
「え?これもマウント?ああそうなんだ(笑)もういいよじゃあマウントで(笑)でさ、」って感じだと思う。私はそう。人がどう思おうが本心ではどうでもいいと思ってる。嘘ついてフォロー入れたり、相手の気分を良くしようとか思ってないだけ。自分でやれんなもんは。
それは置いておいて、まあ、昔の友人のことは忘れてはいないし楽しい思い出もあるが、嫌な思い出も結構多いのは事実。
今いるコミュニティが1番大事というのは、言われてみればたしかにそうだ。これを読んで気付いた。事実私は、好きでもなく、内申点のために部活をしなければいけないという理由だけで、消去法で選んだスポーツの運動部に引退まで所属したが、それは仲間が好きだったから。自分の足を負傷しようが、マネージャーとして最後まで部活に出続け、ずる休みもせず、引退最後の試合まで残った。先輩から気にいられやすいタイプではあった。これもESTPの記事に書いたけど振り返ると自分もそうだった。昔は素直だったからね。
同期も後輩も大好きだったし、慕われている感覚もあった。女子からも男子からも、後輩からたくさんの求愛も受けた(恋愛とかじゃないはず)。別に私はエースではなかったし、特別優秀な選手でもなかったから、なんで好かれてるのかいまいちわからなかったけど、可愛いからかわいがってた。
後輩たちからもらった手紙や色紙も全部大事に取ってある。十数年ぶりに彼女らに再会しても、全然笑顔で再会できる。
それはそれとしてだ。
それでも、地元に得られるものもなければ、執着心は欠片もない。あそこに居続けても自分にはなんのメリットもない。古い友人に会いたいという気も起った記憶はない。嫌いではないが、好きかと聞かれるとそうでもない。
上京したのは、やりたいことがあったのも理由の一つではあるが、2年付き合ってもずっと一緒に居たいかと自問するとそうでもなかった当時の彼と別れたいからでもあった。ちょっと長めの真面目なLINEを送って返事を待って、きっちり別れてから上京した。分かれる理由を探していたのもある。やりたいことがあるからと伝え、LINEもSNSもすべてブロック削除した。
そもそも大学時代、当時二個上の先輩だった元彼は、周囲の人間のおぜん立てで、その上級生のサークル仲間で(そこには私の同期もいたが)寄ってたかって外堀を埋めてくるので、まあ男避けに成るしいいか、と思い付き合いはじめた。
ていうか私はこれをされる確率が高すぎる。こういうのが嫌だから集団に属したくないのだ。中学の時にも同じように、周りの人間が私と男をくっつけようと画策され、期待に応えた覚えがある。その時も別に嫌いじゃなかったけど、なんか謎の周りの期待のまなざしがしんどすぎてすぐ別れを切り出した。
話を戻す。申し訳ないとは思っているけど、サークルで人気の人だった(たぶん顔がよくて運動神経も良く、サークルのエースの上級生だったからだと思う)し、正直私からすると、人気なのはわかるのだけど悪い男なんだか良い人なんだか評判がよくわからなかった。でも別に悪い人だからどうだって話でもないし、それは本人と直接関わってみなければわからないと考えている質なので、確かめたいみたいな好奇心もあった。
なにより、付き纏い同期が私にその先輩の悪口を吹き込んできたのは、サークルに入る決定打になった。そいつは先輩や所属サークル全体の根拠のない悪口(女たらしだとか遊んでるとか夜の店に行ってるだとかヤリサーだとか)を私に言ってきた。
ああ、そうきたか(笑)と思った。
こいつ(付き纏い野郎)、私のことを舐めてるなと思った。噂がどうであれ、お前がそこまで侮辱するなら逆に入って真実を確かめてやろうと思った。その場はとりあえず「へえそうなんだ」と流しておいて、自分の中で「よし、サークルに入ろう。そしてもし告白されたら絶対に付き合おう」と決めた。
そいつに嫌気がさして、嫌悪と反抗心と付き纏いから逃れたい一心で、私はサークルに入り、その数ヶ月後には本当にその先輩と付き合い始めた。
当時のことを思い出していて思った。
「ああ、さながら、今見ているヴァンパイア・ダイアリーズのキャサリンだ」と。
彼女は典型的なENTJと見られている悪役だが、私は見ていてなんというか、一周回って清々しさを感じていた。彼女の言動を何も否定できないし、そうなるよなとしか思えない。
フィクションの脚色部分を丸めれば、私はほとんど同じようなことをしているからだ。キャサリンを敵視するステファン・サルバトーレは言った。
「結局は全てキャサリンの思い通りになるんだ」と。
そして、全てはそうなった。
ここでも納得させられた。キャサリンは確かに自分の保身を1番に考えているが、それの何が悪いのか?そして、結局は主人公やその身内まで守られることが多い。果たして彼女を責めることはできるのか?主人公とキャサリンの違いは一体何か?それは、行動しているか、していないかだけだ。主人公だから目眩しされがちだが、彼女は周囲の人間の自分への好意を利用して、割と人に要求して動かそうとしている。直接的に言葉で言う主人公か、裏でしれっとやっているキャサリンか、そこにほとんど差はないのだ。
私の話に戻すと、その先輩は普段、後輩相手や同級生同士では口が悪かったり粗暴で偉そうなふるまいをしていた。オレサマ系なのかと思って付き合ったら、案外優しい人で礼儀正しくもあり、しかもニュートラル金持ちお坊ちゃんで、拍子抜けしたのを覚えている。たぶん顔が良くて苦労してきたのだろう。知らないけど。
金銭感覚も違うし、私と生きてる世界が違うことはわかった。噂の真相とか別にどうでも良かったし、そもそも信じてなかった。そんなことより付き纏い男が、あんなありがちな噂程度で私を怯えさせられると思ってることが面白かった。
まあ、私の経験上確かなことは、外面が良い奴や、下手に取り入ろうとする奴が信用できないという私の目には、狂いはなかったということだ。内弁慶よりも外で強がっているくらいが、人間かわいいものなのだ。内弁慶はこの世で一番最悪な生物だから、絶対に関わりたくはない。だから私はよく吠える奴ほど気になるのかもしれない。王子様系なんて一番最悪だ。私が一番嫌煙するタイプの人種だ。
ジャニーズが好きそうだと思われることがたまにあるが「侮辱ですか?」と思うくらいには好きじゃない(念のため、ジャニーズ批判ではない。アイドルや個人個人として本人たちのことはマジですごいと思うし小学生のころは某不良系グループ好きだったし、ゴールデンの某ストームちゃんとか家族で観てたし、尊敬の念はあるけど、別にファンだった時期はない。ただ、それを餌に釣ろうとする明け透けで愚かな一般人が嫌いなだけ)。
それを言ってきた自称ジャニーズ系男の話はまた別の機会にする。
その当時、面倒な同級生に出会ったばかりだというのに慣れなれしくしつこく付きまとわれていたから、正直言って男避けしたかったのもあった。
が、その先輩は初対面の時から好意があったと後から聞かされたが、私は私で第一印象も良かったし(私に対しては)、私には優しくしてきたし嫌いになる要素はなかったから、自分を変えてみようとして付き合っていた。
まあ、他の女の子の扱いが雑過ぎるのは目に余ったけど、私が口を出すことでもないので何も言わなかった。
この人が彼氏だと分かれば潔く引くだろうと目論んでいたが、めんどい同級生はサークルにまでついてきたからもうお手上げだったが。
(その同級生にはそれ以来、友達としてさえも優しく関わらないようにした。いくら付きまとわれても、適当にあしらい続けたが、もう何を言っても効果はいまひとつのようだったから、どうでもよくなった)
けれど結局恋愛に夢中になることはできず、冷めた人間のまま私という人間は変わらなかった。変わる気があったかと聞かれると自信はない。本心から好きではなかったのだと思う。サークルに居続けるとあれこれ聞かれるから役目を果たしてからスパッと抜けて、故郷から飛び立つ前に、故郷の人間関係をほぼすべて終わらせた。
思えば計画的に物事を遂行するのは、今に始まったことではない。別に人を利用したいなんて思ったことはないから誤解されないよう付け加えておくが、他人のゴシップ好きで噂好きな軽い口はコントロールできないので、自衛することで生き延びてきただけだ。信用できない不特定多数の人間との関係を維持し続けることは、私にとってストレスだった。
考えながら動くタイプでもあるが、行動するよりも数か月も前から考えていたりする。つまり、割と中盤辺りから、どうやって穏便に別れるか、内心考えていたということだ。心がないと言われても言い返すことはできない。だけど、私なりの誠意を以て付き合っていた時間は嘘ではない。楽しかった時間も嘘ではない。
故郷だから、同郷だからという理由で特別に思ったりもしない。そんなことは誰にだってある普通のことだ。私は親の都合でたまたまあの地に棲みついただけの、選択する権利のない無力な子どもだった。あの場所は正直言ってゴミ溜めだ。人間が生きるのに重要なのは環境なのだ。
大人になった今、私はどこへだって行けるし、地元以外にも最高な土地はいくらでもある。土地に縛られること自体が窮屈なのだ。
ご覧の通り。
より無慈悲で、より人に執着しないタイプの人間の完成である。
Q,芥川