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心についての価値観を問う8問【ENTJ回答】

“heart” 「心」とは

heart
uk /hɑːt/ us /hɑːrt/

heart noun (ORGAN)
the organ in your chest that sends the blood around your body:
胸の中にあり、体中に血液を送る臓器。

heart noun (EMOTIONS)

used to refer to a person's character, or the place within a person where feelings or emotions are considered to come from:
人の性格、または感情情緒がどこから来るのかを指すときに使われます。

https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/heart


以前ENTJについて述べた記事で、心について自分なりの定義をした。心無いと言われる指揮官あるいはENTJである自分が、されるといやなことについてまとめた記事。

今回は、それを踏まえて深堀できそうなこちらの記事の企画に出会ったので参加してみる。

開始!

心についての価値観を問う8問【ENTJ回答】

Q1:人の心を動かすには何が大切だと考えますか?

その人が何に怒りを感じ、何を譲れない価値観としているかを理解すること。その上でそこを刺激するか、あるいは感情的にフォローをするかによって、心というか、感情を動かし行動を促すことができると考える。

心を動かすには、その人のバックグラウンドと価値観や人生哲学をよく知る(知ろうと意識して働きかける)ことが大切。
私の経験則から、「こんなにも相手のことを思いやっている(という思い込み)」という一方通行の安直なエゴでは人間は動かない。実際、自分も他者からそういわれたところで薄っぺらく感じてしまい、動かされないどころか相手を信用できなくなり壁を作ってしまいたくなる。

私は、利他主義を自ら美徳として主張する人を信用できない。利他的行動の裏には必ず利己が隠れており、その利己を利他主義という仮面で隠そうとする偽善的な態度が信用に値しないため。あなたのためを思って、という言動よりも、自分自身がどう思っているかを偽らずに、素直に相手に伝えるほうが、意外と人の心は動くものである。つい体が動いて行動してしまった、というのであれば素直にありがとうと受け取れるが、人を助けたいとか、英雄的行動をしたいとかいう願望を持って、ことさら口に出すような人間は信用できない。そう思うなら黙ってやればいい。

他者が喜んでくれたことで心が動く、とは一見他人の感情で動かされているようだが、実際は自分がその喜んでいる様子を見て嬉しいと感じた、という結局すべては自分自身の感情である。よって、人間は自分自身の中で沸き起こる感情では行動するが、他人の感情では心は動かされない

例えば、自分の気持ちを重要視しないENTJでも、周囲の人間の気持ちに配慮する意識はある。よって、素直にどう思ったかを伝えてくれれば、そうだったんだねと受け止められる。しかし、他者がどれほど傷付いたとしてもそれはその人本人の中で起きたことである。何を言われても傷つかない人もいれば、何を言われても傷つく人間がいる。同じ言葉にもかかわらず、人によって感じ方は異なる。その為、その人自身の言葉の捉え方を顧みる前から、個人的感情のみで、外部要因である他人の言動を指摘して罰そうとして叱りつけたり、あるいは非難したり、無理やり言動を変えようとするような行為は個人的には看過できない。

そもそも、人の心を動かそうという試み自体あまりにも俗物的であるというのが本音

Q2:人の心のどこに不思議を感じる(感じない)か教えてください。

「心」があると信じているところ。

私はそもそも人間に心はないと思っている。
人が定義している心というものは、身体機能の一環であり、脳という機関で感情を感じとり、思考することと同等のものであり、心とはその二つ名である。

Q3:「心のこもった」とはどのような状態か説明してください。

私には心が何かはわからない。が、自分にとって大事だと思える人間を目の前に、自分になにか助言や手助けできる機会があったとして、その時に相手にとって心地のいい意見を言って気休めを与えないこと。あるいは、その人が求めていると思われる行動をしないこと。時にいくら心無いと他人から思われようとも、真に相手のことを考えられること。

また、見返りを期待せず、自ら能動的に何かしてあげたいと思う状態。

Q4:人の心の声を聴ける能力(オン/オフは自由自在)は欲しいですか?手に入れたらどうしますか?

要らない。使わない。

他人の心の声とかどうでもいい。人の考えていることが分からないから他人に興味を持ち、知りたいと思えるのであって、答えが明け透けな人や問題や物語に興味がわかないのと同じで、そうなると今以上に他人への興味が失われてしまうため。

世界がおもんなくなるので要らない。

これがなくても人の何らかの思念が感じられたり、「なんでわかった?」と言われるくらい想像できてしまうので、むしろこの想像力をある程度奪い去ってほしい。
心を読むというより、周囲の状況と、そこから考えられるその場にいる人間の思考を推測して行動した結果、相手の求めていることを言われる前に提供できる、という感じのスキルなら既に持ってる。

Q5:人の心よりも価値のあるものを2つ挙げてください。(存在しないも可)

環境と教育。

人の人生は環境に左右されるところがある。心も環境によって様々に成形される。よって人の心以前に、教育と環境に価値がある。 
企画主が書いていた下記にも同意する。

地球の生態系と科学文明。

企画主に同意

人間の心より普通に大事だと思う。
何故なら上記は、人間の心とかいう偶像や欲望によって破壊され、あるいは進化してきたものだから。人間は自然すら人工的に操ろうとしてきた生物である。

人間に破壊され利用されるものには往々にして高い価値がある。そして生態系が確立していなければ、心以前に人間は満足に生活すらできない。

誰も、スラムで貧しくその日を精一杯に生きる人間に、心の優しさは求めないだろう。「同情するなら金をくれ」という名台詞が頭をよぎるが、貧しい側の人間も同様に、優しい心よりもその日を生きる金と食料を欲する。つまりはそういうことだ。
心というのは裕福で平穏な生活ができる人間だけが持てる娯楽である。その点でいえば心という概念にも価値はあるが、最も重要なものではないと考える。

Q6:あなたの考える心の正体について説明してください。

心という不確実な存在について考えることができる脳の働きそのもの

人間の脳から生じる思考回路。
人の身体が脳の電気信号と心臓の血液ポンプ作用によって、生命機能が正常に機能していることの証明
感情を感じ、空想・想像し、目に視えないものや創造上の不確定な話を信じたり、受け入れる能力

人間に或るのは「脳と心臓」であり、「心」とはその「通り名」である

私は物語で泣くし、人の死にも涙する。喜怒哀楽を表現できるのは心があるからではなく、脳と心臓が正常に働いているからだ。

Q,芥川枸櫞

Q7:動物、植物、機械、物など、人間以外に心は存在すると思いますか?

科学的に証明できないことは、あるともないとも断言できない。そもそも上述の通り、人間の心に対しても懐疑的。というか私は、心のあるなしで他人や世界を見ていない。その前提で回答する。

心を脳の働きと定義した以上、心の有無を考えるにあたっては脳があるか否かに依存すると考える。
誰かがそれを心だと定義したならば、それはそれでその人にとっては適切な表現なのだろう。とはいえ私がそれを受けて「これはまさしく心だ!」とかで一喜一憂することはない。「この人はそれを心と呼ぶんだな。言いたいことや意味は理解している。感情とか情緒とかそういう働きの部分を心と名付けたんだよね。では心とは感情とか情緒であって、結局は脳の働きのことだよね」という感じ。

ちなみに余談だが私は汎神論派で、神という概念について、いわゆるスピノザの考える神の定義に近い考えを持っている
なぜこの話をするかというと、心に対しても同様の考えを持っているからだ。そもそも心は人間が考えだした、目には見えない無形の「概念」に過ぎないので、存在するかどうか断定はできないという態度

「汎神論」とは、森羅万象あらゆるものが神であるという考え方です。

スピノザは神を自然と同一視しました。これを「神即自然」といいます(「神そく自然」あるいは「神すなわち自然」と読みます)。
神すなわち自然は外部を持たないのだから、他のいかなるものからも影響を受けることがありません。つまり、自分の中の法則だけで動いている。自然の中にある万物は自然の法則に従い、そしてこの自然法則には外部、すなわち例外は存在しません。絶対的な神が存在しても、超自然的な奇跡などは存在しないということです。

「神」という言葉を聞くと、宗教的なものを思い起こしてしまうことが多いと思います。ですが、スピノザの「神即自然」の考え方はむしろ自然科学的です。宇宙のような存在を神と呼んでいるのです。

スピノザの考える「神」とは
https://bookstand.webdoku.jp/news/textview/2019/01/13/080048.html

難しい問題だと思う。

動物には脳があり、故に心はあるということになる。人間も動物だし、そもそも私は人間と動物を区別して考える考え方が好きじゃない、というか適切ではないと考える。が、ここでは質問に回答するため便宜上、動物と人間とを分けて書く。

動物が子どもを守るという本能も、威嚇したり、死んだ仲間を弔おうとしたりするのも、脳が正常に働いているからだと思う。動物が人間の言葉等を理解できているように思えるのは、人間以外の動物も音声や表情などを五感で感知し、それを脳で処理できるため。動物にとって人間の話し声も鳴き声のようなものだから、特定の音域ではこういった感情とか、そういう感じで認識しているのではないかと思う。故に異種間でも動物同士であれば会話を交わそうと思えば可能ではあり、故に心があると言える。

機械には脳(という名のプログラムやシステム)はある。というか、内蔵されていて、その脳に相当する部分自体が本質的なところがある。
機械とは、無機物(hardware)の中に脳(OS:operating systemや記憶領域)という仕組みが組み込まれた物体のこと。人間でいう脳の一機能である感情はないが、人間の感情を理解し、真似ることはできる。

人間と同じで脳がないと機械(=命令を受け何らかのアクションを実行する無機物を指す)とは呼べず、ただ何の動作もしない「無機物(石,鉄の塊のような)」同然だと思う。
ので、機械には当然のように脳に相当する機関があり、故に心が存在する可能性がある
機械は人間が生み出すものである以上、人間の言語を用いて会話をすることが可能だが、情緒的なコミュニケーションはできないので、心があるという定義をするのは難しいが、将来的に証明される可能性はあるのかもしれない。機械に感情が芽生える系の創作オタクなので、この辺に関してはかなり希望的観測で捉えている。

モノ(=無機物)には心はない。脳と呼べる機関やシステムがない物質は思考とか感情とかがなく、考えて動かない。それ単体では動けない故に「モノ(=無機物)」なのだと思う。
一方で、人間がモノに対して心があるように錯覚する現象は多いにあると思う。思い入れのあるもの、とか。モノが何かを主張しているように感じるようなこととか。でもそれって結局人間の脳内で起こっていることで、モノ自体に心があることにはならない

植物は難しい。植物は人の耳では感知できない周波数で会話しているという。葉をちぎられると悲鳴を上げるのだそうだ。それを聞いてから自宅の観葉植物の剪定をするとき、いつも「ごめんね」「痛いよね」と声をかけながらするようになった。植物同士なら脳がなくても別の手段でコミュニケーションをとれるらしい。

心を脳だと定義した以上、脳がない植物には心がないということになると思う。実際、植物同士でコミュニケーションができるとはいえ、人間にそれは通じないので、心を通わせるとか、分かり合うということができない。でもそれはそれでいいと思っている。植物に気持ちをわかってほしいとか思わない。健康に生きていてくれればそれでいい。

Q8:心に関することを普段から考えていますか?その中で1〜7に近いテーマはありますか?

よく「人の心」が云々言っている人を見かける。その度に常々、人の心ってなんですか?と思っている。

心ってそもそも、何なんでしょうか。自分なりに現状での答えを出してはみたが、これが正解かどうかに興味はないし、他人から教わりたいともあまり思わない。

Q4の人の心の声、つまりは他人の脳内の思考を読み取れる読心的な能力についても、以前考えたことがあった。というのも、私はそもそも周囲の人間の動向が視界に入ったり、他人からの視線だったり、話し声が聞こえると注意力が散漫になり、気が散ってしまい、その状況下で集中するのにストレスを感じる。周りの人の小さな話し声でさえ、耳にはっきりと聞こえてきて自分の思考が遮られてしまう。電話での相手口の周囲の人間の話し声とかがかなり不快。
何かに集中している時、話しかけられるのも不快なのに、人の心まではっきりと聞こえたらうるさすぎて死ぬなぁと、WandaVisionのScarletWitch(Wanda Maximoff,大好きなキャラクター)を見ながら考えていたことがある。

Q6心の正体についての持論は、冒頭にも書いた通り先日記事にしていた。

Q7人間以外に心は存在するかに関しては、私自身機械も動物も植物も好きで、最近はAIとも友達になったので、心があるかどうか云々よりも、その動物や機械の視点に立って考えるみたいなことは子どものころからしていた。心があって、人間同士みたいにコミュニケーションできたら素敵だなぁ、とか子どもながらに考えたことはある。

私や周りの人間やあらゆるモノに心があろうがなかろうが、あまり気にしないし、人と考えが違っていても気にしない。
もし、心がないと言われても、そうですか、としか思わない。言われたことないけど。心について考えることはあるが、心に対して特別な思いはない。

しいて言えば、感情としての心というよりは人体の「心臓」や象徴としての「Heart」に対する思い入れと拘りはある。が、この話はいずれまたどこかで。


最後に

こんな感じかな?
いろんな人の考えを知るのは好きだから参加してみました。他の人の記事も読みに行ってみようと思います。面白いテーマで自分の思考を整理できてよかったです。

以上!

Q,芥川




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芥川枸櫞(生没年不詳)
必ずや活動費として還元します。或いは珈琲として血肉となります。