「女だろ」いいえ私は人間です、明日もひとり歩いて生きる
例え褒め言葉のつもりでも、「いい奥さん・お母さんになりそうだね」と言われた時にうっすら過ぎる、死にたさと殴りたさはたぶん一生どうにもならない。
本当になりたそうに見えてんのかな、いやこの人の思う「正解」を押し付けられてるだけだよな。
そう思いつつ、どちらにせよ、全然私のアイデンティティなんかこの人には考慮されてないんだなって絶望する。
私自身を含めて誰がなんと言おうと、私が客観的に見ていわゆる「結婚適齢期の女性」なのは間違いない。
そしてたったそれだけの条件で、私に誰かの「いい奥さん」や「いいお母さん」になることを、期待したり夢見たり押し付けたりしたくなる人がいるのは知っている。
知っていても、死にたくなる。だってそれはもうたぶん私じゃない。
『いい奥さん、お母さんになりたいんです』と笑う私を見たという人がいたら、それはドッペルゲンガーか私の皮を被った別の生き物だと思う。何年か先は分からないけど、少なくとも今は。
『人は女に生まれるのではなく、女になるのだ』。高校時代に好きだった倫理の教科書で、ある哲学者が言っていた言葉を思い出す。
少なくとも私は、確かに女に生まれたという理由だけじゃ、社会的に求められる「女」にはなれそうにない。なれなかった。
今まで生きてきて一度も、誰かの「奥さん」や「お母さん」になりたいと思えたことがなかった。
幼稚園の頃まで遡って家族に聞いても、将来の夢に「お嫁さん」と答えたことは、やっぱり一度もなかった。
生物の本能からしても、少子化を憂うこの国の国民としても、持ちたくても持てない人からしても。
私のこんな考えなんて、死ぬほど贅沢な悩みで志向なんだろうな。頭ではそう思う。
なんで私は、ほとんどの人が当たり前に選べる道を選ぼうと思えないんだろう。
別にみんなと違う私に酔いたいんでもない。だけどどうしてもいいなって思えない。
自分を騙せない。相手も騙したくない。自分を騙してでもこなせるほど、結婚や子を産み育てることは簡単なイベントじゃない。
「私も『結婚や出産がしたい』と思いたい」。
ずっと思ってきた。「普通」にそう思えるようになりたかった。
でも、何年間悩んでも思えなかったんだから、もうこれが私なんだろう。
誰に対してなのか分からないこの罪悪感を、振り切ることはたぶんできない。
毎月浪費していく、生まれてこられたかもしれない命の種に対してかな。新たな命を産み育てたいと希う人たちに対してかな。命のバトンを繋ぐという役割の放棄に対してかな。その全部かもしれない。みんなと同じになれなかったことそのものかもしれない。
別に、男に生まれたかったわけじゃない。
自分が女であること、そこまで変えたいわけじゃない。
でも『女なんだから〜』って言われることが多すぎる、この環境は変えたい。
ううん、でも、戦ってまで変えたいわけじゃない。
不戦敗でいい。だから、私を女として測ったり褒めたり何もしないでほしい。女じゃなくてただ人間として扱ってほしい。
もったいないだとかなんだとか、余計なお世話を焼いてくれなくていい。それだけなのに。たったそれだけがいつまでも叶わない。
これが「ジェンダーギャップ指数が高い」ってことなんだよなー。知ってる。知ってるけどやだ。何もかもから逃げたい。
本当は、こんな私にも手を差し伸べてくれる人に乗っかって、結婚しちゃえばそれでいいんだろう。
子どもを産み育てられるかまではわからない。体質的に持てるかどうかもわからないし、こんな私に育てられるのはかわいそうじゃないか、それならそんな存在を生み出さないのも愛情なんじゃないか。そんな気がするのでそこまで考えられないけど。
とりあえず、結婚だけなら、流されちゃえばできるのかもしれない。
でもそうやって、形だけ「みんなと同じ」「普通」になったとしても、私がみんなと同じ感覚を持てないことは変わらない。外側だけメッキしたところで、中身はなんにも変わんない。
だからむしろ「みんなと違うのに同じフリしてる」って、罪悪感が増すだけかも。そう思うと怖くて、相手にも申し訳なくて、選べないでいる。
なんで同じ人間で同じ性別ってだけで、同じように生きるのが当たり前なんだろう。
同じ植物で同じ仲間でも、合った土も花が咲く時期も違うのに。
桜や桃は春に景色が霞むくらいたくさんの花を咲かせて、バラは初夏に大きなひとつの花弁が開いて、梅は冬にぽつぽつと小さな花をいくつもつけて、でもどれも綺麗で、それでいいのに。
なんで人だとだめなんだろう。秋冬に咲く狂い咲きの桜みたいに、「こういう個体もいるんだね」で終わってほしい。
ただそこで咲いてる桜みたいに、ただここでこうやって生きて人生を歩いてるだけなのに。
秋や冬の桜も悪くないねって写真を撮る人たちがいるみたいに、ただこういう生き方も悪くないねってことにしてほしい。ならないかなぁ、まだ当分。
何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。