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「本当の愛」とか「普通」は知らねども、とりあえず明日君に会いたい

恋愛観については今後書くことも触れることも多そうなので、最初に結論を言ってしまうと、私の恋愛指向・性的指向に付けられそうな名前は「グレーロマンティック」であり「アセクシャル」だ。

Google先生と並んで偉大なWikipedia先生による説明もあるのだけど、まあお堅い文章なのであとで補足程度に読んでいただくとする。

つまるところ私の場合、恋愛・性愛に対するスタンスが「異性に恋愛感情らしきものを抱くのは10年に一度程度で、それでも独占欲や嫉妬心を持つほどの強度や執着はない」「異性とスキンシップや性的な行為をすることも、求められれば乗れるけれど自分から求めるほどではない(ついでに子どもを産みたいとは思ったことがない)」といった程度である。
恋愛感情が皆無とは言わないけれど、限りなく温度感が低い、と言えば伝わるだろうか。


おそらく「そんなことある?」「それって恋愛なの?」という方が多いのだろうと思うので、もう少し具体的にかつざっくりと、思春期から今までの私の恋愛や性愛についての体感をまとめる。

少女漫画や恋愛小説を読むのは好きだけど「自分がこうなりたい」という憧れはない。
キャラクターの恋愛は素敵だなと思うしめちゃくちゃキュンとする。でも自分を投影するわけではなく、応援して見守る立場がいい
創作物や人の話に恋愛やセックスに関するシーンや話題が出てくるのは全然オッケー。小学校高学年頃には文学作品でそういった事象にも平然と触れていたので、むしろ興味津々で読むし聞く。
自分自身が恋愛感情とはどんなものかしら状態なので、互いの年齢差性別国籍人種問わず、恋し合っている幸せそうな人たちの話を聞くのはとても好き。
そもそも一緒にいようという二人の約束に他人が口を挟む権利もないし、恋が叶うというのはものすごい奇跡と感情エネルギーで成り立ってると思っているから、むしろ応援したいしめちゃくちゃ幸せになってほしい(暴力・猟奇的であったり、不倫など誰かが不幸や犠牲になったりする関係を除く)。
異性に対して愛されたい、好かれたい、モテたいといった気持ちもなく、ときめいたりキュンとしたりすることもない。母性本能なのか、かわいいなと萌えてキュンとすることはある。
芸能人などは顔が整っているなと認識はできるけれど、どちらかと言えばファンでいるのは華やかで見ていて楽しい女性芸能人が多くて、好きな男性芸能人やかっこいい芸能人と言われても浮かばない。
同性に関しては好かれたら嬉しくありがたい。でも自分から恋愛対象とすることは想像もつかない。(一応恋愛的・性的指向はヘテロ=異性が対象ではある)
仲良くなると特定の異性を目で追っていることはあるけど、好かれたり付き合ったりしたいわけではない。むしろ好かれると逃げたくなるしやめて欲しいし失望する(リスロマンティック=相手から恋愛感情を向けられることを望まない指向にも当てはまるかもしれない)。
もしその人が他の人と付き合ってしまっても、幸せになって欲しいと思うだけで、泣いたり辛いと思ったりはしないし嫌いにもならない。ただ自分の中で少し特別な人というカテゴリーに居続けるだけ
数年単位でとても仲良くできていて、一緒にいてストレスもさほどなくて、社会人としても人としても尊敬していて、友人として失いたくない相手に恋愛感情を持たれた時だけ、恋愛感情のようなものが生じるし性的な行為もしてもいいと思える(これはデミロマンティック=強く情緒的に結びついた相手に対してのみ恋愛感情をいだく指向に近いかもしれない)。
ただしあくまで「恋愛感情のようなもの」なので、他に好きな人ができたと聞けば身を引くし、むしろ結婚する気のある人を好きになって幸せになってほしい。結婚も妊娠も出産もする気のない自分は、相手の描く「家庭を持つ幸せ」をあげられないので、いつか遠くない未来に私に見切りをつけてほしい。自分は結婚相手が見つかるまでの中継地点だと思っていて、ずっと独占し続けるつもりはない。

ざっくりと言いつつ結構長々と語ってしまったけれど、こちらを踏まえて、アセクシャル(無性愛)およびグレーロマンティックという恋愛的指向について、改めてWikipedia先生の説明を読んでほしい。たぶん、私のこの状態は遠くないと思うのだ。

無性愛(むせいあい、英: asexuality)とは、他者に対する性的な惹かれ(sexual attraction; 性的魅力を感じること)の欠如、または性的な行為(sexual activity)への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しないことである。無性愛の性質を持っている人のことをアセクシュアル、Aセクシュアル、無性愛者(英: asexual エイセクシュアル /eɪsɛkʃʊəl/、アセクシュアル /æsɛkʃʊəl/[8])という。
グレーロマンティック(Grayromantic):エイロマンティックとロマンティックをスペクトラムと見做したとき、その中間にあることを意味する。恋愛感情は抱き得るが、その頻度ないし強度が高くないこと。


私はここまでに述べた通り、恋愛・性愛の対象はヘテロ(異性)である。そしてスキンシップが可能そうだと思った相手とだけ付き合う。だから交際する相手とは男女のカップルに見えるし、男女のカップルがするであろうスキンシップはひと通りできる。つまり、客観的には「多数派」の恋愛をできる。
なので(こういったことは比べるものではないと思うけれど)、近年少しずつ理解が進んできたとはいえまだ偏見に晒されることの多い、いわゆるLGBTの方々からすれば、わざわざこうして書くほど苦悩したことなどほとんどないと言っていいだろう。

それでも私の人生において、恋愛というものは長年「誰かがしているものを大切に眺めて応援するもの」であって「自分がするもの・したいもの」ではなかった。
恋愛を限りなくしないことを、哀れまれたり惜しまれたりすることもあるけれど、恋愛関係というものが基本的にはひとりで成り立つ関係でない以上、相手に好かれようともその気がないのに無理に舞台に上がって相手を傷つけるわけにはいかない。
自分や好きになる相手の性別がどうあれ、確固とした恋愛感情が持てることについては、いいなと思うこともある。でも、もちろん恋愛をしなくても問題なく生きていけるし、近年は「干物女」とか「おひとり様」とか、私にとって追い風(?)になる言葉も増えた。だからこれでいいんだと思ってはいる。

けれど時々どうしようもなく苦しく思うことがあったのは、やっぱり「異性と恋愛して、結婚して、子を産み育てることが『普通』で『正しい大人』で『最高』の『幸せ』だ」という考えをほとんど全ての人が持っている(ように見える)世界で、自分は『普通』にはなれないのだと分かっているからだった。
『普通』という言葉は嫌いだ。別に私は『普通じゃない』わけじゃなく『少数派』なのだと思っている。でも、そう受け取ってくれない『多数派』が多いからやっぱり苦しくなる。

ただ、こんな私でもそれこそ10年に1回くらいのペースで、好意を持ってくれてこの恋愛感情の薄さにも「まあ君はそういう人だよね」と一定の理解を示してくれて、私からしても手を繋ぐ以上のことに抵抗がなくて、交際できる人は存在する。

そんな稀有なパートナーと『普通』の幸せに向かえるように試みればいいのだろうなと1年に5回くらい思う。
それでも1年に100回くらい「この人にはいつか私じゃなく、ちゃんとこの人を愛してくれる人と幸せになってほしいな」と思ってしまう。

例えば結婚の準備をして結婚式を挙げる自分が幸せそうであることを想像できないから、最終的には「どうかそれを笑顔であなたとこなしてくれる人と結ばれてください」と願うことをやめられない。
だから例え恋愛・性的指向がヘテロで、相手によっては性的な行為に抵抗や嫌悪がなくとも。私にとって「異性と恋愛して、結婚して、子を産み育てる」という『普通の幸せ』が『幸せ』だとは感じられないから、恋愛に関して世間と同じような普通を装うことは向いていないんだろうと思う。


ここまで考えるのなら、パートナーの手を放すのが優しさであり筋であり正しいことなのかもしれないとは分かっている。
それでも私にだって、限りなくゼロに近いかもしれないけれど恋愛感情らしきものはあるのだ。正確には恋愛感情ではないのかもしれないけど、人として信頼していて尊敬して好きだと思うことはあるし、友愛は分かるし情もある。

ずっと一緒にいたいとか私がいなくなったら辛いとかいつか別れる前提みたいなこと言わないでとか。そうやって時々子どもみたいに駄々をこねる人を、少なくとも今切り捨てて悲しませたくはないなと思う。切り捨て方もわからない。
何だかんだで一緒にいることは楽だし落ち着くし今のところまだ飽きない。自分から会いたいとかスキンシップを取りたいとか思うことはない。それでも声を聞いて会えて話せて抱きしめられると嬉しいし楽しい。

私がパートナーに向ける感情は、世間一般の『普通』の『好き』とは少し違うのだろうと自覚はしている。
限りなく友情の延長だったり、おままごとみたいな恋愛感情だったり、問題の先送りだろうと言われるかもしれない。それも自覚している。
それでもその人に会える日は少し楽しみに過ごせるから、いつか価値観も変わるかもしれないけど、今はこれが私にとっての恋愛だと思って生きている。


※こちらの記事では私の現時点の恋愛・性愛に対する考え・捉え方を述べています。私と同じ恋愛・性自認を持つ方が、私と同じような考えを持つわけではありません。恋愛指向についてはグレーと自認する以上、捉え方や位置付けは移行する可能性もありえます。
また同じ自認を持つ方や性的少数派を自認される方々におかれましても、私のような考え・捉え方でこのように称することを不快に思われましたら申し訳ございません。

※無性愛(アセクシュアル)は性的な関心・欲求を「持たない」ことと認識されることが多いですが、ここでは関心・欲求が「少ない・弱い」ことも含むWikipediaの説明に倣って指向を述べています。

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水無月
何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。