不易流行(ふえきりゅうこう)〜自然が教えてくれること
不易流行とは、松尾芭蕉の俳諧の基本理念として説かれたもの。
「不易」とは、世の中がどんなに変化しても、いつまでも変わらないこと。
「流行」とは、時代に応じてその時々で変わっていくこと。
文字を読み取ると、対局にある二つですが、どちらも根本的には同一で大切なことですよ、という言葉です。
その言葉を噛み締める大切な場所が、私にはあります。
それは、ニセコアンヌプリ連峰の中にある、とある場所。
夏は木々や草が生い茂りなかなか到達することはできませんが、冬一面が雪に覆われるとスキーで訪れることができるところです。
私の父は大学時代ワンダーフォーゲル部に所属し、朝な夕なに山で過ごしていました。卒業後はOB会長として活動し、後輩の育成に力を注ぎ…
いや、違う!
決して育成に力を注ぐような真面目な人じゃなかった(笑)。
仲間と過ごすのが大好きで、ことあるごとに酒を飲み、自然を謳歌している人でした。
そんな父に連れられ、生まれて初めてニセコを訪れたのは、20歳のころ。
当時は「私をスキーに連れてって」が大流行していたブギウギ時代←古すぎでしょ
今で言うアウトドアとか、バックカントリースキーなんていう言葉は、一切なかった時代です。
ニセコ・アンヌプリスキー場のリフトを乗り継ぎ、最終地点からスキーを担ぎ、登ること30分。
そこには360度の大パノラマが広がっていました。
その山頂からスキー場の裏側(管理区域外)を一気に滑り降り、目指すは五色温泉という地底から温泉が湧き出る掘建小屋。
スキーを外しウエアを脱ぎ、ぽちゃんと。
しばしの湯浴みのあと、再び全てを着込んでスキー場へと帰るという「スキー旅」でした。
その時に父と一緒にテクテク登ったところが「見返り坂」。
古い写真ですが当時のものです。
時代の時計をクルクルクルっと進めまして。
2013年、父を感じたくて同じ時期、同じ場所に行ってみました。
その時の写真がこちら。
写真の鮮度は悪いけれど、後ろの山々の雪渓の形が変わってないことがよくわかります。
実に27年ぶりに訪れたのですが、木々は大きくなり細かいところは変化しているけど、全体的には変わっていませんよね。
27年も経てば私自身は年齢を重ね、いろんなところがポンコツにもなり、小さいながらも変化を積み重ねてきました。
その一方で自然は変わらずにそこに在り、私とは時の流れ方が全く違うんだなぁと感じました。
今の時代、自然災害はじめ人災としての紛争や戦争が起こり、「不易」という概念がなくなりつつあります。
30年経っても変わらない風景に身を置きながら、今ある幸せを噛み締めた春の一日となりました。